「文学性」って一体何なんですか

 「エモい」とか「ヤバい」が使われ始め、若者の語彙力の低下、なんてことが叫ばれ数年は経っているだろう。そもそも数千年前から「近頃の若者は」というフレーズはあった、なんて話も聞くから数年なんて程度のことではないのだろうがそこは問題ではない。著者としても若者は、という観点は抵抗を抱いてしまうものの単純に語彙力のなさそうな言葉はあまり好きにはなれない。
 それはともかくとして、私には少し気に食わないことがある。「文学性」という言葉についてだ。ここで本来なら「(辞書名)によると」となるはずだが、文学性という言葉は少なくともインターネット検索した限りでは定義を明確に記しているものはなく、従って辞書に一般的に乗っている単語ではないとみなすことができる。
 「文学性」とは一体何であろうか。「文学性の強い小説」「歌詞の文学性が評価され」といった使われ方をすることが一般的であるが、「文学性の高い音楽」などとまで言い出すといよいよ不可解度が増してくる。
 「文学性」という言葉は、「文学」という単語に接尾辞「性」がついたものである、というところまでは異論の余地はないだろう。
https://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E6%80%A7/m2p1u/
こちらに「性」で終わる言葉の一覧のページのリンクを貼らせていただいた。
接尾辞的な意味での「性」の使い方がされている単語に注目していただくと、大凡形容詞的な使い方ができる単語が多く、そうでない場合も一般的に想起される特徴が一通りのものであることが分かっていただけるだろう。「違法性」における「違法」は「違法な」という使い方が出来るし、「因果性」における「因果」という言葉も言葉の違いはあれど貴方も「原因と結果における関係性」といった認識を持っていることだろう。
 さて、「文学」とは、「文学性」とは一体何だ。もちろん「文学っぽさ」という言葉から感じるイメージは各々持っていることだろう。だがそこに共通性はあるだろうか。言葉というものの用法にもいろいろあるが、こうも定義が曖昧では言葉として成り立っているのか。「話し言葉に対する書き言葉らしさ」と解釈する人もいれば、「主に思春期の人間が持つような情趣」と捉える人もいるだろう。そこに「エモい」との違いはあるだろうか。私は分からない。
 しかし「文学感」というものを定義してしまえば、それはそれで「文学性」が失われてしまう堂々巡りに陥ってしまう気もしてくる。言葉というのは生物(せいぶつともなまものでもどちらでも意味は通るはずだ)であると割り切って、いっそそういうものだ、と考えるのをやめてみるのも文学性のある行為といえる...かもしれない。言葉は人々が継ぎ足すことで意味が足されていき、やがて定着するものとも言える。言葉というのは変化していくものだから、変化を認めないと今度は私高梨が時代においていかれるぞ、という教唆なのだろうか。
 いかがでしたか。結局「文学性」という言葉の意味については分からずじまいでした。これからも日本語について一緒に考えていきましょうね!
 

 しかしそれでもやはり「文学性」が格式高い言葉のように振る舞っているのは納得行かない。

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