「夜の案内者」第三章 -遺伝子の贖罪 2
カカは中央通路を歩き、長尾驢の様子を注意深く観察していく。
「美しいでしょう。多くの生き物の中から、ぼくがこの虫を蘇らせた理由をあなた方にも分かってもらいたい。彼らは何も悪さをしない。ただ、他者と共に生きるだけです。ぼくはね、気がついた時から、ずっとここにいたんです。一人でずっと。だから彼らの、誰かの存在がなければ生きられないような生き方に感動を覚えるのですよ」
アサが返答に困っていると、ネズミが赤い乗車券を出し、列車が出発するまでここに泊めてもらえないかとカカに聞いた。
「ほうほう、『探求者』さんですか。ずいぶん昔にもいらしたことがありましたよ。部屋はたくさん空いてるのでご自由にどうぞ。奥の扉を出て右側を好きにお使いください」
「私たちより前に来た方が?」
「ねえ!その人って、何か言ってなかった?この世界から出る方法とか」
「そう言ったことは特に何も」
「他の人と一緒じゃなかった?」
「いいえ」
一人で来たということは、『案内者』と一緒ではなかったのか。それならば『案内者』はどこへ消えたのだろう。
「まだここにいらっしゃいますが」
「会わせて!」
「奥の扉を出て左に行くと突き当りに階段があります。そこを上ったところに図書室があるんですが、そこにいますよ。というか、すでにはく製にしてしまったので、その窓際の席に座っています。ぼくは図書室にいることが多いので、彼がいてくれると嬉しいのです。大事な友人ですよ」
図書館の奥が自分の部屋なので、そこだけは入らないように言ってから、カカは仕事に戻る。アサとネズミは部屋の奥の扉を出て、左側の通路を道なりに進む。この研究所は小さな中庭を囲むような造りになっているようだ。道の左側にいくつかの部屋があり、研究資料や実験道具などが置かれている。液体の入った薬瓶が並ぶ部屋、手術室のような大きな作業台とスポット照明のある部屋、冷蔵、冷凍のできる部屋に顕微鏡や保温器がある部屋。
通路の突き当りに階段があり、階段を上ってすぐのところに扉が開いたままの図書室があった。どの棚を見ても赤っぽい蔵書が並んでいるだけで、本の見た目に違いがない。アサが一冊の本を抜き出して開くと、四つの記号が繰り返し書かれているだけだった。他の本を取り出してみるが、その本も記号の羅列のみ。別の棚にある本を引っ張り出してみるが、その本も同じだった。
図書室の奥に行くと、中庭に面した窓際にローテーブルと革のソファが置いてあり、その横の椅子には人間の男性が座っていた。男性は向かいの椅子を見つめた姿勢で止まったままだ。身に着けた白いシャツに青いジーンズには埃がかぶった様子もない。カカがきれいにしているのだろう。男性の目じりにはしわが刻まれ、金色の髪の毛の一部は白くなっている。長い足を組みその上に組んだ手が乗せられている。表情は穏やかに見えるが、目の前で手を振っても反応がない。
「知っている方ですか?」
「ぜんぜん。探求者って言ってたよね。てことはこの人、あなたと同じってことよね。なら、この人が連れてきたはずの案内者はどこへ行っちゃったんだろう」
アサは周囲に目をやり、手掛かりがないかどうかを調べ始める。几帳面に並べられた本の中に、一つだけ背表紙の色が黒いものがあった。その本を取り出すと、それは英語で書かれた日記だった。この研究所に来てから書かれたもののようだ。庭で植物を育て始めたことや、石壁の修復をしたことなど、他愛のないことが書かれている。日記は半分も書かれておらず、ほとんどが白紙のままだった。文字が書いてある最後のページには「もう十分だ、見つかった」と大きく書かれていた。
アサは本を棚に戻し、壁や天井、床にまで注意を払ったが、彼に関係するものは見つからなかった。ネズミに声をかけるが、同じように手がかりを探していたネズミも首を振る。テーブルの近くには小さな扉があったが、この扉は開かない。カカの自室だろう。
アサとネズミは図書室を離れ、研究所の右側に向かった。彼が暮らしていたなら、そちらに何か他の手がかりがあるかもしれない。長尾驢の入った瓶のある部屋の前を通り過ぎ、通路を左に曲がると、小さなキッチンルームがあった。キッチンには必要最低限の鍋や皿。割れたカップ。三つの椅子と高さの合わないテーブルが二つ、背もたれが腐りかけた椅子が一つ。外庭に向かう窓から光が入ってくるが、窓は小さく灯りはそれだけだ。
この世界に来てからまだ一度も夜を見ていないが、夜が来たら部屋はかなり暗くなりそうだ。窓から空を見ると、日はさらに高く上っているが、まだまだ上がりそうだ。
キッチンの横にトイレとシャワー室、それから客室がつづくようだ。部屋は二段ベッドと小さな机だけの簡素なもので、全部で五室あった。通路の突き当りにあるのは備品が詰まれた部屋のようで、タオルやシーツ、トイレットペーパーなどが置いてあった。置き去りにされたまま誰も使っていないようで、タオルもシーツも湿った埃の匂いがする。生活していたのなら、彼の服や持ち物がもっと残っていてもおかしくない。しかし、そのような痕跡はどこにも残っていなかった。ただ、トイレのすぐ隣の部屋のベッドに、英語で「すまない」と書いた傷が残っていた。
ヒトのはく製を自室近くに置くほど寂しがりのカカが、男性の暮らした痕跡を消すとは思えなかった。男性が自分で片づけてから死んだのか。それとも男性が連れてきた『案内者』がやったのか。今は情報が少なすぎる。
===
小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。
▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1
ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!