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米津玄師観察記録 JUNK大阪 ただの感想 2025.2.16
米津さんが尊すぎて、歌の上手さ、聡明さ、見た目のよさ、可愛さ、恐ろしさなどの米津さんを表すのに必要な言葉として「尊い」より上位の言葉ってあるのかなとよく考えるけど、私の語彙力では思いつかなくて、最近ただ「〜過ぎる」を連発してしまうのがちょっと短絡的で嫌だなあと思ってる
平安時代ならきっと「やむごとなき人」なんだろうと思うけれども、平安時代なら移動も限られているし、身分の違いでお目にかかることもできないかもしれないし、そもそも米津さん自身も阿波国の片田舎で時代に拾ってもらえずその才能を世の民は知り得なかったかもしれないから、今の世の同じ時に生きられてやはりよかったなと思っている
とにかく当時生きていたら「やむこどなきこと、限りなし」って言ってるはず
…平安時代の推し活妄想は置いておいて
ともかく、JUNKはシリアルもそこそこ積んで、ジョージア商品もかなり買ったのにご用意頂けたのは仙台初日のみで、結局一般やトレードで運良くお席を頂けて何回か行くことができたのだけれど、大阪ドーム2日目が始まる前にふと思った、私は一体何をしているのかと
なぜここまで米津玄師を付け狙うかのように、米津さんの行く先々に全てついて行こうとしているのだろうと
今までも「あれ、私なんで昨日夜遅くまで仕事して、今朝はこんな朝早く駅に向かって歩いてるのかな…」とか「私は今見知らぬ建物のトイレに並んでいるけど、ここどこだっけ?」みたいなことはたびたびあって、深く考えるのを避けていたけれども、ここまで一人の人間に、しかも相手は私のことを知らないし、言葉すら交わしたことがないのに、なぜこんなことになってしまっているんだろうと思ってはいた
深く愛していた恋人も過去にはいたし、人並みに人生における行事みたいなことはしたけど、やはり全ての人に対して裏切られたり傷付けられたりしたら悲しいから予め距離をとって完全には信じないというか、がっかりしないように他人は他人と思ってるところがある
依存しすぎて痛い目を見たことがあったから、あまり依存しないというか自分第一というか、常にドライでいたいと意識して生きてきたし、自分の欲望に忠実にしてきたし、あなたがいないと生きられませんみたいな好きのやり方はもう嫌だと思っていた
それなのにどうして突如として徳島の片田舎の青年にここまで心を奪われちゃったかな、何でこんなに好きで居続けているのかな、今まで好きになった人はいるけど米津さんはなんか違う、特別と思うのはなぜかな…という問いに対する答えを見つけるために、とはもちろん考えないが、引き寄せられるように動いているみたい
『がらくた』の時の米津さん、まさにアルカイックスマイルと呼んでよいほどに、世界三大微笑みたいな優しい顔で歌うんだけど「何でそんな優しい顔で歌うんだ」と、メモに殴り書きしてあるほどに尊い、それは決して忘れられない笑顔なんだけど、あの笑顔を見ていてわかった
私は米津さんに全てを肯定してもらいにライブに行っている
これでいいよって、そんな気持ちになるために、はるばる各地に赴いているんだとわかった
え?それだけ?みたいな答えかもしれないけど、誰かの賞賛より、彼にとってはあずかり知らない米津さんの歌声と笑顔と心の内を少し見せてくれるMCと幼馴染との会話が嬉しいし欲しい
ライブがない時だってわたしはいつも米津さんから出た言葉に生かされてる
昔にRESCUEという名前のライブをしているけど、米津さんは私にとってレスキュー隊
ライブの最後に「また会いましょう!」と清々しい笑顔で挨拶する米津さんの笑顔が最高良すぎて、この笑顔をまた見たい、また米津さんを浴びるセラピーを受けに来たい、治されるというか包まれたい、全肯定されたいと思った