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【卒論シリーズ】IRIAMライバーにとっての「身体的アイデンティティ」とは何か?

山野弘樹著『バーチャルYouTuberの哲学』より

バーチャルYouTuberとしてのアイデンティティ

 山野は「バーチャルYouTuber」を定義しようとする試みの中で、次のような定義を行った。ある存在が「バーチャルYouTuber」として活動を行うということは、「バーチャルYouTuberとしてのアイデンティティ」を保持しながら活動するということである。「アイデンティティ」とは、「〇〇であるような自分こそが自分である」という仕方で獲得される、統合的な自己理解のことを指す。
 バーチャルYouTuberとしてのアイデンティティは、以下に示す3つの概念が成立し、一体化することで構成される。

①身体的アイデンティティ(モデルとの身体的連動)

 バーチャルYoutuberとしての「身体的アイデンティティ」は、リアルの身体とバーチャルの身体リアルの身体の連動によって、リアルの身体からバーチャルの身体へと感覚が移入する「身体移転」によって成立する。身体転移が成立することで、バーチャルYouTuberはバーチャルの身体を「自分の身体」として認識するようになる。山野によれば、この概念は、配信者(VTuberの中の人)のアイデンティティとバーチャルYouTuberとしてのアイデンティティが分離する最初の契機となる。

わかりやすく言うと、Live2Dモデルを納品された直後のVTuberが「ワイの身体が動いたらコイツの身体も動くやんけ!なんかコイツの身体がワイ自身の身体みたいに思えてきたンゴねぇ……」と思う。これが身体的アイデンティティの成立過程です。

補足

②倫理的アイデンティティ(名前への自己移入)

 バーチャルYouTuberとしての「倫理的アイデンティティ」は、バーチャルYouTuberとしての名前に対する他者からの呼びかけに対して応答的な姿勢を保つことによって成立する。すなわち、バーチャルYouTuberとしての倫理的アイデンティティとは、「私は○○というバーチャルYouTuberとしてここに存在している(=ここに存在している私は配信者自身ではない)」と暗に宣言されることによって獲得される自己理解である。山野によれば、この概念は、配信者としてのアイデンティティとは厳密に区別されるものである。

わかりやすく言うと、VTuberがコメントやリプライ等で「ワイちゃん!」と呼び掛けられた時に「ワイやで〜!」と応答する行為の繰り返し。これが倫理的アイデンティティの成立過程です。また、「配信中のワイは中の人ちゃうから中の人の名前で呼び掛けられても答えられへんで!」というのもこれに該当します。

補足

③物語的アイデンティティ(配信活動を通じた自己定立)

バーチャルYouTuberとしての「物語アイデンティティ」は、配信者としての人生史とバーチャルYouTuberとしての活動歴の乖離によって成立する。この概念は、配信者のアイデンティティとバーチャルYouTuberのアイデンティティが重複しつつも区別される必要性を示す。

わかりやすく言うと、VTuberが「ワイは現実では相変わらず教室の隅っこで黙ってるだけの陰キャやけど、VTuberとしては色々な思い出作れたやで!そう考えると、もう現実のワイとVTuberとしてのワイは違う人生歩んでるみたいなもんやなぁ」と思う。これが物語的アイデンティティの成立過程です。

補足

IRIAMライバーにとっての「身体的アイデンティティ」とは何か?

 倫理的アイデンティティ及び物語的アイデンティティは、バーチャルYouTuberやIRIAMライバーも含む広義の「バーチャルライバー」にとって、半自動的に獲得可能なものであるように思える。バーチャルライバーとしての活動を続けることはそれ自体が物語的アイデンティティの成立過程と見なすことができ、そこではバーチャルライバーとしての名義での呼び掛けに応答し続けること(あるいは実名での呼び掛けを拒否・黙殺し続けること)が当然のように求められるからだ。

"バーチャルYouTuberにとっての身体的アイデンティティ"を前提として考えるIRIAMライバーの身体的アイデンティティ

 では、身体的アイデンティティについてはどうだろうか。今日バーチャルYouTuberにとっての「身体」はLive2Dモデルが一般的であり、比較的高度な身体的連動が前提となっている。一方で、IRIAMライバーにとっての身体はイラストが一般的であり、AI技術の向上によって身体的連動の度合いを高める取り組みが行われ続けているものの、ここで発生する身体転移は"バーチャルYouTuberにとっての身体的アイデンティティ"の成立に必要とされるほど高度なものではない。
 筆者自身のIRIAMライバーとしての経験から、その根拠を以下に記述した(前提として、筆者は2021年10月3日から活動準備を開始し、2021年10月22日から2024年6月3日までの約2年7か月の間、実際にIRIAMライバーとして活動していた)。第一に、イラストの身体を基本的に「(自身の)立ち絵」と呼称していたことである。第二に、IRIAMでの配信中にイラストの身体の挙動に異常が発生した際、「立ち絵の挙動がおかしい」と認識していたことである。しかし、筆者によるこのような言動は、Live2Dモデルの身体を使用するようになった2023年10月以降で明確に変化した。Live2Dモデルの身体を使用するようになってからは、身体転移が成立した実感に基づいてIRIAMライバーとしての身体を「(自身の)身体」と呼称するようになり、挙動に異常が発生した際にも「身体が上手く動かなくなった」と認識するようになった。
 とはいえ、実装条件の厳しさから、IRIAMライバーにとってLive2Dモデルを使用した配信は一般的ではない。では、多くのIRIAMライバーは「IRIAMライバーとしてのアイデンティティ」の成立が不完全なままIRIAMライバーとして活動していることになるのだろうか?いや、そんなことはない。

筆者が考える"IRIAMライバーにとっての身体的アイデンティティ"

 筆者が考えるIRIAMライバーにとっての身体的アイデンティティは、倫理的アイデンティティに近い過程で成立する。すなわち、IRIAMライバーとしての身体的アイデンティティとは、「私はこのような容姿を持つIRIAMライバーである」と提示することによって得られる自己理解である。その上で、AI技術による身体的連動はあくまでも身体的アイデンティティの成立に対する補助として働いているとするのが妥当であろう。

IRIAMライバーにとって「身体的アイデンティティ」は重要か?

 しかし、そもそもIRIAMライバーにとって身体的アイデンティティは然程重要ではない可能性がある。
 バーチャルYouTuberの場合、その身体として一般的なLive2Dモデルの制作には「パーツ分け」という工程があり、その副産物として、新しい衣装を着用したモデルを実装する際にも顔のパーツは共通のものを使用することであたかも実際に"着替えた"ように見せることが可能である。また、何らかの都合によりイラストレーターが変わる場合、視聴者にはそのことが「重大なお知らせ」として告知されることが多い。一方で、IRIAMライバーの場合、新しい衣装を着用するためには基本的に全身を描き直してもらう必要があるため、時の流れに合わせて顔立ちの変化が産まれたり、時にはイラストレーターが変わることでまるで別人のように見えたりする。この違いには、自身の「身体」に対する意識の違い、ひいてはバーチャルYouTuberとIRIAMライバーの「身体」に関する文化の違いを見てとることが出来る。すなわち、IRIAMライバーは「身体」そのものよりも「身体の構成要素」を重視しているのであり、ある意味では"アイコン"として自身の身体を認識しているのではないだろうかということである。
 IRIAMにおいては、音声のみの「ラジオ配信」という配信形態が存在する。中央に表示されたアイコン以外に視覚的情報の無いラジオ配信では、IRIAMライバーとしての身体は全く映らないのであるが、そこにおいてもIRIAMライバーはIRIAMライバーとして振る舞うのである。

まとめ

 以上の内容より、IRIAMライバーとしてのアイデンティティは、基となったバーチャルYouTuberと同様に身体的・倫理的・物語的アイデンティティによって構成されるものではありつつも、プラットフォームやそこに根付いた文化の違いによって変質したものであると考えることが出来る。そして、その変質は主に身体的アイデンティティに見出すことが可能である。IRIAMライバーにとっての身体的アイデンティティとは、「私はこのような容姿を持つIRIAMライバーである」と提示することによって得られる自己理解であるが、それは常に重視されるものではなく、流動的かつアイコン的に用いられるものである。

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