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転勤族に生まれた自分の性格形成

出身地や出生地の話になった時、いつも回答に悩む。それは幼い頃から引っ越しを繰り返していたから。

1990年、奈良県で転勤族の家族に生まれた。父親の生まれは大阪、母親は岡山、姉は島根、妹は兵庫。5人家族全員、見事にバラバラ。

生まれて1年ほどで兵庫に引っ越し、幼稚園入園前に今度は神奈川へ。小2で引っ越した埼玉では4年後に兵庫への引っ越しが決まりかけたところで、姉の受験事情を鑑みて父親の単身赴任という形で残留が決まった。結局大学卒業までの15年間、埼玉県民として過ごす。

順応性が高い、心の成熟が早い、浅く広い良好な人間関係、割り切りが早い、コミュニケーション能力が高い。これは転勤族で育った子供に多い性格タイプらしい。自分と当てはまる部分もあるけど、明らかに苦しんだのはコミュニケーション能力。

幼稚園と小1まで過ごした神奈川県では、常に友達の中心で居たい、明るいリーダーというか、若干エゴイストだった。運動も勉強も得意で、戦隊ヒーローごっこをするときには必ず自分がレッド役。そんな自分の性格に良くも悪くも影を落とさせたのが転校だった。

せっかくできた親友たちとの突然の別れ。当時とにかく嫌で、一人で何度も泣いた。家族にも友達にも泣いている姿を見られるのは嫌だから、一人でこっそりと。当事者の子供にとっては物凄く辛い経験だ。

そんなこんなで自分に訪れた小2での埼玉への転校。この地域の小学校では、1,2年生は2年間同じメンバーで形成される。幼い自分は、1年間で既に出来上がった彼らの環境に明るく飛び込むのではなく、あまり目立たずに生きていく道を選んだ。幸い友達はみんな優しくて、休み時間はサッカー、放課後はみんなで野球やゲーム、すぐに輪に入れてくれて、友達はちゃんとできたのに、それでも常にどこかで孤独感と戦っていた。

大人しい自分でいるうちに、段々と人前で喋るのが苦手になった。相変わらず運動や勉強は得意だったけど、とにかく喋ることがダメ。国語の授業で音読することも、人前で発表することも、自分の番が来るたびに鼓動が上がる。答えはわかっているのに、挙手は一切しない。

中学に上がっても、相変わらず喋るのは苦手。でも大人しい人というより、クールな人って言われることが多くて、学校ではヤンチャで目立ちたがり屋の子とも、所謂普通な感じの子とも、大人しい子とも、分け隔てなく仲良くなって、気づけばよく喋るようになってた。

自分は不良じゃないのに、少年院に行っちゃうような不良とも凄く親しくしていて、ある日は一緒に何度も学校を抜け出し、爆竹を鳴らし、窓ガラスを割る。またある日は、チャリで映画館に行き、他のある日には比較的大人しい子たちと、数Aとか数Ⅰ、高校の範囲の英語なんかの話題を楽しんだ。そのまた他の日にはヤンチャ坊主と将来を語りながらラグビーボールを投げ合う。

目立ちたがり屋の立場、あまりしゃべらない人の立場、色んな立場に立ったから、この頃には全体を見られるようになれた。あまり話に入れていない人を見つけると声をかけたり、いじめっ子がいたら「やめようぜ」って言えたり、なんか気づけば成長していた。女の子と話すのは相変わらず苦手だったけど、高校に入って彼女ができてからは、完全に克服。

自分はなんとなく克服できた挫折体験なんだけど、言いたいのは、中には殻を破れずに大人になっても喋るのが苦手な人だっているってこと。みんな違ってみんないいって言葉はその通りだけど、ある意味ではそんな綺麗ごとじゃすまないこともある。喋るのが苦手だと、間違いなく色々なことで不利になる。友人関係、恋愛、更には就職活動や仕事。

転勤族の特徴として上げられる「コミュニケーション能力の向上」は、自分にとってはやっぱり違和感があって、全く逆だなと思う。でも、相手に何を言ったら喜んでもらえるか、相手が今どう感じているのか、心を読んだり、空気を読むことは物凄く得意になったんだよね。よくわかんないけどさ。自然に克服させてくれた色んな人たちに感謝。

そして結局、自分も就職して転勤族になり、都会で働き、ド田舎でも働き、今は海外勤務。7年半の会社員生活で、7回の異動。子供のことを考えると申し訳ない気持ちもあると同時に、たくましく育ってほしいと願う。最後は予定も何もない自分の将来の子供について思いを馳せてみた。

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