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第二章 - 二人の王子8

 肋骨に沿うように割かれた皮膚から、背骨の内側が見えている。通常詰まっているはずの臓器が一つもなく、背骨を挟む筋肉がむき出しになっている。ネズミの喉元の皮膚がひしゃげた形に切り裂かれているのに、アサは気づいた。その傷に見覚えがある。
アサはネズミに近づいて、空になった身体の中を見た。腹部の皮膚は肋骨に沿ってきれいに左右対称に切り開かれている。アサは目をつぶり、右手をネズミの腹部の中に入れる。背骨の横の筋肉に指先が触れ、冷たく固い感触が伝わってくる。
「準備をしましょう、時間がありませんよ」
 ネズミの声でアサは顔を上げ、手を引いた。それから赤子の黒い毛を少し切ってから布で丁寧にくるみ、ネズミの空っぽの身体の中に乗せる。ネズミがコートのボタンを留めると、赤子の姿は完全に隠れた。幸い、赤子はよく眠っていて泣き出しそうな様子もない。
 アサは付き添いの白犬と一緒に予備のタオルを丸めてゆりかごの上に乗せ、切り取った黒毛が少し見えるようにさらにタオルでくるんだ。医師たちは近くのゴミ箱に液体を捨て、ゆりかごの中がはっきり見えないように周囲に立った。
「サラ、この方たちと一緒に行って、あの人の家に案内してくれる?」
 サラと呼ばれた付き添い犬は、医師たちに頭を下げてから、アサとネズミに「行きましょう」と促して部屋の扉を開けた。
「客人の看取りもあり、滞りなく終わりました。ご遺体は本日中に密葬となります。王妃様は大変お疲れでしばらく一人にしてほしいとのことです。護衛の者は部屋の外で待ちなさい」
 もともと室内にいた護衛兵は部屋を覗く。医師の手にあった注射器はすでに空になっており、ゆりかごの膨らみからは黒い毛が見える。
護衛兵は扉の脇に立ち、アサたちに去るように促した。サラ、ネズミの後から衛兵に囲まれたアサがつづく。医療棟から外通路を通って大聖堂内に入った時、アサはネズミとサラに声をかける。
「わたし、ちょっとお腹が減ってきたから、食堂に行きたい」
「では、私は市内見学に行ってきますので、また夜にでも」
 監視がついているのはアサ一人だ。アサがここに留まれば、二人は自由になる。ネズミはアサの意図を察してそう言った。
「後から行くかもしれないけど、どこに行くつもり?」
「時計塔の下に、おばあさんの道と呼ばれる小さな路地があります。その街道沿いに『犬の踊り子』という酒場がありますから、そちらに。もし私たちがいなければ、店主に聞いてください」
「はーい」
 アサは三人の衛兵たちに囲まれながら聖堂の地下から食堂へ向かい、ネズミとサラは大聖堂から外に出た。サラは近くの青い車を止め、二人は車に乗り込む。車が宙に浮いて走り出してから、ネズミはコートのボタンを開け、サラに赤子を渡した。
「残ったお医者さんたち、大丈夫でしょうか。信頼してよい方々ですか」
「ご心配なく。私はエレナの妹です。それとあの医師の一人は私の恋人なんですよ。お二人がいらっしゃる前から、殺さずになんとかできないかと皆で考えていたところなんです」
 二人は酒場に寄ってアサへの伝言を残し、路地の先にある小さな広場を抜けて、明るい黄色の建物の一階部分に開いた路地を通って、緑色の縞模様が描かれた建物に囲まれた中庭に出た。サラは右側の建物の一つの扉を開け、階段を上がって三本の線が入った扉をノックする。扉の上部にある細長い窓が開くと、前に会った黒犬の顔が見えた。
「サラか、開ける」
 内側から鍵を開ける音がして、扉が開く。入ってすぐ右の小さな部屋の壁には数種類のナイフがかけられ、巨大なナタが黒い砥石の横に立てかけられている。正面にはキッチン兼用の水場。奥に少し広い部屋があり、ネズミたちはそこに通された。身体の大きな黒犬の物にしては狭いベッドと、小さな机の上にエレナと二人で写っている写真立てが置かれている。
「座るところがなくてすまないな」
 黒犬はガウルと名乗ってネズミに握手を求めてから、二人をベッドに座らせ、自分は背もたれのない丸い作業椅子に座った。サラは自分がここに来た事情をガウルに説明した。双子が生まれたが、片方の子が脳死しており、もう片方の子の脳を移植したこと。子を殺せという王の命令に背き、ここまで逃げてきたこと。
「あなたの子です。エレナとあなたの」
 サラはそう言って赤子をガウルに渡す。ガウルは慣れない様子で子を抱き、顔周りの匂いを嗅ぐ。赤子はガウルの太い腕の中で目を覚まし、黒い瞳をガウルに向ける。
「エレナに、似ているかな、瞳が少し」
 そう言って顔を寄せたガウルの鼻先に、赤子はいきなり噛みついた。ガウルは顔を後ろに反らし、赤子を抱く腕を身体から遠ざける。赤子は鼻にしわを寄せ、唸りながらガウルの腕や顔にさらに噛みつこうと、足をばたつかせる。サラが慌てて子をなだめようとするが、赤子はサラにも敵意を向けてくる。サラは赤子に優しく声をかけ、ガウルから子を受け取って身体を揺らす。サラの腕に移る瞬間にも赤子はガウルに噛みつき、ガウルの腕には血がにじむ。
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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