萎え萎えの、苗。
よりにもよって最高気温真っ盛りの午後2時、今晩の食材を買うために表へ出た。ちっともそんな気配が無かったのに、私の外出と同時に太陽が一緒に顔を出してくれたのは僥倖だ。〇すぞ。
久々にぶらつく地元の目抜き通りでは、この暑さにもめげず行き交う人、犬、車……
車!!車だ!!前に住んでたとこじゃ殆ど見かけなかった!!原始人は喜んだ。大好きな鉄の塊がわんさか目の前を過ぎ去っていくのだ。原始人は座りこんだ。アスファルトが皮膚を焼く感覚。構うものか。ここには文明がある。原始人はにっこり微笑んだ。身体の水分は絶え、意識は朦朧としてきた。それでも、原始人は幸せだった。
~完~
そんな妄想をしていたかも知れない。記憶とは曖昧だ。
目抜き通りを少し進むと、日曜休業中の生花店が目に入った。花屋の店先に並んだ、完全に旬を過ぎて半額で叩き売られている野菜苗。実は青果店の間違いなんじゃないかといつも思っているのだが、母曰く生花店らしい。よくわからない。
私が愛おしいと思うもの。
猫>家族>>いろいろ>>枯れかけの野菜苗>私
紛う事なきトップランカーの一角だ。
枯れかけで叩き売られている野菜苗の何が良いのか。端的に言ってしまえば、なんだろう。庇護欲?父性?母性?そんなものを掻き立ててくれる存在と言えばいいだろうか。
元気で立派な苗は、適切に管理してやれば良く育つし手間も少なめで済む。イージーとは言わないが、ほどよく楽しいノーマルモードだ。
一方で、元気の無い苗はどうか。そもそも明日の生存すら怪しい所から始められて楽しい。葉が一枚落ちても生えても一喜一憂出来て嬉しい。花が咲くだけでよく頑張ったねと褒められて可愛い。花も見たし実なんか付けなくていいよ、と上から目線にもなれて気持ちがいい。なんと素晴らしきハードモード。
土いじり大好きマン・ウーマン達には実は意外と人気コンテンツなのである。本当だ。調べてみるといい。
私も以前はそんな土いじりマンだったが、脳に矢を受けてしまってな。
実時間にして5秒ほど一瞥しただけで、本来の目的を果たすべく食材のメモを取り出し、冷房ガンガンのスーパーマーケットへと飛び込んだ。
今日はカレーライス。
そうだ、土からカレーライスを作ろうとした話。まだ話してなかったね。