普通の呪縛から解かれたい
私は「普通」が好きだ。
安心するし、居心地がいいし、なによりもその言葉が持つ肯定感がすごい。
でも、一方で「普通」でいることに不安を感じている自分もいる。普通にいたら、目立てない、自己実現できない、一目置かれる人にはなれない、そんなところからきているくだらない焦りだ。
さても、大前提として、「普通」とは何だ。
私にとっての普通は、あなたにとっての普通ではない。私は大人になれば働くのが普通と思っていたけど、夫はそうでもないらしい、そんな感じに。
とはいえ、社会的になんとなく、「普通」と表現されることがある気がする。
生まれて、学校に行って、就職して、結婚して、子どもが生まれて、退職して、死ぬ。そう、こんな感じのこと。
山口周さんが「思考のコンパス ノーマルなき世界を生きるヒント」のなかで、「普通が溶けてきている」と言っている。これから先、今まで人類が経験したことがない、人口が減っていく時代に突入していくなかで、これまでの普通はどうしたって瓦解していくのだ。
人口減は、ボディーブローのようにジワジワと効いていくので、今日、明日でぱっきりと変わらないからわかりづらいけど。
そう、私の子ども達が生きるこの時代には、誰かが決めた「普通」はなくなるのだ。
自分で自分の「普通」を決める時代が、もう手の届くところまで来ている。
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