2つの「生存権」がぶつかっている件ーー医療崩壊か、経済崩壊か
▼日本では、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう「緊急事態宣言」が延長された。2020年5月31日までの予定。5月5日付の各紙は、すべてこの宣言延長を特集していた。
これまでの1カ月とは、まったく違う行き詰まりと不安に、日本列島が襲われている印象だ。自分の思い通りにならないことが増えると、誰かを思い通りにしようとする人が増える。
これからの1カ月間、ひどくなるばかりの差別と暴力を、少しでも減らしたい。そのための情報や論理について考えたい。
▼以下は、毎日新聞に載っていた一節。
〈政府関係者は「首相は本当は一部でも解除できればいいと思っていた」と漏らした。(中略)全国知事会は4月30日、全国一斉での延長を事実上求める緊急提言を政府に提出したが、政府高官は「知事会は解除を求めると思っていた。完全に読み違えていた」と振り返る。〉
▼念のため書いておくと、「政府高官」というのは、3人いる「内閣官房副長官」のうちの誰かだろう。
▼いっぽう朝日新聞では、〈政府関係者によると、首相は4月下旬までに「全国一律の延長はやむを得ない」との判断を固めていた。全国知事会や日本医師会、専門家らの強い要請は無視できなかった。〉という。
▼朝日が報道した首相の判断と、毎日が報じた政府高官の感覚の違いが気になった。国と都道府県との認識の違いは、これからますます深刻になるからだ。
ゴールデンウィーク明けから、都道府県によって、外出制限をめぐる対応が千差万別になっていく。
▼5月5日付の日経がかなり厳しい政府批判を書いていたが、それは稿を改める。
▼コロナは海外でも感染が広がっているから、海外のニュースを読んで、日本国内の「これから」を推測できる場合がある。
極端な例だが、アメリカではこんな事件があった。
〈「マスク着けて」注意した警備員、相手家族に射殺される〉5/5(火) 16:51 朝日新聞デジタル
〈米中西部ミシガン州の日用品店で、マスクの着用をめぐる口論をきっかけに、警備員の男性が射殺される事件があった。地元検察が4日、容疑者の親子3人を第1級殺人などの罪で訴追し発表した。死亡した男性には子どもが8人おり、遺族を支援するためのクラウドファンディングには同日夜までに11万ドル(約1170万円)以上の寄付が寄せられている。
事件は1日午後に同州フリントで発生。店の警備員カルビン・ムネリンさん(43)から、娘がマスクを着けていないことを注意された母親のシャーマル・ティーグ容疑者(45)が、いったん店を離れた後、夫のラリー容疑者(44)と息子のラモニエ容疑者(23)と共に店に戻り、ムネリンさんの後頭部を銃で撃った。ムネリンさんは意識不明で病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。
同州では、密集した公共空間に行く際はマスクなどで顔を覆うことが知事令で義務づけられている。検察官はムネリンさんについて「彼はただ、従業員や客の安全のために知事令を順守させるという、彼の仕事をしていただけだ」としている。シャーマル容疑者はすでに身柄を拘束されたが、ラリー、ラモニエ両容疑者は逃走しているという。(ニューヨーク=藤原学思)〉
▼海外のニュースは、たとえば「国」と「都道府県」との違い、「東京」と「それ以外の道府県」との違い、「大都市」と「地方都市」との違いが、これからどのように現れてくるのか、考えるヒントになる。
海外事情は、他人事ではない。海外の今は「ひと月後の日本」かもしれない。
▼2020年5月3日付の読売新聞。アフリカについて。
〈アフリカ 苦渋の外出緩和/新型コロナ 生活苦に配慮〉(ヨハネスブルク=深沢亮爾)
〈アフリカで、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないまま外出禁止令を緩和する国が出ている。貧困層の生活苦に拍車がかかり、経済活動の再開を優先せざるを得なくなった側面がある。〉
▼具体的に紹介されているのは、南アフリカ、西アフリカのガーナ、カメルーン、そしてルワンダ。
〈いずれの国も感染抑止にめどが立ったとは言えない状況〉なのだが、外出禁止令を解除し始めている。
たとえば南アフリカの〈貧困層の多い地区では、暴動や公共施設への略奪行為、食料配給を巡る混乱が頻発している。景気悪化で失業率が50%に達するとの予測も政府機関から示され、経済活動の再開を求める声が強まっていた。
他の感染症にも悩むアフリカ特有の事情もある。アフリカではマラリアで2018年に約38万人の死者が出たと推定されている。14~16年の大流行で約1万1000人の犠牲者を出したエボラ出血熱は、一部地域で流行している。(中略)「(家庭の収入減で)人々の栄養状態が悪化し、感染症にかかるリスクを高めかねない」(南アフリカのメール・アンド・ガーディアン紙)との指摘も出ている。〉
▼2020年5月3日付の朝日新聞は、アフリカ各国の様子をレポートしている。
最貧国のマラウイでは〈政府が都市封鎖を発表すると「飢えで死ぬより、感染したほうがましだ」と抗議デモが起き、裁判所は4月17日、貧困層への対策が不十分などとして一時差し止めを決定した。〉
〈ナイジェリアでは、食料品を積んだトラックを群衆が襲撃。自営業の男性は「マラリアのような病気では、毎年何十万人が死んでいるのに、外出制限なんてしない。なぜコロナだけ大騒ぎするのか」と憤った。〉
▼もう一つ、アメリカの事情を紹介しておく。2020年5月5日付の朝日新聞から。
〈コロナ 米国の格差浮き彫り/「休めない」黒人たち 首都死者の8割/貧困層多い地区 感染者目立つ〉
▼この記事は、ワシントン、イリノイ州、ミシガン州、ルイジアナ州ニューヨーク市の例を通して、〈黒人やヒスパニック系らのマイノリティーや貧困層の状況〉をリポートしている。
要約すると、白人より黒人のほうがたくさん死んでいる、ということだ。
その理由は4つ。
1)黒人やヒスパニックは、テレワークできない人が多い。在宅勤務できる仕事についている黒人は5人に1人、ヒスパニックは6人に1人。
2)栄養問題。糖尿病などの基礎疾患を抱える割合が多い。
3)地域に医療施設が足りない。
4)医療保険がないから医師にかからない人が多い。
▼日本では、職種による「感染格差」はすでに顕在化している。地域による「感染格差」は、これから顕在化するだろう。収入による「感染格差」もあるだろう。
ウイルスは金持ちも貧乏人も平等に襲うが、その結果は平等ではない。
国連事務総長が、コロナウイルスの最大の被害者は女性だ、という声明を出したが、コロナに感染した社会で、そして感染後の社会で、最も苦しむのは男性ではなく女性だ。
▼最近のマンガに、柏木ハルコ氏の『健康で文化的な最低限度の生活』という傑作がある。日本国憲法の第二十五条には、
〈すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。〉
と明記されている。
医療崩壊を防ぐ、という「緊急事態宣言」の目的は、この第二十五条で定められた「生存権」と関係ある。しかし、「飢えで死ぬより、感染するほうがマシだ」という叫びもまた、この「生存権」と関係している。
どちらも「命が一番大事」という戦後日本の常識に基づいている。
▼政治家の政治的判断によって、「医療崩壊で死ぬか」「経済崩壊で、飢えて死ぬか」という「生存権」同士の衝突が起きる、という事態は、いま日本社会で生きている人の大半は、経験したことがない。
その政治的判断が、「緊急事態宣言」が延長された2020年5月4日以降、47人の知事たちに突きつけられている。すでに、国と都道府県との対立だけでなく、都道府県同士の対立も起き始めている。
とはいえ、「毎年インフルエンザで1万人以上が死んでいるのに、外出制限なんてしない。なぜコロナだけ大騒ぎするのか」と怒る人の声は、まだほとんど聞かない。
いま、日本社会はギリギリいっぱいの淵にいる。
(2020年5月6日)