ナメクジが教えてくれる「死」の定義について
ナメクジ研究の第一人者の方の本を読みました。
まず最初にお伝えしておきたいのは、カタツムリとナメクジは全然違うということです。そして再生能力がすごいけど学習能力もあって、明るすぎる場所とか臭いものとか、イヤな場所はちゃんと避ける傾向があり、イヤなことがあると選択に悩むらしいのです。(かわいいな)
ナメクジの話でとても興味深かったのはこちらです。
ヒトでは脳の役割とみなされる記憶などの機能を、脳以外の神経部位に振り分けているような動物が存在することを思うと、臓器移植を考える際に避けて通ることのできない「脳死はヒトの死か」という問題が持つ難しさに気づかされます。(84ページ)
ナメクジの記憶は脳だけでなく、触覚にも保持されています。ただし、学習した後で前脳葉を破壊し、再生後に覚えているかテストしてみても全く覚えていません。
それでも、脳以外に記憶を保持する機能がある生物がいるということは、人間でも脳以外の部位で記憶を持っていて、脳死だとしてもその人の記憶は保持されているかもしれないと考えることもできます。
記憶がもしも、手の細胞とかに残っていたら、脳死していても完全に「死んだ」とは言い切れないのではないか。まだ調べられてないだけで、そういうことがあるかもしれない。
そうなると、いつから「死」が始まるのか。
自分が死んだと思い込む病気で、コタール症候群っていうのがあります。
完全に生きているのに「死んでいる」と本人は思っているというとても不思議な状態です。本人の存在がなくなると、「死んだ」ような気がしてしまいますが、もしも生死が「原子レベル」で考えられた場合、誰も死なないんですよね。ただ、原子があちこちに移動しているというだけで。
生きていることや死んでいることが、自分が勝手に信じていることに過ぎないとするなら、「死」も自分で決められるのかもしれません。それは、肉体的な死というわけではなく、自分で死んだと決め、死んだ状態で生きることもできるということです。「死」は定義に過ぎず、定義できるのは自分しかいない、という感じの考え方です。
他におもしろかったナメクジや他の生物の特徴として
・ナメクジは頭部でも光を感知することができる。
・多くの昆虫には紫外線が見える
・赤外線を感知できる蛇がいる
・ある種のシャコやトンボは数十種類のオプシンをもっているため(人は3種類のみ)、極彩色の世界を体験してそう。
・プラナリアは上半身と下半身を分断しても脳のない下半身に新しく目や脳がつくられて結果的に2匹になる。
なんかがありました。
こんな記事もありましたが、カタツムリはコンクリートも食べるらしいですね。おもしろい、、!
医療ファンタジー小説の第二弾を書くために、生物の特徴や病気などについて調べ中でした!
生物の構造や反応はとても興味深くて、よくできてるなぁと思うばかりです。