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日本は由緒正しい「賭博国家」である件

▼週刊文春の「賭けマージャン」スクープがテレビのワイドショーに取り上げられている。

NHKニュースから、事件の概要。

黒川元検事長の訓告処分 法務省と検事総長が決定 菅官房長官
2020年5月25日 12時22分

〈緊急事態宣言の中、賭けマージャンをしていた問題で辞職した東京高等検察庁の黒川検事長について、菅官房長官は、黒川氏を訓告とした処分は、法務省と検事総長が決定したもので、安倍総理大臣やみずからは、その後、報告を受けたと説明しました。

緊急事態宣言の中、賭けマージャンをしていた問題で、法務省は、東京高等検察庁の黒川検事長を訓告の処分とし、その後、黒川氏は、辞職しました。〉

▼どのメディアもこのニュースで持ち切りだったが、「公序良俗」を振りかざす論調とは一線を画した、とても正直な記事が東京新聞に載っていた。2020年5月22日付の「こちら特報部」から。

新聞記者と政治権力との「ソーシャルディスタンス」をテーマにした特集。その「デスクメモ」が面白かった。

十年以上、事件記者をした。黒川氏と卓を囲んだ三人には顔見知りもいる。つらい体にむちを打ち、お互い夜の町を東奔西走した。それで自分に問う。今、黒川氏から賭けマージャンに誘われたら、どうするか。「きっぱり断る」。そう言えるよう、考えを改めねばならないようだ。(裕)

▼東京新聞のデスクが、もしも検察幹部から賭けマージャンに誘われたら、断るわけにはいかないだろう、という「これまでの本音」を間接的に書いているのが面白い。

これは、百万言の法律論、道徳論を費(つい)やすよりも、わかりやすい道理だ。おそらく他の新聞社の記者にも、(裕)氏と同意見の人がいるだろう。

▼記者は、ネタをつかむためには何でもやるものだ。「3密上等」である。産経の記者も、よく食い込んだなと思うし、朝日の元記者に至っては、記者でなくなっても付き合いが続いているわけだ。見上げたものだと思う。「違法」だけれども。

あと、産経と朝日って、じつは仲良しなんだね。

それらは、とても日本的な慣行だと思ういっぽう、たとえばアメリカの報道業界ならありえないことだ。

その辺の感覚を手っ取り早く知るには、スピルバーグ監督の映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を見ればいい。名優トム・ハンクス氏がソファに沈み込んで語る台詞が、日本とアメリカの政治報道のあり方の違いをしみじみと感じさせてくれる。

▼しかし、「そういう土俵になっている」のであれば、その土俵に上がって勝負することを、筆者はあまり責める気になれない。

唯一の判断基準は「国民の知る権利」だと思うが、これから、賭け金がいくらを超えれば違法なのか、とか、何回やっていれば違法なのか、とか、「国民の知る権利」とはあまり関係のない、不毛な議論が続くだろう。

▼マスメディアには、折角(せっかく)の機会だから、なぜ、人は「宝くじ」や「競馬」をはじめ国家が許可している博打(ばくち)に狂っても裁かれず、国家が禁じている博打は犯罪になるのか、両者はなぜ分けられているのかについて、また、近々日本にできる「IR」(統合型リゾート)という名前の、外資による巨大な賭場(とば)と、少人数で賭博を行う個人宅との違いについて、具体的に何が同じで、何が違うのかについて、解説してほしいところだ。

▼もともと、日本は由緒正しい「賭博国家」であるーーこれは平凡社『世界大百科事典』の「賭博」の項目を読んだ感想だ。

日本は、どれだけ禁止しても、「ばくち」は「諸悪の源」だと定められたり「悪党の根本」だと言われても、博打が流行り続けた国である。尤(もっと)も、これは日本に限らない話だが。

▼『古事記』以来、ものを賭ける行為は綿々(めんめん)と記録されてきた。賭博の最初の「胴元」は天武天皇である。685年、大安殿ですごろくをしている。勝った者には天皇が貴重品を下賜(かし)した。

今なら差し詰め、皇居で天皇陛下主催の賭けマージャン大会をするようなものだろう。

▼中世には、すごろくをした罪で鼻をそがれ、指を切られた人もいた。 時代が下ると、賭博は死刑になる重罪になった(「六角氏式目」)。

罰則はいろいろと変化するのだが、そんななかでも賭博は行なわれ続けた。ちなみにこの項目の解説は網野善彦である。適宜太字。

〈1168年(仁安3)後白河上皇の院中では、〈博奕(ばくち)のほか他事なし〉といわれ、1229年(寛喜1)、将軍藤原頼経が目勝(目増)をしたのをはじめ、公家では侍、雑色(ぞうしき)、牛飼い、武家では凡下から無足の浪人、さらに神官、神人、僧侶にいたるまで、博奕を打たぬものはないといってもよいほど、博奕は万人の間に流行した。

〈賭博を遊戯として楽しむ人々は〈狂言歌謡〉に正月のかるた、将棋、すごろく、丁半が〈よい物〉といわれた通り、子ども、女性をはじめ、むしろさらにその範囲を広げた。また、鎌倉時代から博奕はしばしば〈野山中〉で打たれ、道や辻、河原や市庭(いちば)がその場となったが、祭りの日の寺社の境内など、特定の場ではこの時期も賭博は公然と行われたものと考えられる。権力の強圧にもかかわらず、賭博はこのように絶えることなく万人によって行われつづけたのである。

▼要するに、皇族を先頭に、上下万民うちそろって博打(ばくち)に興じていたわけだ。

なにしろ博打を打つ人は、かつては特殊技能を持つ「職人」であり、立派な「芸能」だった。

「悪党」とか「博徒」の話になるとキリがないので、一つだけ例を挙げておこう。国の重要文化財である「東北院職人歌合絵巻(とうほくいんしょくにんうたあわせ)」(東京国立博物館蔵)の解説文から。

〈建保2年(1214)の秋のころ、東北院の念仏会に参集した職人たちが、貴族にならって歌合をしたという設定で作られた歌合絵である。経師を判者に、左に医師、鍛冶、刀磨(とぎ)、巫女、海人、右に陰陽師、番匠、鋳物師、博打、賈人と、10人の職人が左右に分かれ、「月」と「恋」を題として、各職人が2首ずつ詠って競う五番の歌合が構成されている。〉

▼「博打」は医師などとともに職業の一つであり、「職人」と明記されている。

▼明治に入ると、様子が変わってくる。「自由民権運動」を弾圧するための道具として、賭博の取り締まりを悪用するようになるのだ。

〈関東地方を中心に賭博、博徒は隆盛をきわめ、たとえば群馬県では博徒の親分が5000人、博徒は10万人もいると報告されている。(中略)1884年突然、当該刑法を停止して太政官布告〈賭博犯処分規則〉が出され、取締りが強化されて89年まで続いた。これは賭博抑圧に名をかりて、博徒も無関係でなかった自由民権運動の抑圧をはかったものとも考えられる。

また1879年の教学聖旨で、賭博は酒色、遊興とならぶ悪弊とされた。これら一連の動きは、賭博を娯楽と考えずに犯罪とみなし、不忠不孝につながる諸悪の根源であるとする日本人の賭博観の形成にあずかって力があった。

▼こうやって賭博の歴史を超速で追いかけただけでも、いまの日本社会の「賭博観」は、わずか130年前に、いわば国策としてつくられたものだったことがわかる。

この、近代国家によってつくられた「悪い癖(くせ)」を、検察は都合のいい情報をリークするために使い、記者は特ダネをつかむために使ってきた。

オモテに「スクープ」と書いてある牌(パイ)をひっくり返せば、ウラに「リーク」と書いてあるわけだ。

しかも、もう一度オモテに返すと、それは「スクープ」でなくなっていたりする。逆に、ある意図をもってリークしたつもりが、まったく予期せぬスクープにつながってしまったりもするだろう。

多くのスクープは、リークがもとになっている。なにがオモテでなにがウラか、虚実皮膜(きょじつひまく)の駆け引きそのものが、博打のように楽しい、という関係者もいるだろう。

▼今回の騒動は、「国民の知る権利」を雀卓(じゃんたく)の真ん中に置いて、「マスメディアと検察」との関係について、あれこれと話し合ういい機会である。一つの政権の性格とか、一検察幹部の資質について考えるよりも、よほど価値のあることだ。しかし、マスメディアも取り上げにくいし、検察も取り上げにくい。だから、この問題は深まらないと筆者は思う。

これからしばらくの間は、賭けマージャン以外の「悪い癖(くせ)」を使って、検察はリークの算段を考え、記者はスクープのきっかけを探すだろう。

▼「週刊文春」の賭けマージャン報道のよい副作用として、筆者が思い浮かべたのは、1人10万円の給付金を、なけなしの金であるにもかかわらず、賭けマージャンに使ってしまう人が、もしかしたら少し減るかもしれない、ということだ。

(2020年5月30日)

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