見出し画像

『「いいね!」戦争』を読む(5)「クラウド」の闇は深い件

▼『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』のアマゾンのカスタマーレビューは、2019年6月28日の9時現在でまだ1件もついていない。まだそんなに売れていないのか。値段が高いからかな?

2592円は、読んだ感想としては「とても安い」。流行りの言葉でいえば、「コスパ」が良すぎて「涙が止まらない」、という感じだ。

▼第3章は、ここ10年ほどで、世の中からどんどん「秘密」がなくなってきた現実を辿(たど)っている。

▼第3章の後半は、おもに三つのキーワードが登場する。

「クラウドソーシング」「市民レポーター」「オシント革命」だ。

▼知っている言葉もあるし、聞き覚えのある言葉もあるが、漠然とした、断片的な印象しかない。しかし本書を読んで、「触れば血が吹き出る」ようなリアルな逸話のおかげで、それぞれの言葉の持っている「輪郭」と、深刻な「意味」を感じることができる。

今号は、「クラウドソーシング」について。

▼2008年、インドのムンバイで、10人の殺し屋たちが断続的な同時多発テロを起こす。3日間で164人が殺され、300人がケガをした。襲われたのは〈鉄道の駅、観光客向けの喫茶店、高級ホテル、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)〉。(104頁)

街は大混乱に陥ったが、それだけではない。突然の銃声と、爆発音と、その場でテロに巻き込まれた人と、その人のツイートを見た人と、すべてがツイッターでつながった。

〈ムンバイが一瞬にして交戦地帯と化した予想外の事態にインド当局は混乱し、ジャーナリストが報道規制を受けるなかで、有益な情報の大半を届けたのは自然発生的に生まれたネットワークだった。

ムンバイのオンラインコミュニティがフル回転し、ニュースは共有され、それがたちまちデジタルのエコシステム全体に広がった。

ある勇敢な住民は街頭に出て何十枚も写真を撮影。それをもともとはオンラインゲーム用に開発された画像共有サービスFlickr(フリッカー)に投稿した。ジャーナリズムの慣例に反して、これらのアマチュアカメラマンが撮影した写真が翌日の新聞各紙の1面を飾った。〉(105頁)

「事実」とともに「嘘」も拡散する。〈事実と嘘を分けるオンラインアナリストのネットワーク〉もつくられた。ウィキペディアのムンバイ同時多発テロの項目は、テロリストの最後の1人が殺されるまでに1800回以上も編集された。

▼テロリストたちは、パキスタンのカラチにいる司令官と携帯電話で連絡をとりあっていたという。テロの司令官は、上記のようなムンバイ市民の無数のツイートやソーシャルメディアの書き込みを追いかけるだけで、人の動きやインドの治安部隊の動きが見えた。つまり、ムンバイで次のテロを起こすための標的が、カラチにいながら、手に取るようにわかるわけだ。

〈ついにネット市民はこのことに気づき、インド治安部隊の動きについてはコメントを控えるよう呼びかけた。なかには自らそうしたニュースの取り締まりに乗り出す者もいた。〉(107頁)

こうしたテロに対抗するクラウドソーシングの知見は、他の国でも、たとえば日本でも、新しいテロ対策として生かされていることだろう。たぶん。

▼シンガー&ブルッキング両氏は、クラウドソーシングとは「力の再配分」だと定義する。アメリカ大統領選挙の寄付集めにも応用できるし、シリア内戦を続けるためのクラウドファンディングーーテロの資金源の調達にも応用できる。

目を背けたくなるクラウドソーシングの実例も紹介されている。気の弱い人は、下記の部分は読まずに、今号はここで読み終えることをオススメする。


〈徹底的な情報開示とクラウドソーシングの融合は、おぞましい結果につながりかねない。

2016年、イラクの強硬な民兵組織がインスタグラムで、ISIS戦闘員と思われる男を拘束したと吹聴した。その組織はオンラインの支持者7万5000人に、この男を殺すべきか釈放すべきか、投票を呼びかけた。

暴力的なコメントが世界中から殺到し、アメリカからのものも数多く含まれていた。2時間後、民兵組織のメンバーが結果を知らせる自撮り画像を投稿した。

メンバーの背後の血だまりに男の遺体が転がっていた。画像には「投票に感謝する」というキャプションが添えられていた。

米陸軍の退役軍人でブロガーのアダム・リネハンによれば、これは戦争における新奇な進化の象徴だった。

ネブラスカ州オマハのトイレにいる男が、トイレから出るときには手を18歳のシリア人の血に染めていてもおかしくない」〉(110-111頁)

▼これを読んだ人は、同工異曲がすぐ思い浮かぶだろう。たとえばトイレの中で、スマホ越しに会ったこともない誰かを罵倒し、相手を社会的な死や、自殺に追いやった場合。

肝心なことは、そのあと相手がどうなったか、自分が自殺に追いやったのかどうか、スマホ越しで罵倒した本人は必ずしも知っているとは限らないし、すました顔をしてトイレを出た後は、もはや関心すら消えている場合がある、ということだ。

クラウドソーシングを使って人格攻撃をした場合、攻撃を加えた本人の責任は、分散して限りなくゼロに近いかのように錯覚してしまう。

『「いいね!」戦争』を読むと、「倫理」とか「道徳」とかが、大きく変質している最中だということが実感できる。

(2019年6月28日)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集