心の軽さが人生を変える。大事なことは自由なことだ
ハイカーであれば、一度は耳にしたことがあるULという言葉。
冬山登山をしていると、このことをより意識させられる。
ULというのは、流行でも何でもなく、荷物を極限まで軽くするアウトドアスタイルの事だ。このULは非常に便利だと思う。
その本質は、非常に簡単で、「便利に軽く」という所にある。
重要なのは、「便利に」という所だ。
単純に軽くということだけを意識したら、荷物を持たなければいい。
必要最低限で、徹底的に荷物を軽くしてしまえばいいのだ。
とはいえ、それだけでは問題が起こる。
不要なモノを全部捨てるのは良いが、それで不便で苦労していたら意味がない。苦労してまで、モノを軽くしてどうするんだって話だ。
それは、ハイキングを楽しむことができない。
だからこそ、ULハイカーというのは、重々にして遊び道具を持っている。
例えば、フリスビーとか、トランプとかね。
面白くないか?
だって、100gを削り出すために、僕たちは数時間荷物を検討する。
時には「この寝袋、ワンサイズ小さくする?」とか、
寝るためのマットは半分に切るか、とか。
そんな判断をするのだ。
なのに、その削り出した100gに対して、
トランプ、UNO、フリスビー、けん玉、マジックなど。
必要ない、娯楽用品を持っていくのだ。
一見するとバカのようだけど、
これがULの本質なんだと思う。
つまり、心の豊かさを損なわないようにしなければならないのだ。
そして、その心の豊かさは、課金だけで齎されるのではない。
小さな遊び道具、気分転換、ワクワク。
たったそれだけで、必要十分なんだ。
この小さなワクワクは、僕たちの心を救ってくれる。
ULの神髄は、きっとこの心の軽さ。
豊かさを感じることが大事なんだ。
そしてそれは、自由であるということなんだと思う。
僕らは、束縛され過ぎているのだ。
もっと自由で、もっと好きに行動してもいいんだ。
誰よりも、何よりも自由であること。
それは、幸せになるために一番必要なことだった。
ハイキングを通して、僕は様々なULスタイルを見たし、
多くの経験と話を聞くことに成功した。
そこで聞くのは、「活動の幅が広がった」ということ。
逆に、今の僕はこの流れに逆らうようにULから脱却している。
その理由は、重たい荷物を運びたいからでも、
ULに魅力を感じなくなったからでもない。
心の軽さを手に入れることはできた、と思いたい。
悩み事による重たさはあるが、これは僕がずっと背負って付き合っていくものだ。その重みを、誰かに渡すようなことはしない。
だから、その重みを背負っても潰れないような。
自分というモノを手に入れたくて、今はトレーニングをしている。
そんな気がした。