3月の月曜日「365日」
今日が何の日か。いまやネットで調べれば、すぐに判明するだろう。毎日が何かしらの日だ。かなり無理矢理な語呂合わせだったりする場合もあるけれど、きちんとした由来がある日もあったりする。でも知らなければ別になんでもない日だ。ただの一日、他の日と変わらない、一年365日あるうちの一日。一人暮らしを始めてから、年中行事の類は一切やらなくなった。実家にいた頃は、学生だったこともあり、そういった季節の催しを少しはやったりしていたけれど、一人暮らしだと、わざわざやるのも却って面倒だし、別にやらなかったからって、何がどうなるわけでもない。若いころは浅はかにもそういった行事をあえてやらないことが、世間一般の慣習に囚われない、自由な態度であると勘違いしていたきらいもある。まぁ、若さの馬鹿さというか若気の至りだったのだけれど。自分の誕生日ですら、そんな風に思っていた。
でも今は違う。娘の誕生日だ。今年で四歳になった。あれから四年経ったのだ。こんなに喜ばしいことはない。ただの365分の1ではない。特別なフラグの立った、特別な日だ。この日を迎えるために、他の364日があるといっても過言ではない。お正月やクリスマスよりも、他のどんな日よりも、自分の誕生日よりも、何よりも特別な日だ。
今年も万難を排して、この日に臨んだ。職場の共有カレンダーに色を付けていたら、女性の同僚から、「もしかしてこの日は娘さんのお誕生日ですか?」とバレてしまった。照れ隠しで、「この日にくだらないトラブルを起こしたら人事評価を下げるゾ」と冗談で言ったら、「組合に通報しますネ」と返されてしまった。あらためて字面で見ると、このご時世になかなか緊張感のあるやりとりだけれど、あくまで冗談で、それが通じる関係性の間の会話である。相手の方が一枚上手だった、ということが言いたかっただけなので、本気にしないように。
そういえば、妻と結婚前に、都庁の展望台に出かけたことがある。まだ付き合い初めで、二歳下の彼女がまだ僕に敬語で話していたころだ。観光スポットといえど、一応は都庁なので、エレベータに乗る前に警備員の方が持ち物検査をするのだけれど、その列に並んでいるときに、僕がこれまたつまらない冗談で「持ち物検査あるよ〜。大丈夫? 拳銃とか持ってきてない?」と言ったら、妻は「今日は置いてきたんで大丈夫デス〜」と笑顔で即レスしてきた。頭の回転が速い人なんだな、と感心したことを覚えている。別に惚気話をしているわけではなく、こういったクソ下らない冗談を言ってしまうようなしょうもない男でも、一応は結婚して娘の四歳の誕生日を祝えたりするものなのだなぁ、と我ながら感慨深いという話だ。ちなみに今、同じようなことを言っても、フン、で済まされると思う。
当日は屋内遊園地的な場所に遊びに行った。大きなバルーンのすべり台がいくつもあるところで、本当に楽しそうに遊んでいた。そういう場所ならではの、巨大ブロックで遊んでいるときに、娘がふと「きょう、おたんじょうびだから、ここにつれてきてあげたい、っておもったの?」と言ったので、「そうだよ」と答えた。なんだかとても可笑しかった。