広島の原爆ドームで聞いた「受け取る人のことを考えて言葉を発する」という話。
獣医を初めて辞めた四月、私は次の就職先が決まると同時に広島へ行くことにした。ずっと行きたかった広島へ。行くと決めて数日後の出立。新幹線で行く広島は、思ったより遠かった。
原爆ドームの周辺には、ボランティアで解説してくれる地元の人がいる。園内に飾られた千羽鶴を見ていると、私も話しかけられた。
「よければ案内するよ」
眼鏡のおじさんは、もともとライターをやっていたのだと言った。文章を書くのが好きな私は、書く仕事ができることがうらやましいと、おじさんに言う。言葉で人の心を動かすことができたら。自分の本当に伝えたいことが、まっすぐ人に伝わる文章が書けるようになったら、どんなに素敵だろう。
おじさんは原爆ドームや園内のオブジェについて説明してくれる。広島で他に行きたい場所があるかを聞かれ、私は持ってきたリストを出した。
「なんか、おすすめ場所みたいなのを紹介してもらって…」
「見せて」
「あ、でも私が作ったリストじゃないので、いい場所かどうかとか分かんないです」
そう言って私がリストを渡すと、おじさんは言う。
「それは、自分が作ったリストだったら良い場所なんだけど、他の人が作ったものだから良くないかもしれないってことかな?」
おじさんは眼鏡の奥の目を細めて言う。
私は驚き、右手を振って慌てて否定する。
「いや、いや、全然、そんなんじゃないです。地元の方から見てどうかわかんないっていうか」
「ふふ、分かるよ、意地悪を言ったね。でもね、言葉を扱うっていうのは、そういうことなんだっていうのを、分かって欲しかったんだよ」
おじさんは近くの階段を指さす。私はおじさんと横並びになって、階段に座る。日が落ちてきて、風が少し冷たく肌寒い。木が揺れて葉がこすれる音がする。
「大事なのは、『自分が本当にそう思っている』っていうことなんだ。人は、言葉だけでコミュニケーションしているわけではなくて、本当にささいな選択や、間の取り方や。そういういろんなものを使って自分の本心を伝えているんだ。だからね、たとえば言葉だけをいくら取り繕ってもダメなんだよ。丁寧に声をかければそれで伝わるわけじゃない」
それと、おじさんは深く息を吸った。
言葉が繊細なのは分かる。
でも、おじさんのいうことが、うまく理解できない。具体的な例を知りたいと思って、私はおじさんにそう聞く。
「じゃあ、キミのすごく仲がいい友達を思い出して。きっと親しく話すでしょう? それが急に敬語になって、キミに対してやたら丁寧に話しかけてきたらどう思う?」
「うーん、、何があったんだろうって。何かあったのかなって思います」
「嫌われたかな? 距離を置こうとしてるのかなって思わない?」
「思います」
「でも例えば、同じような話し方を今日会った人がしても、そうは思わないでしょ?」
私はうなずく。おじさんは言葉を止めて、少し考えてから言う。
「そうだ。さっきのリストの話。『自分が作ったわけではないから、いい場所かわかんない』っていう言葉の裏には、キミの「へんな場所でも自分のせいじゃない、地元の人にこんなとこ行くのかって思われたらやだな」っていう気持ちが出ているんだよ。ごめんね、こういう自分の本心を知るのは抵抗があるはずなんだ。キミが言葉の感覚を知りたいと真剣に思ってるのを感じたから、話しているよ」
私はもう一度うなずく。言われてみるとそのとおりだ。とっさの言葉だったから、あんまり考えていなかったけど、もしもリストがいいものだと自分で思っていたら「ぜひ見てください、こんなところに行くんです」と言えたはずだ。
「自分の発する言葉に自分が騙されないことだよ。自分がどんなに美しい言葉を使ったとして、その言葉を自分の真実だと思ってたとしても、自分の本心がそこになければ、周りの人は言葉には騙されない。キミの本心は言葉を含むすべてを使って、周りの人に伝えられている。そして自分の言葉に、自分だけが騙され続ける。言葉だけでなく、自分の行動や選択したものを振り返ってごらん。自分の本当の心がそこにある。本心がまっすぐであれば、表面の言葉が多少間違ったってかまわないよ。だからね、まずは自分の真実を整え、知るんだ」
私は自分自身を振り返ってみる。ここに来たこと。就職が決まってから旅を決めたのはきっと、就職が決まるまでは無駄にお金を使えないと思っていたからだ。素敵ですね、楽しみですって言っておきながら、誘われた時に行かなかったこと。それは本当に楽しみに思ってたことなのか。働いていた病院のことを考えて言ったつもりだったことは、本当は自分の存在を示したかっただけなのでは。
振り返ればたくさんの恐れと、保身と、社交辞令と、自分をいい人に見せようとするために使った言葉たちが思い起こされる。
「なんか、自分のダメなところがいっぱい思いついて、すごく悲しくなってきました」
おじさんは優しく微笑んで言う。
「うん、それが第一歩だよ。そしたらね、何も隠す必要はないんだ。ごまかす必要は。できないことを言って自分を追いつめる必要もないし、自分をよく見せる必要もない。ただ、自分の本心に沿ったことを、『相手のことを思いながら伝える』んだよ。
自分のダメなところが思い起こされて悲しい。
その言葉を聞いて、僕は悲しくなった。なぜなら、そう思わせてしまったのは僕だからね。でも僕は、キミが僕を責めたくて言っているわけではないことは、もちろん分かっている。だって、キミが悲しくなったのは、僕が言ったことをその場ですぐにやってくれたからだ。それは僕がいうことを信頼して、自分の本当の心を知りたいと心から願ったからだ。だからね、キミが言葉を発するときに、もしも僕のことを少し考えて、
今まで自分がごまかしていたことが思い出されました。自分の本心に気づけて本当によかったです、ありがとう。
って言ってくれたら、どうだろう?「ダメなところが思いついて悲しい」はキミがキミのことを考えて発した言葉だ。だけど、「気づけました、ありがとう」は、キミがキミの本心に沿って、僕のことも考えて発した言葉だ」
私は、二つの言葉のあまりの違いに、刺さるような痛みを胸に感じる。そうだ、私が発する言葉は、私のことだけを考えた言葉だ。それは、私を大事にしてください、というメッセージ。他の人のことを、考えたことなどなかった。そうだ、いつも自分のことだけだった。
私は強く目をつぶって、歯を食いしばる。涙があふれそうになって、声が出せない。おじさんは何も言わず、空に目を向けて、ただ隣に座っている。それから私はこう言う。
「ありがとう、ござい、ました!」
言葉で人の心を動かすとは、たぶん、こういうことだ。 言葉で人の心を動かすとは、たぶん、こういうことだ。
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