ネットで極論にハマった人はほぼ救えないと専門家が明言している件
▼おそらくこれからどんどん「極論」が増えてくるので、その傾向と対策について考える材料をメモしておきたい。
世界中で増えている「陰謀論」だけでなく、日本社会で気をつけるべきは、リスクがゼロでないと許せない「白黒」思考であり、「ゼロか100か」思考でもあり、「リスクはゼロですか、それとも人間やめますか」主義でもある。
突然わきおこった潔癖(けっぺき)至上主義は、コロナ・ピューリタニズムともいえるし、神道の「ケガレ」の思想がどうリンクしているのか気になるところだ。
▼思想的な背景については稿を改めるとして、目の前にある危機について。つまり、スマホの画面について。
▼2020年2月28日付の毎日新聞に、「エコーチェンバー現象」の特集があり、アラバマ大学バーミングハム校医学部助教授の大須賀覚氏のインタビューが載っていた。
彼の論旨は、「エコーチェンバー現象の恐ろしさ」という文章にまとめてくれている。
▼毎日記事では、これを上手に要約してくれている。
大須賀氏は、がん患者がエコーチェンバーにハマってしまい、抜け出せなくなってしまうトラブルから、この問題の輪郭(りんかく)を描いている。
一言でいうと、「標準治療を否定し、代替療法だけで治せると盲信=猛進してしまう」現象だ。
この問題の厄介なところは、学歴は関係ない、というより、学歴が高い人ほどエコーチェンバーにハマってしまう、という点だ。これは、「反知性主義」と似ている部分があるのかもしれない。適宜改行と太字。
〈「だまされる人は勉強が足りないからだ」という人もいるが、それは間違いだ。日米両国の調査で、学齢が高く、経済力のある人ほど代替療法に陥りやすいというデータがある。
一生懸命に自分で調べる人ほど、閉鎖的コミュニティーにたどり着きやすい。「私は大丈夫」と思わずに、自分もそうなるかも、と注意することが必要だ。〉
▼つまり、「経済の豊かさ」が「心の貧しさ」に直結しているというのだ。
▼そして、以下が深刻なポイント。
〈「エコーチェンバー」にすでに陥ってしまった患者さんを救うことは大変難しい。代替医療の効果を固く信じ込んでいる患者さんに対して、「それは間違いだ!」と声高に批判すると、攻撃されていると思い、かえってかたくなにさせてしまうことがあるからだ。
むしろ大切なのは「エコーチェンバー」に入り込む前の人や、いったんはその世界に入ったものの、「やはり標準治療を受けるべきではないか」と迷い始めた人たちへの対応だ。〉
▼これは深刻だ。大須賀氏は、具体的な対応策を、エコーチェンバーに入り込む前の人や、迷っている人に対してのみ、進言している。
すでにエコーチェンバーにハマった人に対する対応策は、話していない。
そんなものは存在しないからだろう。
この記事の見出しが〈正しい情報増やすのが急務〉という「当たり前」の話になっているのも、理解できる。
恐るべきことに、ネットで極論にハマった人は、もはや、ほぼ救いだせないのだ。
▼これを少し敷衍(ふえん)して考えてみると、あらゆる社会問題について、陰謀論や、リスクに過剰反応している人に対して、効くクスリはほぼない、ということかもしれない。
▼大須賀氏の文脈に出てくる、「標準治療」という言葉の重みについて、よくよく考えることが大事だと思う。
標準治療とは、数えきれないほどのトライアンドエラーを繰り返し、すでに効果が確認されている治療だ。いわば、その世界で確立された「偉大な常識」である。
偉大な常識は、いつか上書きされることがあるかもしれない。これまでも上書きされてきたように。しかし、だからといって、必ず上書きされるわけではないし、頼りない代物でもない。
ここらへんの感覚が、ズレたり、歪んだりするのが、ネットのこわいところだ。スマホの画面ではなく、「自然」な、「現実」の「生活」のなかで情報に触れるのは、手間がかかるし、ときに非効率であり、ときに価値的ではないように感じる。
スマホのほうが、しばしばスマートに感じるし、時短だし、ストレスフリーである。
その便利さに、ご用心、ご用心。
▼時間の感覚も、空間の感覚も、おそらく、今、変容しつつあるのだろう。技術が進み過ぎて、人間が追いついていない状況は、しばらく続く。
このテーマになると、いつも同じ結論になってしまうのだが、スマホの中に吹き荒れる「極論」の暴風雨のなかで、溺れたり狂ったりしないようにする方法は、残念ながら、スマホの中ではなかなか見つからない。
だが、さいわい、そういう極論に晒(さら)されるスマホ生活について、こういう意味がある、ああいう意味がある、と、心ある人たちが、遭難(そうなん)しないための「ピッケル」を何種類も作ってくれている。
そうした「考えるためのピッケル」を、気づいた時にメモしておきたい。
(2020年6月11日)