本気になれた部活を回顧する①
中学・高校の断続4年間、 #吹奏楽 部に所属しており、トランペット→トロンボーン→ユーフォニアム を担当した。
中学に入学した開校したばかりの新設校だったために運動部や目立たない文化部ばかりだったこともあり、小学校に習っていたエレクトーンの経験や音楽の成績の良さを考慮して入部した。
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小学校の鼓笛隊への憧れ
小学校のクラブ活動で管楽器を含めた鼓笛隊があるクラブに入りたいと当時の友人達に言ったことから、
週二回の朝礼の^準備がある関係で他の人より早くの登校しなくてはならないことから、友人達と一緒に登校するための待ち合わせ時間に寝坊して遅れるからやめたほうがいい
金管楽器を吹くと顔が猿のような顔になってしまう
という理由で止められて断念したことがあった。
又、運動会の行進の練習で私ひとりだけずれていたことから教師達に矯正されたことによる苦痛から難を逃れたいという理由で運動会の入場行進が免除出来るといった悪い思いもあった。
その友人達の中では新設校の開校によって、私だけがそこに行くことが決まり、
本気で管楽器が吹けるようなりたい
というリベンジを誓って入部した。
卒業して半年後に地域の演奏会で再会し、馬鹿にした友人達は管楽器パートにつけず、何となくできるパーカッションをやっていたと知り、心の中で嘲笑った。
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中学で入部してからのパート分けで難航した話
前述の理由で吹奏楽部に入部後の自己紹介で
#藤井尚之 さんのようなサックス吹きに憧れて入部したと言ったものの、管楽器パートになれなかったら即退部する覚悟するしかない
という抱負を述べたことがあった。
開校して半年後にやっと管楽器が届き、部室の机にあった管楽器のマウスピースを一通り音出しし、希望していた楽器につけることを誓いながらやってみたが、あえて希望しなかったトロンボーン用のものしか出せなかった。
トロンボーンを希望しなかったのは、小柄で手が短くて遠くのポジションまで伸ばせないことと前のパートにいる人にスライドをぶつけると申し訳ないという理由からだった。
パート分けテストでサックスとホルンを申し出たものの、全て音が出なくてダメだったためにトランペットパートに回された。
マウスピースで音を出せなかったことで足を引っ張ってしまったことからごく簡単な譜面しか与えられなかった悔しさからトランペットと同じ運指であるユーフォニアムしかないと思い、異動希望をした程だった。
そのことを顧問に話したら、
特に仲が良かった友人が退部する関係で穴が空くからユーフォニアムと同じマウスピースの大きさであるから代役をして欲しい
と言われたものの、半信半疑でやることにした。
トロンボーンとユーフォニアム、チューバは学校音楽で目にすることがないヘ音記号用の音符であり、エレクトーンで習得した知識からすぐ馴染めるようになり、それが毎日のように続いたことから、
一般的に使用されるト音記号用の譜面が読めなくなった
ということを自虐出来る程だった。
別の男子部員にサックスを吹きたいとこぼしたことも話したが、
一度金管楽器で音が出せるようになったから木管楽器の音は出せない
と忠告されたことから、最初からトロンボーンにすれば良かったという思いもあった。
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念願のユーフォニアムに
中学2年に進級した直後に再度ユーフォニアムをやりたいと顧問に話したら、彼女の前で楽器をため息を出したつもりで出したら、
小柄ながら鼓膜が破れるような音が出せた
ことに驚かれ、やっと落ち着ける場所に着いた。
ユーフォニアムは一般的に認知されていない地味な金管楽器であるが、最近の「 #輝けユーフォニアム 」というアニメで認知されるようになった。
それ以前にその楽器に対する質問がかなりあり、
チューバを一回り小さくしたものだが、リズムを刻まず、主旋律やロングトーン、裏メロディーで構成されている
と回答したことがあり、
他の楽器より音が目立たないが優しい音色が出る
が特徴的だということも話した。
会場等の移動で楽器を持ち歩くことが多く、重たくて他のパートの生徒が羨ましく思ったことがあったが、
自分が選択したことだから責任を持ってやる
ことが芽生えたのと同時に、後の力仕事を要する場面で役に立ったことがある。
それ以前に起きたいじめのトラブルで加害者のひとりが
加害者が使っているテニスラケットを使って殴りたいという発言に対抗して自分が使っている大きな楽器ごと叩きのめしたい
という殺気感があったものの、テニスラケットよりも高価であるものは勿論、
その影響で音が出せなくなったら、もう2度とステージには上がれなくなる
危機感から思い止まった。
卒業式に受け取った後輩のひとりの寄せ書きで音楽観のみならずユーフォニアムを大切に扱っていることを評されたことから
厳格な家族と同居かつ、貧困の状況の中で本気で音楽に取り組んでいた私がいた
ことを改めて感じた。
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不本意な退部
その後、両親に実姉が当時通っていた中学で市内最強豪といわれた運動部の練習に追いつけずに一年以内で退部したことから、両親の目を気にして、卒業年次に学年になる前に退部できそうな部活を選択したことから、実姉に倣って辞めさせられたことが心残りであり、
何となく部活をしている実姉とは違う
という反発心から、人並みに生きられないコンプレックスを持ったまま歳を取りたくないという思いは今でもある。
不本意な選択を余儀なくされた実姉の口から
現時点では辛く感じるが、また機会があればやれるからいい
という涙声を聞いたことによって、
初めて不本意という言葉を覚えた
ことから、顧問や後輩達に申し訳ないという気持ちで去ったが、会うたびに挨拶をされたり、送別会に招待されたことから、
私の音楽に対する真剣さ
が伝わったと思う。
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※この項はまだ続くのでまた後日更新する予定です。