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TRPGシナリオを書くには

TRPGとは卓を囲む友人とともに物語を作っていくゲームだ。

私はTRPGが好きだが、文章を読むことが苦手なので他人が書いたシナリオをまわすことができない。したがって私がGMないしKP、DLをやるためには私自身がシナリオを書く必要がある。

私がこれまでに書いたシナリオは数本である。また、文章を読むことが苦手で、表現力も乏しい。それでもTRPGシナリオの作成について私なりに考えていることを書いてみようと思う。このnoteに書かれていることは、プロのような気高い精神を持たず、ただ趣味としてシナリオを書く人間の方法論だ。


とりあえず書く、書き上げる

私は中学生の頃、流行りのライトノベルを読んで小説家になりたいと思った。そこで私が取った行動は「ライトノベルの書き方」が書かれた本を読むことだった。しかし、それから十年、私はシナリオを一本も書き上げることができなかった。壮大で深い作品作りたかったからだ。

十年もの間、私は「シナリオを書きたい」と思い続け、書こうとしては自分の考える拙い作品に飽き、己の非才を痛感していた。そのうち、シナリオに限らず、絵や音楽など創作活動を行う人に対して劣等感と嫉妬心を抱くようになった。

そんな私の処女作は苦しみの中で生まれたものではない。

私は私という人間に失望し、一人でシナリオを完成させることはないだろうと感じていた。そこで私は、シナリオを書きたいと考える同好の士を募った。そして集まったメンバーで「期限までに書き上げることができなければ罰を受ける」という企画を行った。

結果からいえば私も含めて期限内に書き上げることができたメンバーはいなかった。全員が最終日になるまで「ぼくのあたまにあるさいきょうのシナリオ」を求めて何もしていなかった。最終日になってようやく「これはマズい。拙くていいから何かを書かなければ」と作業通話に集まったのだ。そして私は一晩で処女作ほとんどを書き上げた。

拙くていい、その心境の変化が私の処女作を生んだのだ。

処女作 ソード・ワールド2.5シナリオ『チャントヤン・ナイト』
https://talto.cc/projects/AkVCOZ8n2_mG0cvImxyOz

"Done is better than perfect"とは蓋し名言だ。

この世にない作品を遊んでもらうことはできないが、拙くても完成させた作品は遊んでもらうことができる。

私の好きなTRPGシナリオライターが書いたシナリオも、後に修正点が817箇所見つかった。そのシナリオはCоC界隈で人気のあるシナリオだが、日本語の拙いところや誤字などがそれだけあった。

最初から完璧である必要などなく、面白いと思うシナリオアイデアがあるなら拙くてもいいから完成させる。まずは書き上げるのだ。

見覚えのある展開にする

知らない展開は書けない

私はシナリオを書くときに、ついつい「誰にも想像できない展開」を書きたくなる。だがそんな展開のシナリオを書くことはできない。「誰にも想像できない展開」は私にも想像できないからだ。

そもそも、TwitterやYoutubeのサジェストによって作られた私が知っている展開というものは、多くの人にとって見覚えのある展開だ。他人のシナリオを読まないのだから、シナリオ展開のレパートリーが少なくて当然である。

ここで私がシナリオを書くために取ることのできる行動はふたつだ。ひとつは、より多くの作品に触れ、外に出かけて経験を積むことである。シナリオを書くときだけではなくTRPGを遊ぶ上でも様々な経験をしておくことが重要であるという言説は、しばしばTwitterで見かける。

もうひとつは王道展開を愛することだ。「誰も想像できない展開」が書けないのならば「誰もが想像できる展開」を書けばいい。

私は後者を選んだ。

その点で、ソード・ワールド2.5は私が書くのに向いているシステムといえるだろう。冒険者ギルドで受けたクエストをクリアする。この展開に収めておけばシナリオのなるのだから。

クトゥルフ神話TRPGやエモクロアTRPGは「何らかの事件に巻き込まれ、対処する」という展開こそ決まっているが、なぜ巻き込まれたのか、どうなれば終わりなのかなどの自由度が高く、私が最初に書くシステムとしては向いていなかった。

目新しい展開を書かなければならないという強迫観念に悩まされている人はソード・ワールド2.5がおすすめだ。また、クトゥルフ2015にはシナリオグラムが用意されている。これを参考に展開を決めてもいいかもしれない。

スタートとゴールを決める

シナリオを書くときにはまず「スタート」と「ゴール」を決めよう、という教えがある。そのふたつのギャップを埋める要素を考えていけばシナリオが完成するからである。だが私にはこれが難しかった。

多くの人が興味を持つようなスタートはどのようなものか。やはり流行りは刑事シナリオか。刑事シナリオであれば事件にも巻き込みやすい。しかし私は警察について何も知らない。であれば別のスタートを考えなければ……。

どのようなゴールであれば楽しんでもらえるのか。私自身はハッピーエンドが好きだが、流行っているのは「情緒」とやらが刺激されるやつらしい。エモとは何だ。既に失った大切なものに対しての憧れと寂しさか。どうやったら作ることができる……。

というようにウケるスタートとゴールとは何かと延々と悩んでいた。面白さが保証されていないものを作るほど、私は私のセンスを信じていなかった。

スタートとゴールが決まればシナリオができることに間違いはない。しかし目新しさを求めるとスタートとゴールの設定が難しくなる。

私の友人には「刀持ってダンスバトル!これが本当の刀剣乱舞だ!」だとか「ダムナティオ・メモリアエを防ごう!」だとか、奇想天外なシナリオを考えつく人間がいる。彼の作品は読んでも回っても面白い。

しかし、そういった奇抜なアイデアが思いつかない時には、システムが用意しているスタートとゴールのテンプレートに沿って作成したほうが完成しやすいだろう。

描写は短く、わかりやすく

ボイスセッションをやっている時に、GMの描写を聞いて「つまり何が言いたかったんだ?」となったことはないだろうか。私はある。音声から情報を得ることが苦手だからだ。

特にクトゥルフ神話TRPGでは情報を咀嚼できないことが多い。クトゥルフ神話の文は「名状しがたき」だの「冒涜的な」だの、とにかく修飾語が多く、一文が長くなりやすい。

悪夢のような、黒っぽい玉虫色の臭くて伸縮性のある柱状のものが、にじみ出るように這い出てきた……その体は原形質の小泡でできた不定形の塊であり、体全体から微光を発していた。

H.P.ラヴクラフト「狂気の山脈にて」

この文を読み上げられて場面が瞬時に思い浮かぶだろうか。この一文だけならば、まだ思い浮かべることができる人もいるかもしれない。しかし、同じような文が二文、三文と一息に読み上げられたらどうだろう。十全に理解できる人は何人残っているだろうか。

小説と比較して描写を聞き返すことはハードルが高い。もちろんテキストセッションであれば何度も読み返して理解することができるだろうが、ボイスセッションでは描写が読まれるのは基本的に一度きりだ。

その一度で理解できるように、わかりやすい描写を書くことは重要である。

確かにクトゥルフ神話らしい「名状しがたき宇宙的恐怖」を志すのであれば原典に近い文が書きたくなるだろう。しかしTRPGのシナリオとは読むだけでなく、セッションで発話されるものだという意識を持っておきたい。

ただし、先の文を「ちょっと光っている、石油っぽい色のくっさいスライム」と書いた方がよいという話ではない。聞いた時に理解できるものか、書いた後に音読を行ったほうがよいという話だ。

残念なことに、このように書きかえたらよいという正解はない。わかりやすさと叙情性のバランスはとても難しい。

川端康成の『雪国』には「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という名文がある。主語と述語がはっきりさせることは、わかりやすい文において重要だ。しかし、この文の主語と述語は、はっきりとしていない。そこで「汽車は長いトンネルを抜け、国境を越えて雪国に出た」というように主語と述語をはっきりとさせるとどうだろう。元の文から情緒が失われてしまったように感じる。

描写は短く、主語と述語をはっきりとさせ、わかりやすくしたほうがプレイヤーには伝わりやすい。しかしながら、全ての描写をわかりやすくする必要はない。叙情的な文は情報としての理解は難しくとも、感情としての理解には大きく役立つことがある。

文章を書く能力は自転車の乗り方のように、方法だけ知っていても体得できるものではない。わかりやすい文章の書き方を意識しつつ、とにかく書くことが大事だ。ペダルを踏まなければ自転車が前に進まないように、書かなければ筆は上達しない。

テストプレイを行う

シナリオを書き上げて満足してはいけない。TRPGシナリオは書いて完成するものではなく、遊んでもらって初めて完成するものだ。

テストプレイはやらなければならない。必ずといっていいほど不具合が見つかる。あの場面で何をすればいいかわからなかった、つまらなかったと言われることもあるだろう。

テストプレイは怖い。自らの拙作のために友人の時間を割いているのだ。友人にとってよい時間とならなければ、と考えるとテストプレイから逃げたくもなる。どんなに自信がある作品でも不具合が見つかるのだから、そのセッションが必ず楽しいものになるとは言えない。

しかし、テストプレイを行わなければ、その欠陥によって嫌な思いをするのはあなたの知らない誰かになるだろう。もちろん公開しなければそんなことすら起きないが、遊んでもらえないシナリオは永遠に未完成である。

シナリオを完成させるためにはテストプレイを行い、そこで得た感想を真摯に受け止めることが大事だ。また、テストプレイで不快な体験をさせないために、責任をもってシナリオを書くことも重要である。

セッションの楽しさはシナリオが一割、卓を囲む仲間が九割作っている、という言葉もある。しかし、樽いっぱいのワインに一滴の泥水を入れただけで全てが泥水となるように、シナリオのせいで楽しい時間が損なわれることはある。

そうならないためにもテストプレイは行わなければならない。

全ては楽しいセッションのために

私はこのようなことを考えてシナリオを書いている。

他にも「NPCが主人公にならないように気をつける」だとか「食事シーンで個性を引き出す」だとか、細かなこだわりはあるのだが、長々と書くほどのことでもないので省略した。

TRPGの楽しみ方は千差万別である。ダイスによる一度限りの物語が好きな人もいれば、プレイヤーキャラクターらしい行動をしたい人もいる。ロールプレイを重視する人もいれば、ゲームとして最適な行動を目指す人もいる。

シナリオ一割、参加者九割。

楽しいセッションを行うためにはシナリオを書いたり、探したりするよりも、一緒に遊んでて楽しい友達を作ることが重要だ。

もしあなたが書いたシナリオで「楽しくなかった」という感想があったとしても、シナリオのせいとは限らない。趣味で書く分には、気の合う友人を作って、身近な人に楽しんでもらえればそれでよいのだ。

だからこそ、その数人を楽しませるために面白いシナリオを書こう。

秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』より


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