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「嫌いな自分」の正体を少し齧って食べてみる

こんにちは、レンです。

今日は「嫌いな自分」をテーマにして、少しだけお話をしていきます。
エッセイチックなところがあるのですが、まぁ流してください。

今回の話は、コンプレックス自分の価値に悩んでいる人には、刺さる話かもしれません。
目次を見て、興味があれば、内容を見てほしいです。何かの糸口にでもなれば、幸いです。


嫌いな自分を無理に受け入れる必要はない

「ああ、またやった」

目の前に広がる、A4用紙の山を見ながら、僕はため息をこぼした。また、失敗してしまったようだ。下らないことでこうして失敗して、山のように紙が溜まっていくのを、何度経験すればいいのだろうか?

何度も似たような失敗をする自分が、僕は嫌いだ。こういう話をすると、誰もが嫌いな一面があるという話を思い出す。
それは、自分で嫌いだと認識しているか。それとも、「苦手」「欠点」「見たくない」「見せたくない」「知りたくない」「わかりたくない」一面なのだろうか。

それは、僕にはよく分からない。考えても仕方ない、想像の域を超えないし議論をしたって、相手が嘘を貫き通せば意味がないからだ。

だから、自分ベースに落とし込んで考える。少なくとも、僕には「自分の嫌いな一面」が存在するし、「欠点」と認識している一面もある。
まぁ、それを自覚しているからと言って、何も変わらないが。

「簡単に変われるなら苦労なんてしない。変われないし、改善できないから、悩んでいるのだから」

嫌いな自分なんて、山のようにいて然るべきだ。問題なのは、その嫌いな自分を、どのように克服しようか?などと考えないことだ。
受け入れたからと言って、何か変わるのですか?変わらないでしょ?

僕の心はそう叫んでいた。執筆している今も、僕はこの時自分が感じたこの内容を、否定できないでいる。

克服もしないし、自分の中で受け入れることもしない。問題を認識しておきながら、基本的には放置しておく。それでいいと思っている。

嫌いな自分を自覚するといはいつだ?

僕が自分のことを「嫌いだなぁ」と感じる時は、何時だって自分のせいで面倒ごとが増えた時だ。それは、様々なシーンで訪れるし、様々なシーンで実感する。

仕事だけではない、私生活ではもとより、趣味で登山やバイクをしている時にも感じることが多い。特に、登山をしている時などは、かなり「はぁ」とため息をついてしまうことがある。

「僕らは、自分に嫌なことがある時自分の中に原因があれば、自分を嫌悪する」

そんな習性があるのではないだろうか。もしくは、僕にはあまりないが次のパターンもあると思う。

「誰かと比較して、自分が劣っていると感じた時」

これは、コンプレックスという言葉で表現されると思う。日本語にしたら劣等感になる。どうだろうか、何となく自覚があるだろうか?

自分嫌いは放置。コンプレックスは比較しない

対処法は簡単で、比較しないことです。誰かと何か比較した時に、「優れている」のか、「優れていないのか」はさして重要ではないと思います。
何か優れている事は重要であるとは思いますが、誰かと比べた時に「優れている」ということが、重要なのだろうか?

いいや、もっと重要なのは「自分の中で優れているか悪いか」ということです。それ以外はさして重要ではないでしょう。
自分の中で優れていると思ったことは伸ばせばいいし、自分の中で劣っていることは、無理に頑張る必要はない。

嫌いな自分は放置でいいし、コンプレックスは「他者との比較」をしないことで対処できます。

とはいえ、難しいのが現実ですよね。嫌でも目に入る、他人の光輝く一ページ。思わず、目を奪われて、「自分も」と思ってしまいますね。

人はどこかで優れているモノだ

貴方は誰かと比較して劣等感を抱いたかもしれない。
しかし、それ以外の場所でもいい所があるのではないでしょうか?それは、貴方が気が付いていないだけなのか、観ていないふりをしているだけかもしれませんね。

貴方が劣等感を抱いてしまうほど、その人は優れているのです。
それに付随して、幾つか優れた点があると思うし、「真似したい」と思えるところもあるのではないでしょうか?

比較して自分を追い込んでも何にもなりません。
次を考えてみると「そうなるにはどうしたらいいのか?」という思考になるはずです。

これは、前向きな人間特有の思考ですね。僕には結構難しいと思います。
このくらい素直で正直でOKですよ。知っておくことが重要です。

なので、おとなしくまずは認める所がスタートですね。
「この人にはこんな素晴らしい所がある」ということを認めてみましょう。自分の嫌なところと、比較しているところを認めるのは難しい。まずは、「当人」をしっかり認め、事実を受け入れて評価してみましょう。

自分との比較は、その後にします。「羨ましい」「嫉妬する」「ずるい」と思うは、仕方ない事です。ただ、その感情に飲まれ過ぎないように、注意しましょう。

感情に飲まれないために

今日一日、僕はいろんなパターンで考えてみました。感情に関してというか、劣等感や嫌いな自分についてですね。この結論からすれば、最終的に負の感情に飲まれないことが重要です。

感情に飲まれないためには、様々な手法があります。「深呼吸」「手を抓る」「客観視する」「感情を抑え込む」「かきだす」「話す」いろんな方法が、提案されていますね。

個人的には、9割がたが意味のない事かなって思っています。

結局、「原因を探す」しかないんです。冷静になって考える時は、感情的になった瞬間、どのように行動するのかが重要です。手足が出る人や、口が達者である人、プライドが高い人は要注意です。

手が出そうなら左手で思い切り押さえつけてください。足が出そうなら、その場で転んでください。口が勝手に動き出そうとしたら、タオルでさるぐつわを作って、無様に嵌めてください。

そして、「なぜ僕はキレているのか?」を考えてください。どうせ、その問いかけをした時には、目の前の事実ではなく感情越しの事実を見て、判断します。

その次に、「その状態が何で嫌なのか」というように、感情を除外できるような問いかけをしていきます。これを延々と繰り返すことで、冷静にそして正しく、目の前の事実を認識できます。

僕らは、防御本能が強いです。つい怒るのも、目の前の事実を否定したくなるのも、涙がこぼれてしまうのも。防衛本能です。

その本能が相手を傷つける前に、ちゃんと考えれるように自分を制御しましょう。感情的になると、問題が増えるだけですからね。減ることはありませんし。

先ほどの、「人を評価する」ということも同じです。感情に飲まれて、正しく判断と評価ができないときには、人を評価などするべきではありません。優れている、素晴らしい所でも、「だからダメなんだ」と欠点を嫌というほど探してしまいます。

人の欠点は、美点よりも輝いて見えます。それは、貴方の心が汚いからではなく、人間という種族が汚いからです。なので、安心してください。僕だって、醜くて意地汚くて汚れたぼろ雑巾のような、汚い人間です。

大事なのはそれを知っておきながら、「まっすぐあろうとすること」ですね。これは、自分で意識しておくだけで十分。行動するときに、まずは「これは正当か?」と考えてみましょう。

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レン_歩くエッセイスト
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