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第二章 - 二人の王子7

「一度着替えて、王妃に会いに行くよ!」
 アサは小声でネズミにそう言うとドレスの裾を両手で持って中央通路を抜け、自分の部屋に駆け戻る。ネズミと監視役の衛兵たちも彼女の後を追った。部屋に戻ってドレスを頭から脱ぎ捨てると、アサはいつもの服装に着替えて医療棟へと向かった。足の遅いネズミは、部屋まで戻ったところで着替えたアサと鉢合わせになり、豪奢なコートのままアサの後についてくる。
 アサは医療棟一階の通路にいた白衣の犬に王妃のいる場所を聞き、静止も聞かずに王妃の部屋に飛び込んだ。部屋に入るなり、「あなたに話が!」と言い、荒れた呼吸を整える。部屋の大きな窓からはまぶしく光る木々が見えた。窓ははめ殺しになっていて開かないようだ。
衛兵たちがひと息して追いついてきて、部屋の入り口から中を覗きこむ。王妃は管のついたままの赤子を抱きかかえ、中央の大きなベッドに横になっている。ベッド脇に白衣を着た立ち耳の犬が二人。手には赤い液体の入った注射器と透明の液体の入った注射器が入った銀のトレーを持っている。扉の近くには王妃の護衛らしき灰色の犬が立っている。あとは王妃の付き添いの白犬だけだ。突然、部屋に入ってきたアサのことを全員が見ている。
「すぐに立ち去られよ」
 灰色の犬が鼻頭にしわを寄せながら赤い瞳でアサを見つめる。
「ごめんだけど、あなたが出て行って。それで外で他の兵士さんたちと待っててくれる?わたし、彼女と話がしたいのね」
「何を勝手な」
 アサは肩にかけた小袋から黒の乗車券を出す。
「わたしは王の客としてここにいるの。無礼はどっち、外で待ってて。あなたたちも、この部屋から外になんて出られないでしょ。逃げないから外で待ってて」
 アサは自分を監視している兵士たちに声をかける。そこに追いついたネズミがやってきて、大きく扉を開けて中に入りながら、室内にいた王妃の護衛兵を外に誘導する。
「失礼。私は中に入りますよ、彼女の付き添いですから」
 アサは王妃のベッドにゆっくり近づきながら、床に片足をついて両手を組む。この町の礼儀がどんなものかは分からないが、自分が王妃にとって敵ではないことを伝えないといけない。しばらくその姿勢で頭を下げていると、王妃はアサに言った。
「なにか、わたくしに御用でしょうか」
 アサは膝をついた姿勢のまま、両手をほどいて顔を上げる。
「あなたの名前は?」
「・・・エレナ」
「そう、わたしはアサ。よろしくね」
 近寄ると、王妃エレナの白い毛が光るように美しいのがよく分かる。繊細にちぢれた毛が光を反射しているようだ。それに雪のように白い。エレナは夜のような黒い瞳でアサを力なく見返し、小さくうなずく。
「その子、いったん、本当のお父さんのところに返せないかな」
 アサは立ち上がりながら話し始める。
「わたしがここに着いたばかりの頃、黒い毛の人に会ったの。聖堂の中から出てきたところで。数日前の話なんだけど知ってる?」
 エレナは黒犬が来たのは知っているが会うことはできなかったと言う。もう二度と会わせてはもらえないだろうと言い、彼女は赤子を抱きしめ直した。
「もし、その薬でこの子を殺そうっていうなら、少しだけ待ってくれない?死んだことにして生かす道もあると思う」
 アサは二人の医師がもつ薬を指さし、王妃に近づいて小声で言う。王命があってからの動きが早い。あまり時間はなさそうだ。
「このまま、その子はわたしが連れていく。そして必ずお父さんに預ける。信用してくれるならだけど。あんたたちだって、せっかく助けた子どもを殺したくなんかないでしょ」
 アサは二人の医者に目をやる。
「ですがどうやって。外には兵士たちがいます。抱きかかえて出て行けば見つかってしまう」
 アサは周囲を見渡す。赤子を入れて隠せそうなものは部屋の中にはない。
「私のコートの中に隠して連れていきましょう」
 ネズミがそう言って前に出る。それからネズミは、首元からコートのボタンを自ら外していく。ネズミが両手でコートの裾を持って開いた時、エレナが小さく悲鳴を上げた。コートを開いたネズミの身体の中には、なにもなかった。

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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