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感動がないと人間は生きていることを実感できないからなのかも、とかいろいろ考えました

大量のエンタメが無料で手に入るようになって、感動は安くなったのかもしれない。

そんなことを考えた。

昔は一冊の本を繰り返し読んだし、ゲームやマンガも同じものを何度も楽しんだ気がする。いつの間にか、一度読んだものを何度も読むのは時間がもったいないと感じるようになった。

作業中にながら聞きできるようなものでない限り、同じ動画は何度も見ない(聞かない)し、マンガも本も一回読めば十分になった。それよりは新しいものを知りたいという欲求がある。

自分が繰り返して味わうものは音楽くらいだ。

同じように自分が創るものも「一回で十分」になってしまうのだろうか。たくさんの創作物を通過しつづけている自分が創るモノだから、自分の作品が通過されてもしょうがないといえばそうかもしれない。

でもたぶん、通過しようとしても仕切れないような深みが作品に備わりきってないのだろう。

どうしたら繰り返し味わいたいと思えるのか、どうしたら傍に置いておきたいと思えるのだろうか。

音楽は自分を心地よい気持ちにさせてくれるものだ。感覚的にいい気分になれる。とても手軽に。だから繰り返し聞く。

絵本のように短いものなら繰り返し読むかもしれない。哲学的な問いかけなら、何度も読もうと思うかもしれない。

繰り返すかどうかは、手軽に見られる場所にあるかどうかも関係してそうだ。音楽はボタンをポチればすぐに聞ける。絵も飾ってあれば毎日見る。でも紙の本を開くのはそれよりはちょっと手間が多い。

よく考えたら、感情が揺さぶられる度合いの強い作品は、そのシーンに限って繰り返して読むかもしれない。泣いたり笑ったり、そういうのがとてもしたくなる時があるのは、感動がないと人間は生きていることを実感できないからなのかもしれない。

たくさんのエンタメを次々と漁りたくなるとしたら、それは自分が生きていることを実感できてないからなのかもしれない。

自分の作品を繰り返し見たり読んだりするかと言えば、そういえばそれもあまりしないかもしれない。前につくったものの反省はするけど、それよりは自分が次につくるものを見たい気がする。

そういう意味で、すごくリピートしているのは「みじんこ」だけかもしれない。

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繰り返し味わいたくなるのは、それをとても愛しているからなんだろうなとみじんこを見て感じた。

繰り返せるもののことを自分が愛しているとするなら、どういうものだと他者に愛されるものになるのだろう。

音楽のように心地よさを与えてくれるものか。
キャラクターのように、ほんわかした気持ちをくれるものか。

あるいは、みんなに愛されてるから愛される、みたいなこともあるかもしれない。

そこまで考えて、自分はもしかして愛することも愛されることも得意ではないのかもしれないと思い立った。自分自身のことを、繰り返し味わいたいと思うかというと、よく考えたらそうでもない。少なくとも、みじんこほどかわいいやつとは思っていない。

自分をもっと客観的に眺めて、おもしろいなぁ、続きが気になるなぁ、次は何をやるんだろう、とか興味をもって見ていられるだろうか。・・・そうでもない。

何をしたら自分自身を繰り返し味わいたいと思えるほど愛せるのだろうか。たぶん、もっとおもしろい作品をたくさん作ってくれたら愛せる気がする。そういう条件をつけている時点で、ぜんぜん愛してない気がするんだけど、おもしろいものをつくるっていうことを、どうやら自分は自分に期待しているみたい。

っていうあんまり内容のないことをだらだら考えたのでメモしておきました。


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みじんことオーマ
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