「夜の案内者」死者のための手術4
「先生!何があったんですか!」
「床で滑って棚にぶつかってな、棚の上の酒瓶が落ちてきて、棚のガラス戸が割れて」
左腕に長く深い傷がついていて、まだわずかに血がしみ出している。頭部の出血は止まっているようだ。ザミルはタンに落ち着くように言うと、左腕を押さえながら診察室に入ってくる。ザミルの姿を見たアサは、傷口を洗うのを手伝い、ザミルの腕に包帯を巻く。腕だけでなく指も傷つけたようで、応急処置で貼ったらしい絆創膏がすでに血の色をしていた。
「先生、指は動かせますか」
ザミルは左手を動かすが、指先がわずかに震えている。
「手術は・・・、延期しないといけないですね」
「いや、彼女はすぐに手術をしないと命に関わる。麻酔の管理は儂がやるし、横で見ててやるからお前がやるのなァ」
「・・・ぼくには、無理です!」
「しかしなァ」
「無理です!」
タンはそう言って診察室を出て行く。二階に上がる荒い足音が診察室にまで聞こえてくる。この病院は手術室と診察室が一緒になっている。アサがマラを見ると、彼女は手術台の上で呼吸を荒げながら不安そうにザミルを見ている。丸椅子に座っていたザミルは立ち上がり、マラのそばに行って軽く手を取る。
「すまんねェ。心配いらんからなァ。ちょっとだけ待ってなァ」
マラはうなずき、ザミルの手をわずかに握り返す。
「着替えを手伝ってくれるかねェ」
ザミルに声をかけられたアサは、ザミルと一緒に診察室を出て行く。別室で血の付いた服を脱ぎ、清潔な手術着に着替え直すのを手伝いながら、アサはザミルに聞く。
「この腕じゃ、手術は難しい?」
「この町には医師が少なすぎる。やりたがる者もいないんだねェ。儂が育ててこなかったのがいけなかったよォ。タンは何度も見てるんじゃが、実際に手術をしたことは数回しかないからねェ」
ザミルが手術をしている間、タンは麻酔を管理していたため、助手に入って手術を学ぶ機会がほとんどなかったのだ。
ザミルが手術室に戻ると、アサは一人で二階に向かった。一番奥の部屋から声が聞こえる。わずかに開いたままの扉から、声が聞こえる。できないできない、やりたくない、無理だ無理だ無理だ無理無理無理。隙間から覗き込むとタンが床に座り込んで膝に顔を埋めている。アサが扉を弱く叩いてから「はいるよー」と声をかけると、中の声が止まる。
アサは部屋の中を覗き込まないように時間をかけて扉を開け、もう一度声をかけてから顔を見せる。
「入るけど、いい?」
タンは座ったまま顔を上げて、こちらを見ていた。目の周りの毛が濡れている。アサは部屋に入ってゆっくり扉を閉め、そろりと近づいて、タンに並んで座る。
「やりたくないよねー、怖いもんね」
タンは答えずに、目の周りを膝に押し付けて拭っている。
「分かるよ。わたしも医者やってたから。天才でも神様でもなかったからなぁ」
アサは膝を抱えて軽く身体を揺らしながら話す。
「点滴して、抗生剤打っておけば、すぐにどうにかなることはないんじゃないかな。その間に、ザミルの腕も戻って手術できるようになるだろうし」
本当は、彼女の身体に待つ時間はないとアサには分かっていた。今、誰かがやらなければ、確実に、彼女は死ぬ。
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。
▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1