悪魔の所業相談所👿第六章
――第六章 天才と凡人――
「どうぞ、ご遠慮なくお入り下さい。」
私はこの日の客人にも何時ものように対応しておりました。一見普通に見える若き青年の姿が其処には在りました。美貌も特段に優れていたわけでもないが、けして悪くはない。そんな客人でした。
「願いを叶えて貰えるって、本当ですか。」
私は、何時も此処に訪れる客人が口を揃えて言う言葉に飽きて、
「ええ。でも、自分で望んで来られたのでしょう?」
そう言って苦笑しました。
「すみません。」
私は別に彼を責めたわけではないのですが、彼は急に謝るのです。私は思わず、
「いえ、お気になさらず。」
そう言うなり、彼にソファー座るように促しました。
「あの…。僕、賢い頭脳が欲しいのです。」
この客人はどうも会話のタイミングというものが掴めないのか、ソファーに掛けるなり私に縋るように急に願いを言うのです。
「まぁ、焦らずに。それに私は天使ではありませんから、そんなに熱心に言われても…。」
私は彼を落ち着かせるようにそう言いました。
すると彼は再び、
「あっ、すみません。」
と、謝るのです。どうもこの客人は気が随分小さいようでした。
「何を頂けますか?」
私には彼が余りに小さく可愛そうにも思える程でしたので、リードするようにさっさと話を進めました。
「僕は…賢い頭脳を手に入れて、こんな自分とさよならしたいのです。新しく生まれ変わりたいのです。だから、出来るものならば僕の今までの過去の記憶と交換して欲しいのです。」
私は客人のその言葉を聞くと、慌ててこう言いました。
「幾ら代償は何でも良いからといっても、願いに見合った物でなくては…。それに、此処はゴミ捨て場ではないのですよ。要らないものを代償にするなんて…。」
そう言いながら困り果てた私の姿を見ると、客人はまた、
「すっ、すみません。」
と、言うのです。一体この人は一日に何回謝ったら気が済むのでしょうね。私は、
「さっきから、どうして貴方はそんなに謝るのですか?」
と、思わず興味本位で聞いてしまいました。すると彼は、
「僕は小さい頃から、何をやっても駄目なんです。先日は十二回目の大学入試に落ちて、両親にも見捨てられました。不器用だし…人に迷惑ばかり掛けてしまうし、アルバイト先でも失敗してばかりで、謝る事が自然になってきてしまったのです。最近ではもう、一日一回は謝らなくては気が落ち着かない。けれど、このままでは今のアルバイトだって長くは続けさせてもらえそうにもないし、親の仕送りも無くなってしまった今、自分を変える他に生きられないのです。お願いです!無理な事は承知していますが、どうか叶えてもらえませんか。」
と、言うのです。そこまで熱心に言われては流石の私でも断りづらくなってきました。
「しかし、今の貴方でも考えようによっては何時だって自分を変えられるのですよ。過去と言うものはその人の持つ経験です。確かに此処には医学者や弁護士、ノーベル賞まで取った人等、様々な長けた脳みそはあります。
しかし、それが貴方に合うかどうか…。」
私はそう言うなり彼の反応を伺うと、彼は急に怒り出して、
「こんな僕だから、賢い頭脳は合わないと言うのかい?誰しも好きで頭脳を選んで産まれるわけじゃない。僕にだって、賢い頭脳を得る権利があたって良いじゃないか。」
と、今度はそんな主張をし出すのです。まさか客人を怒らせてしまうとは、私も不覚でした。私はせめてのお詫びにと、
「此方も客商売ですからね。貴方を怒らせてしまった代わりに、貴方の過去の記憶と引き換えに願いを叶えて差し上げましょう。」
そう彼に提案したのです。彼の表情はがらりと変わり、
「そうですか。それなら…もう、気にしないで下さい。何だか酷い事を言ってすみませんでした。」
と、また謝るではありませんか。私はそんな彼に少々呆れながらも、
「その代わり、貴方に入れる脳みそは私が選ばせていただきますよ。それなりに最高の頭脳を差し上げますから、それで宜しいですか?」
と、彼に聞くと彼は一つ頷くと、
「ええ、それならば安心だ。」
と、笑顔を浮かばせた。私はこの彼の笑顔を見ると彼とは逆に心配が募るばかりでした。
「では…契約を執行します。」
私は、彼が契約書にサインをしたのを確認するなりそう言った。死んだように眠っている彼の頭に私は手を入れ、脳みそを掴み取り出すと彼の記憶を司る部分を抜き取りました。
そして、次にノーベル賞を取った科学者の脳を彼の頭脳と入れ替えた。案外、口で言ったよりも面倒な作業になってしまいました。商品ですから何処も傷つける事もなく、血液すら一滴も零しませんでしたが、私はどうもこの脳みそに触れた感覚が嫌いでなりません。
私は苦い顔をしながらも、眠っている彼の肩を軽く叩きました。
むくっと立ち上がった彼は、私の事も覚えていないのでしょうね。何も言わずに、この相談所を後にしました。きっと彼はこれから、帰る場所すら忘れてしまった筈なのに。私は思わず、彼の去って行く後ろ姿にこう言ったのです。
「惜しい事をしましたよ、貴方は。」
と。彼の耳にそれが届いたかどうかは定かではありません。彼は本当ならば、数年後にその腰の低さから、営業で高成績を上げ社長にまで昇る人物だったのです。私は彼の脳を触った時にそれを予期しましたが、時は既に遅かった。こればかりは、神の悪戯としか言いようがない。
その数日後でした。彼が帰る場所も、自分の新しく産まれ変わった脳を活かす場所も得られず、自分の余りの愚かさに嘆いて自害したのは。天才の脳だからこそ、己を活かせない場所では苦悩し、その驕りから自分のいる場所が品疎に感じ許せなくなるものなのです。天才には活かす場所やチャンスが必要なのです。脳だけで天才は生まれるものではない。
私は思うのですよ。人は脳や魂や体が共存してこそ人という形を成すのです。どれかが衰えていようとも、残ったどれかがあれば生きられる。人という完璧な美しい形を持ちながら、人の欲は傲慢に自らを異形の怪物に変えてしまうのではないかと。それは私が…悪魔と人間の子だから思うのでしょうか。
――――――完――――――――
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