故郷
魯迅ではない。ヤンおばさんも出てきません。
近頃、美しい北の大地に思いを馳せている。
昔々の夏。
くるくる舞う鳶の声が青空に響く。
人の敷地と知らでダンボールをいそいそと運び込み、不法投棄扱いされた夏。小さな身体でトラックの背中に忍び込んでひしめき合っていたらおじさんに怒られた夏。(我々は秘密基地を探していたのだ。)友達の家で貰った茹でとうきびをそのへんの人に貰ったと嘘をついて持ち帰った夏。(人の家に簡単に上がるなと言われていたのだ。)川のきらめきと河川敷の緑。故郷は風が少ない。
町内の人で野外ジンギスカンをやる話を東京の人にしたら驚かれた。冷涼な気候がなせる技だからと考えたが、ご近所さんとの距離の近さに。とのことだった。今思えば大人たちは昼間っからビール片手に食事できることを楽しんでいたのだが、子供ながらに、あの騒がしいお祭りみたいな雰囲気が何となく好きだった。
幼稚園の頃の親友に10年近くぶりに会ったら、向こうは全然こちらのことを覚えていなかった。仕方ないと思ったが、また会いたいという気持ちは薄れてしまった。幼稚園から小学校の途中までずっと二人で遊ぶのが好きだった。彼女の転校をきっかけに色んな人と仲良くすべきということを痛烈に学んだ気がする。
時折、帰りたすぎて泣きたくなる。ていうか泣いた。初対面の人の前でどんな思いで故郷に帰りたいかを泣きながら熱弁した。ということは覚えているが、何を話したか覚えていない。否定しないで聞いてくれる人だった。泣いてる私を見て困ったように微笑んだ。自分の気持ちは大事にしたほうがいいよ、と言われた気がする。友人に私がそんな状態になるなんて余程の聞き上手だね。と言われて、私にどんなイメージを抱いているんだと思った。
故郷は冬もいい。冬の夜は、街灯が反射して明るい。雪が積もるほど暖かく、静寂が広がる。雨のと違って雪はほろうだけでいい。大着して帽子をかぶらなかった日の、しっとり濡れてしまった髪も嫌いではない。海は好きだが、打ち寄せられる波よりも、滔々と流れ行く川の方が好きかもしれない。しばれる日には、水面からもうもうと立ち上がる不思議な光景が見れる。けあらしという。
オンコの木の事をうんこうんこと大声で叫んでいた小学生も、今では理性的な顔をしてカフェで氷点を読んでいる。その実、まみれているものがある。自分には向いていないと思ってる事でも気づいたらできるようになっている。案外大したことない。呼吸と思えば呼吸なのではない。意識せずできるから呼吸なんだと誰かが。結局私は満たされない自尊心をイージーカムによって満たしているような気でいる。インスタントな関係は楽しいけど、儚い。
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