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ピアノのレッスンを泣きながらサボった時に公園で出会ったおばあさんがしてくれたこと
小学生の時、ピアノを習っていた。正確に言うと「習わされていた」。
たぶん女の子だから、という理由でいつの間にか習うことになっていて、家にあった足ふみのオルガン練習していた。正確には、ほとんど練習はしていなくて。練習を人に聞かれるのが嫌だった自分は、誰もいない時に少し音を出すくらいだった。
オルガンは足でふむところが空いていて、中によく「宝物」を隠していた。引っ越すときには、オルガンの中から松ぼっくりや白い石、シールなんかが、ほこりにまみれて出てきた。
ピアノは嫌いだった。
時間に行くと、前の子がレッスンを受けていて、部屋にある漫画を読みながら待つ。みんなすごく上手に思えて、下手くそな自分の演奏を聞かれるのがイヤだった。学校では女の子はみんなピアノを習っていて、バイエルのどこまで進んだとか、よく話していた。私は楽譜を見ても音符の長さは全然わからなかったし、ピアノを習っていて唯一、楽しいと思えたのは、全部弾けるようになった後に楽譜に貼ってもらえるシールだけだった。
ピアノを休みたくて、レッスン日の火曜日には「熱っぽい」とよくウソをついていたけど、母親にはちゃんと見破られて、楽譜と一緒に家を出されていた。レッスンに向かう自転車をこいでいる時に、泣きながらハンドルを噛むくらい、いやな日だった。
ある時、レッスンのお休みの日を一週間違えたことがある。レッスン日を休みと勘違いして行かず、本当の休みの日に先生の家に行ってしまった。先生は見てくれると言ってたけど、私は「休みの日に悪いから」とすぐに断る。内心は二週も休めてラッキーだと思っていた。でも、そのまま家に帰るとサボってるのがばれると思い、公園で少し休んでから帰ることにした。
少し日が暮れて色が変わり始めた空に、カラスの声がいくつか重なる。私は自転車を置いてブランコに腰かけ、空を見ていた。毎週火曜日がくるのが憂うつだったし、自分がすごく下手くそなのをいちいち確認しに行かなきゃいけないのが悲しかった。
公園の近くの家の窓から、誰かが体を乗り出しているのが見えた。その時、ふいに声をかけられる。小さな白い犬を連れているおばあさんだった。
「何かあったの?」
ちょっと上品な感じの、白髪のおばあさんだった。腰が少しだけ曲がっていて、笑い方がやさしい人だと思った。
「ピアノがね、やりたくないの」
言いながら、涙がこぼれた。小さい私はブランコのくさりをつかむ手に力を入れる。顔がぐしゃぐしゃになってるのを感じて、より涙が抑えきれなくなる。
「あらあら、どうして?」
「だって、みんな上手なのに、全然上手じゃないもん」
「そうなの。たくさん練習してるのにね」
「ううん、してない」
「どうして?」
「下手だって思われたくないから」
「そう。誰かにそう言われたの?」
私は口をつぐんで黙り込む。いくつかの場面が思い浮かぶけど、何より自分自身で「下手だ」って思っていた。おばあさんは私の気持ちを察したのか、隣のブランコに座った。連れていた白い犬が、おばあさんの足下のにおいを一生けんめいかいでいる。
「ピアノは好きなの?」
わかんない、私は答える。
「すごく上手に弾ける人がいたらどう思うかしら?」
「…かっこいいなって思う」
「自分がそうなれた時を想像できるかしら?」
私は首を横に振る。
「そうかそうか。そしたらね、ピアノじゃなくてもいいの。これからね、『こんな素敵な人になりたいな』『こんな風になれたらいいな』ってイメージがつくものがあったら、それをやるといいわ。どこでどんな表情でどんなことをしていて、それがすごくいいな、かっこいいなって思えるものがあったら、きっと練習もがんばれると思う」
おばあさんは私を見る。私の表情を確かめてるようだった。
「みんなね、みーんな最初は下手くそだったのよ。それで恥ずかしいなって思ったり、できなくてやだなって思ったりしてるの。それでも上手になれたらいいなって思うから、練習するのよね。そうやって練習自体が楽しくなれたら、どんどん上手になるわよ」
「最初っからうまいほうがいい」
練習なんかしたくない、私はそう言う。
「ほんとそうよねえ」
それからおばあさんは、私のピアノをたくさんほめてくれた。もうこんなところまで習ったの、いつも一人で自転車通いしてえらいわね、とか。才能があるんじゃないかしら、絶対すごく上手になるわよ、そんな感じで。私はつい笑顔になってしまいそうなのを隠そうと、乾いた涙を手でこする。
おばあさんと別れ、家に帰ってから、私は少しだけピアノを練習した。
本当に少しだけ。
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