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ハンセン病の安倍総理謝罪を「同情の論理」で終わらせるな(4)
▼ハンセン病をめぐる二つの新聞記事を紹介したい。
このテーマは巨大だ。気になったことに随時、触れていく体裁をとる。これまでのメモは以下のとおり。
▼まず、2019年8月1日付の毎日新聞に、内田博文氏の「メディア時評」が載っていた。見出しは
〈ハンセン病差別撲滅 自治体は?〉
熊本地裁の判決は「画期的」だが、「不満な点」ももちろんあって、前半でそれらが簡潔にまとめられている。
▼今回の政府の対応の問題は、「首相談話」と「政府声明」との大きな矛盾だが、それについては、稿を改めよう。
一点だけ。謝罪した「首相談話」に引きずられて、「政府談話」のひどさについての分析がマスメディアに足りなかった、と内田氏は指摘している。同感である。
▼ここでは「自治体」と「住民」について。適宜改行。
〈ハンセン病についての差別除去義務は国だけではなく、地方自治体と住民にもある。被告とされていないからといって免責されるわけではない。
療養所の退所者からは都道府県も除去義務を果たしていないと厳しく批判されている。
ハンセン病差別の撲滅に向けてどんな取り組みをしているか。実効的な取り組みになっているか。ほとんどの都道府県ではこのような自己評価はなされていない。同じく差別除去義務を負うメディアには、このような検証記事も求められる。〉
▼内田氏の指摘は適切だと思う。
国は、犠牲者が死ぬまで、なるべく静かにしておくいつもの手法をとる。自治体も同じだろう。そして、社会もまた。
そのままだと、無知と偏見によって差別して恥じない、はしたない構造は変わらないのだから、新しい「砂の器」をつくるこどもたちが生まれることになる。
変わるきっかけ、最も価値的なきっかけをつくれるのは、マスメディアなのである。
この文章は、見出しの焦点は「自治体」だが、「メディア」が真の焦点だ。
▼二つめに、2019年7月3日付の琉球新報コラム「金口木舌」。電子版では
〈私たちも裁かれた〉
という見出しがつけられた。とても真摯(しんし)な内容だった。
〈屋我地島に愛楽園が開所する前に起きた「嵐山事件」に関する記録を読んだ。羽地村嵐山へハンセン病療養所を建てようという県の計画が住民の激しい反対で頓挫した1932年の出来事を30年後に振り返っている
▼病に対する住民の恐れが文面からうかがえる。もし療養所があったならば「嵐山を水源地として流れている河川の下流の民は安心してその水を掬(すく)いえたであろうか」とある
▼記録が書かれた当時、既に特効薬は開発されていた。それでも「羽地の空に病菌の飛散はとめえた」としても、住民への精神的影響は少なくなかったと書いた。薬では偏見は治癒できない
▼沖縄のハンセン病患者救援に尽くした青木恵哉は事件の翌年、嵐山を訪れた。不便な土地だった。「病者はどこでもよいから隔離しておきさえすればよいという腹だったのだろうか」と著書で県を批判した。患者の隔離政策が偏見と対立を生んだ
▼隔離政策を黙認したメディアの罪もある。60年代、愛楽園や宮古の南静園を無断で離れる患者を指し、本紙は「脱走」と報じた。「警察の留置場に仮収容」すべきだとする医師の談話も載せた。隔離を当然視していた
▼ハンセン病家族訴訟で熊本地裁は隔離政策の過ちを指摘し国の責任を認めた。裁かれたのは国だけではない。患者や家族を差別する側にいたメディアも厳しく裁かれたのだと自覚したい。〉
▼「薬で偏見は治癒(ちゆ)できない」という一言の切れ味が鋭い。科学だけでは心は変わらない、ということだろう。
▼これから日本社会では、優生思想が手を変え品を変え現れるだろう。「ハンセン病差別の根絶」は、必然的にそれらの新しくて古い優生思想に対する闘いになる。その闘いがマスメディアの文面に見られるかどうかは、この社会に生きる人全員が「生まれてよかった」と思い、「尊厳」を感じることのできる社会にするための、一つの道しるべだと筆者は思う。(つづく)
(2019年8月3日)