余白に馳せる希望
何にでもにも余白という空間が存在する。
紙に書いた字の間の隙間
改行のスペース
脳の中でも神経細胞と神経細胞の間のシナプス間隙という名の空間
コミュニケーションの中での間
など。
この『間』というものはとてつもなく重要な役割を果たしていると私は思っていて、、、
私にとって、この空白は希望でもある。
実は1年という空白の期間を経て、研究室を訪れた時、
私は失礼ながら、、、
先生は人間くささの極みのような状態から抜け出したかもしれない。
(✳︎詳しくは『こころとからだをたいせつに』参照)
という微かな期待を持っていた。
そして、先生からも
「今は健全なあなたかもしれないけれど、いつかクレイジーリリーがあなたの中から湧き上がってとんでもない方向に行くかもしれないし、
はたまた、いつかあなたに似たチビリリーが現れて、あなたを吊し上げるかもしれないでしょ。」
(✳︎リリーは私の名前、クレイジーリリーは留学先での私のあだ名。現地で足にたくさん落書きをしていたことから。)
私は、
「そうですね。わからないですね。」
と返答した。
振り返って思えば、このやりとりはお互いの障壁、私にとって理解不能な壁を打ち破るための伏線のようなものだったのかもしれない。
それはそうと、、、
どんな試練がやって来ようともそれを乗り越える人はいるものだ。
かの有名なアウシュビッツの悲劇の中でも、生き延びて後世に記録を残しているひとがいる。
殆どが落ちると言われている難関入試や資格試験でも受かるひとが存在する。
人に限らず、細菌やウィルスの世界でも抗菌薬や抗ウィルス薬に負けじと生き残る特別変異株というものが存在する。
もちろん、それは環境や運によるものあるけれど、、、
人に限らず生き残る奴らには、
余白の中で構築された何らかの進化
みたいなものがあるのではないのかなとふと思ったのだった。
実在するモノとモノ、
事象と事象の間で、、
進むも後退するも、
生きるも死ぬも、
希望にかけるのも諦めるのも
全ては自由で
そこには無限の可能性が眠っているのかもしれない。
さて、頑張るぞ。
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