見出し画像

8月の木曜日「当たり障りのない会話」

 研修だった。このご時世に人を集めんなよ、と思わなくもなかったが会場を複数取り、分散開催したようだった。まぁ、仕事なら仕方がないし、一日座っていれば給料を貰えるのなら悪くはない。と、思っていたものの、けっこうみっちりとした研修で寝ている暇などなかった。

 寝てはいけない系の研修なのに午前中は睡魔に抗うのが大変だった。やる気がないわけではないのに(どの口が言う)、自分の意思とはまた違うミエナイチカラ(B’z)によって、瞼がとても重かった。100回中97回は睡魔を退けることに成功し、なんとか午前中は乗り切った。

 昼休みに、隣の同僚と少し話した。同じ部署だけれど管轄が違っていて、普段はあまり話をしない人だ。なので、何を話せばいいのか考えあぐねていると、向こうから「うちさ、いや、中古の一軒家なんだけどさぁ」と話し始めてくれた。どうやら、前々から屋根の一部が剥がれかけていて、とりあえず今のところは支障はないのだけれど、外壁屋みたいな訪問営業が何度も訪ねてきて、御宅の屋根ヤバいから直したほうがいい、とずっと言われていたらしい。ノラリクラリとかわしていたものの、実際に自分で見てみても確かにちょっとヤバくて、最近の大雨の報道も相まって、そして営業に根負けして、ついに見積もりを出してもらったらしい。「火災保険の一部で賄えるらしいから、それも合わせて見積もり出してもらったんだけどさ、いくらだったと思う?」と聞かれたので、「20万くらいっすか?」と返すと、「80万だよ。いや、保険から40万は下りるらしいんだけどさ。参ったよ」と言われた。

 しがないサラリーマン同士の、当たり障りのない会話だなぁ、と自分でも思いながらも、「大変ですね。ボーナス全部消えちゃいますね」と笑いながら、自分も洗面台の交換で20万消える話をしたところ、「そうなんだよな、うちも中古で買ったとき、洗面台にでっかい穴が空いててさ、そこだけ埋められないからって全取っ替えになったんだよ」と、話し始めた。そして興が乗ったのか「屋根だけでも参っちゃうのにさ、給湯器まで壊れて。一旦、応急処置で直ったんだけど、かなり古い機種らしくてさ、次壊れたら新しいのに交換しないとダメらしいんだよねぇ」などと、さらに話してくれた。「取り替えるといくらかかるんですか」と尋ねると、「40万だってさ」と一言。一瞬、火災保険で賄えるじゃないですか、と冗談を言おうと思ったけれど、面白くないし、賄えないし、面白くないのでやめた。その代わり「替えるなら今なんじゃないですか。冬とかにお湯が出なかったら厳しいですよ」と返した。

 それからどういう流れで、そんな話になったのか忘れてしまったが、その人が「うちで飼ってるハムスターがさ、ついこの前、死んじゃってさぁ」と言ってきたので、「そうなんすね。ハムスターって、どのくらい生きるもんなんですか」ときくと、「長くて二年とかじゃないかな。まぁ、妻が飼っていて、俺はほとんど世話とかしてなかったんだけどさ。そんでさ、たかだかハムスターごときにさ、線香とかあげてんの。ああいうのって、いつまで付き合えばいいのかねぇ」と言ってきたので、「どうなんすかねぇ」と曖昧に返した。四十九日とかまでですかね、と出かかったけれど、堪えた。堪えたというか、言わなかった。以前に、その人との会話で、その人たちには子供はいないということは知っていた。だからというわけじゃないけれど、なんとなく軽はずみなことは言わないでおこう、と思ったのかもしれない。余計なお世話なのかもしれないけれど。

 今朝、コロナに感染した妊婦が出血し、救急車を呼んだけれど搬送先が見つからなくて自宅で出産し、新生児が亡くなってしまったというニュースを見て、勝手だけれど泣きそうになってしまった、ということを同僚に話してたときに、不意に泣いてしまったことを妻に話したら、「それ相手も困るでしょう」と笑われたけれど、妻も少し泣いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?