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「夜の案内者」死のない町9

 後ろで数人の鳥たちが小声で騒いでいる。「ぼくも名前欲しいのに」「古い決まりを守る必要とかある?」
 中心にいた鳥が首を後ろに向けて高い声で一喝する。鳥たちは静かになった。
「この町には『死』などなかったのです。それに付随する悲しみも。あなたがそれを持ち込んだのです」
 言葉が強くなる。眉間とくちばしの端に力を込めて、鳥はつづけた。
「この町は一つの生き物のように生きていたのです。私にはそれが心地よかったのに。私は先人たちと同じように、砂の向こうに消え去りたかったし、若い鳥たちにもそうあって欲しいと思っています」
 鳥は左羽を振って岩場を下りていく。他の鳥たちも後につづいて飛び去り、岩の穴に戻っていく。しかし、群れに加わらずに十人ほどの鳥が岩場の上に残っている。
「ぼくも、鐘の音を聞いてみたいです」
「私は名前が欲しい。自分の名前」
「わたしたちは遠くまで旅をする種族で、世界に点在する町と町を繋ぐ役割をしていたと聞きます。鐘が鳴らなくなってから、わたしたちはこの岩場に囚われるようになってしまった」
「方法があるなら、試してもいいんじゃないかな。このまま暮らしていても何か変わるわけでもないし」
「鐘を鳴らし、ぼくらの誇りを取り戻そうっ」
「見たことがないところへ行きたい!」
 集まったのは若い鳥たちのようだ。彼らは他の人たちを説得すると言い、岩場へと飛び去って行く。アサとネズミはティルクの眠る木の下に残された。
「どうして、あの鐘は鳴らなくなってしまったんでしょうね。昔は鳥たちの目印になっていたのに」
 アサは時計塔を見ながら唇を少し噛み、岩場の上に座り込んだ。
「どうしました?」
「少し、後悔してる」
「なにをです?」
「この町には、もともと自分たちなりの秩序があったんだよね。わたしは自分に沁みついた常識の中で生きているから、身近な人が死ぬのはとても悲しいって感じる。だけど、それって、わたしだけが正しいって思ってるだけのことかもしれないから」
 この町に『死』を持ち込んでよかったのか、アサは葛藤していた。眉に力が入り、口を閉じたままのアサを見ながら、ネズミは話し始める。
「猫さんの町を覚えてらっしゃいますか」
「うん、最初に着いた町だよね」
「はい。あの町で、私は手を洗ったのです。部屋の洗面台で。そこにね、小さな虫がいた。蛇口のすぐ近くにです。あまり気にせずに水を流したら、あっという間に水と一緒に流れて行ってしまった」
 ネズミは自分の小さな両手を開き、こすりながら見る。
「でもね、何にも感じなかったんです。私自身が驚いてしまった。虫を、私は生命だと分かっていたのに、私が殺してしまったのに、なんの罪悪感もありませんでした」
「わたしもそうだけどなぁ。虫ってなんかさ、いきなり顔にぶつかってきて、そのまま死んじゃうとかあるよね。かゆくてこすったら腕で虫が死んでたとか。なんで驚いたの?」
「生命の重さは神様にとっては同じなのかもしれないけど、私にとっては違うのだって気づいてしまったのです。短い間しか過ごしてませんが、ティルクの死も悲しい。私は涙を流すことはないのですが、空っぽの身体が絞られるような感じがします」
 ネズミは右手で黒いコートの上から胸を押さえる。
「私たちはどこまでが生きていて、どこまでが死んでいる、あるいは生きていないのでしょう。この木は生きているんでしょうか。なら、砂は。あの時計塔はどうでしょうか」
 アサは時計塔に目を向けた。止まったままの黒い針が日を反射して光っている。
「私が流した虫は生きていたのか。・・・そして私は」

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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