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痛みはどこへ向かうのか

加齢もあってか、去年はぎっくり腰もどき、年始は早々に左肩が五十肩もどきになり、数日間の激痛にあって、本当に痛みの無い生活のありがたさを実感した昨今。

先日の五十肩もどきになった原因は、最初は重いものを持って体を捻ったことが原因だろうかと考えた。それも1つではあっただろうが、もう1つは背中に冷風(加湿器からの送風)を受け続けたことの関係があったんじゃなかろうかと、回復してきた今になってみるとそんな気がしてきたので、昨日、加湿器の起き場所を変えた。ダイニングテーブルの私の定席の真後ろ五十センチのところに、送風口を私の背中に向かって置かれていたシャープの加湿空気清浄機を、テレビの隣に移動。

首の付け根から肩甲骨辺りまで冷えて固まっているなと感じたのは、激痛初日。お風呂に入って温めると若干痛みが軽くなることに気づいて、日々お風呂でいつもよりしっかり暖まり、カイロを肩に貼って過ごす日々。日毎に少しずつ回復してきて、1週間ほどで痛みがほぼ気にならなくなった。いっときは、食事をするのも苦しいほどに痛かった首回り。パソコンに向かうも5分もすれば、肩がカチカチに固まって、姿勢を保つのが難しい。

肩や腰などに痛みが起きる時は決まって、自分の何かを無理させている時で、感情を押さえ込んだり、心の疲れを溜め込んでいたりで、精神状態が良く無いのだった。こういう時に私に必要なのは、徹底的に心身ともにたった一人になれることなのだが、このコロナ禍で、体は一人になれる時間は増えているが、心はそうはいかず、、、。不調サイクルが加速しがちなのだった。

溜め込んでいるストレスの1つは引越しのことで、うれしがる当人とは裏腹にわたしの心は重い。その心の重さがなぜか深刻すぎる、タスクの多さを考えると気力がなぎ倒されるようで、こういう気力の低下も更年期由来なのか。

振り返れば、この6年の間、結構な距離の引越しを何度か経験していて、引越し以外にも空き家の片付けもあったりで、引越しにかかる工数って結構なもの。
ここ最近はこんな感じ。F県ではクライアントになt
2020年 引越しなしだが、S市⇄O市を週に3回往来。
2019年 F県→S市&O市(S市⇄O市を週に3回往来)
2018年 S市→F県
2014年 k市→S市

転勤族の家庭は2年に一度の引越しを繰り返し、1週間でまとめてしまうという話を聞いたので、そういう気持ちでやるしかないのだが、今回は本当に気が重い、、。

やれやれ、ちょっと心のうちを吐き出したので、少し元気になれそうな気がしてきたかも。


今の私に、足りないものは多分、あれ、自分のビジョンを現実化させる妄想のため孤独の時間。
しかし、どうしても日常の雑事と、心にグサグサ刺さったトゲで痛みがなかなか取れず、妄想に集中できない。

そうそう、心に刺さったトゲの別名は愛情とも言うらしい、エゴやら不安やらがこんがらがった愛情は、時々猛威を振るうのだ。
どうも、大事なことは不安にさせないことらしく、過去の経緯を考えると、そうなるのもやむなしとわかってはいるが、自分の体調が優れないとどうしても先に自分を癒したくなって自分だけに集中してしまう。これは、私の自分を守るための防御本能みたいなものだろう。

仏弟子になって十数年、良くも悪くも、生老病死と言う不変と共に人はあり、そこからは誰も逃れられないとわかって見れば、未来の不安に今を占領されてしまうことは結局自分を不幸にするだけ、善は遠のいていくだけ。

一人では生きられない、けれども人は誰にも自分の人生を預けることはできない。自分の人生を生きるために、誰かを支え、誰かに支えられる。

不安に未来を占領されないためには、今に集中。今に集中!



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