男児を産めなかった貴方へ
こんにちは。黄河(おうかわ)のんと申します
以前、育児に関するnoteを書きました↓
キャラじゃないのですが
もう1本だけ、書かせて頂きます
育児noteは、今回で最後です
なぜ書こうと思ったのかは、分かりません
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出生率が、過去最低になったそうです
子供を産んで育てる。大変なことですよね
だから今は、出産すると、性別に関わらず
キャー!!おめでとう!!!すごい!!
本当にステキで、かけがえのないイベントです
でも、昭和の時代は、違ったようです
今から35年前
昭和と平成の狭間に、私は生まれました
出産してすぐ、義母が会いに来ました
「 男の子だったらと思ったけどね 」
おめでとうと言われることは、ありませんでした
母の父親、つまり私にとって母方の祖父は
父方の祖父が、病院に来た時
「 娘が男児を産めず、申し訳ありません 」
深々と頭を下げたそうです
しかし、父方で唯一味方だったのが、祖父でした
「 頭を上げて下さい、健康な赤子で良かったです 」
とはいえ、母のショックは大きかったのか
私は、一人っ子になりました
しかし母は、そんな言われ方をしたにも関わらず
父方と同居したり、足繁く通ったり、旅行も何度も
望まれてない私の成長を、とにかく見せていました
当時高かった写真も、何枚も印刷し
たくさん手紙を書いていました
私が小1の時、味方の祖父は亡くなり
私が第一子を妊娠した時、祖母が亡くなりました
30年後、私は女児を産みました
そして、産後ウツになったわけですが
療養中、祖父の写真を見ながら
「 病気を治してよ!!おじいちゃんのケチ!!」
と、心の中で何度も叫びました
それから、4年の月日が流れ
産後ウツも治り、2人目を妊娠しました
どうやら、祖父はとても心配だったんでしょう
祖父と同じ誕生日に、男児が生まれました
数か月後のゴールデンウイーク
息子を連れて、母の家に行きました
うちの両親は離婚していて
それぞれが、細々と暮らしています
決して裕福ではありません
家の最寄りの角を曲がって、ビックリ
家紋の入った、特注の巨大こいのぼりが
庭で、悠然と泳いでいたのです
まるで、天国からでも見えるように