見出し画像

過去を変えてくれた存在

いつか書きたいと思っていたこと

頭と気持ちの整理ができてきたので、ようやくまとめてみることにする


過去との付き合い方について、好きな本のフレーズがある。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

マチネの終わりに/第一章 出会いの長い夜

私はこれまで、ずっと、過去に引きずられて生きてきた自覚がある。正確には、今が過去を引きずっているんだけど。

一番好きだった人。一番好きになって、一番好きでいてくれた人、というたった一つの過去の存在が、自分がこれまで生きてきた意味を、そしてこれからも生きる意味をなんとなく与えてくれていたような気がする。

誰かを好きになると、その人に好かれ続けることよりも、その人のことを好きでい続けられるか、ということへの不安が勝る。私は、なんとも傲慢な女だ。

その、一番好きだった人への好きを、越えられないことが明確に分かったとき、もうあとは薄れていくしかないこの脆くて儚い好きという気持ちと、私は常に戦ってそして敗れてきた。

元彼の人数を、便宜的に3人と言うことが多い。それ以外の人たちとは、口約束で付き合うとは言ったけど、決して恋人にはなれなかった。私にとって恋人のハードルは想像より遥かに高くて、ちょっと好き、なだけじゃ、全然だめ。自分の人生に大きな影響(プラスマイナスを問わず)を与えて初めて恋人となる。と、思っている。

「マチネの終わりに」を教えてくれたのは、2番目の人。その人は、文学的で、ロマンチストで、繊細で、そのくせ時より攻撃的で、優しくなくて、楽しくなくて、一緒にいると心が壊れそうになる、そんな人だった。

その人は村上春樹が好きで、私のことを、ふらっと消えていなくなりそうなところが魅力だと言っていた。村上春樹の小説にはそういう女の人がたしかによく出てくる。だから、その人はいつも不安で、その不安を誤魔化すことに、必死になって、自分自身を見失ってしまうと言っていたけど、私はそういう「弱さ」に確かに惹かれていた。

特に趣味趣向の面において、私たちはお互いに良い影響や悪い影響を与え合って、やがてちょうどよく、おかしくなっていった。

前に付き合っていた人への気持ち(愛というより「情」)が完全に消えきっていない自分に恐らく気付いていたその人が、「マチネの終わりに」を読んでみてほしいと言ったのは、出会ってから3カ月とちょっとが経った頃だった。

買ったきり。直後、さよならした。

前の人と、真逆のような人だった。だから惹かれた。でも、だからダメだった。

あの人の影を、良くも悪くもずっと探してしまう。あの人はこうだった。でもこの人は。

その次に付き合った3人目とも、やっぱりうまくいかなかった。形は違うけど、でも結局は同じような理由だった。

だから全てを終わらせて、社会人なりたての春、ようやく、忘れられないあの人のところへ行った。

ごめんね。私が間違ってた。今更気付いたよ。




一生忘れない、と言われた。

そして、記憶が残っている限り現世はもちろん、来世でも、やり直す道はない、と言われた。過去は何があっても変えられない。これからのことだけ考えて生きて。そして次に付き合う人のことは、傷つけないであげて。と言われた。

この瞬間から、私の人生は、単なる消化試合となった。

この人とやり直せないなら、私の人生はもう意味を持つことができないのだと悟った。

数カ月経って、埃をかぶっていた、「マチネの終わりに」を読んだ。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

マチネの終わりに/第一章 出会いの長い夜

衝撃だった。

2番目のあの人が伝えたかったことは、もしかするとこれなのかもしれない、なんて都合の良い解釈をしてしまいそうになる。思わず、答え合わせをしたくなる。連絡を取りたい。でもその術がない。消されたLINEのトーク履歴を掘り起こし、開くと、一番上に一文のアナウンス。(アナウンスは残り続けるんだね)

共通の価値観を形成していけばいい

あの人とぶつかるたびに、言われていたこと。

まるで理解できなかった、あの人の言葉。気持ち。価値観。「マチネの終わりに」を読ませて、あの人は私にどんな気づきを与えようとしていたのだろうか。あの人なりに私の過去を、変えようとしてくれていたんだろうか。その先で、共通の価値観というのは生まれ得るものだったのだろうか。でも結果として、無理だったんだ。

過去と上手く付き合っていくことは、まだ自分には難しいと思った。

もし、別れていなかったら、と思うことが何度も何度もある。別れたあの時点では、別れない選択肢は確実に存在していなかった。はっきり言って少しも好きじゃなかった。早く離れたい、自由になりたいと明確に思っていた。男として見れない。触れられることに嫌悪感を覚える。一緒にいて得られる安心感は恋人としてのそれではなく、友達としてのそれに近かった。連絡もめんどくさい、極力会いたくない、もっと時間を使いたい対象が他にある。そんな風に思っていたし、相手にも正直にそれをぶつけていた。私の中で恋や愛の類のものは完全に終わっていたから、だから別れたのに、それなのに。どうしてここまで自分が過去に、あの人に執着しているのかまるで分らなかった。これは未練では決してない。ただの、執着である。

別れたことへの後悔は、過去は決して変えられないものだからという前提の下に、きっとある。最後の最後の会話。こびりついて離れない。でも、それが、その前提がようやく覆ったのが、最近のことだった。

久しぶりに、恋人ができた。

その、恋人のことが、本当に好きで、おかしくなりそうになる。というか実際にもうおかしくなっている。

毎週毎週、好きを更新していく。

忘れられなかったあの人への好きを超えていることを、実感する。

これでもう比べることも、思い出すことも、悔いることも、しなくていいんだと、心が軽くなる。

会っているときも、会っていないときも、常に心の真ん中に恋人がいる。

ずっとそばにいたい、そばにいてほしい。

好きじゃなくなる不安はない。

好きでいてもらえるか、という不安を抱く自分にほっとする。

恋人との未来が、あの酷く醜い過去を、確かに変えている。蠢くように、どんどん形を変えている。

こんなに人を好きになれる日が来るとは思わなかった。もう、諦めていた。4年かけて灰になった昔の恋が、身体中に散って、舞って、回収しきれなくて。だからもう、絶対に無理だと思っていた。

寂しいとき、寂しさを他の何かで埋めようとする癖がある。でも、今は、好きな人に素直に伝えられるようになってきた。

好きな人を傷つけたくない、好きな人の悲しい顔を見たくないという気持ちが、自然と心を支配する。

誠実に人と向き合うということは、少なくとも私にとっては、字面以上に難しい。でも今は、それが苦痛なくできるようになってきている。

過去は変えらないと、およそ四年前、断言された。

確かに事実としては変わらないかもしれない。でも、その過去の形は、明らかに変わっている。

私は、私の過去を、過去との向き合い方を、変えてくれた今の恋人に対して、自分が捧げることのできる一生分の愛で、どうにか幸せにしたいと思っている。好きな人のことを幸せにするのは、絶対に自分がいい。自分以外の人によって、幸せになるのはいやだ。好きな人を幸せにできるのが、自分だけの特権であってほしい。そのくらい傲慢な愛をもって、私はあなたに恋をしている。

しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?

マチネの終わりに/第四章 再会

私はあなたに値する人間になりたいし、

少しでもあなたの心の支えになりたい。

そのために出来ることなら何だってしたいと思ってる。

いいなと思ったら応援しよう!