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「黒影紳士」season2-1幕〜再起の実〜 🎩第二章 弔いの実

――第2章 弔いの実――

 フリーマーケットの雑貨屋の様な鞄の中身をひっくり返して、黒影は一冊の表紙が黒く、十字架の箔押しが施された分厚い本を掴んだ。
 背表紙には「時夢来」と書かれている。
 なんとも不気味そうな本ではあるが、黒影は更に首に下げていた懐中時計を引っ張り出す。
「なぁに、それ」
 白雪は待ちきれず聞いた。
「これを作る為にFBIの予知夢を研究する機関にいたのさ。思ったより制作に時間が掛かってしまってねぇ。……これで飛行機で移動中の出来事が分かればいいが……。」
「……分かるのか?!」
 黒影の言葉に風柳が期待する。
「……まぁ、それは見てのお楽しみですよ。ある程度時差もある。これがどれだけ正確かはまだ未知数ですから。一年半の睡眠の癖のようなものを、AIに統計的に算出して、夢とその時間を記録出来るんです。便利でしょう?
 人間は起きていても、無意識領域で夢を見ている事があるそうです。
 例えば本人は起きていると自覚していても、数秒脳は寝ている事もあるんですよ。
 勿論、だからと言って睡眠を疎かにすれば過労になります。
 けれど、僕のように移動が多い仕事には、打ってつけの代物です。」
 と、姿を消して旅に出た事情をさらりと話し始める。
「だったら、そう言ってくれれば良いじゃない。」
 思わず白雪が言う。
「それがね、特殊捜査官の紹介で……彼も予知夢を見るらしいのだが、表立っては動けない立場なのだよ。
 名前や居場所が分かってしまえば、犯罪者から狙われるからね。その点日本はまだ自由がきいて助かるよ。」
 と、答えた。
 黒影や白雪の存在は一部の警察関係者しか知らないが、銃社会じゃないだけマシだと、白雪はこの時思った。
「さてさて……この本に、この懐中時計をセットしてっと……。」
 黒影が本を開くと、中には懐中時計をピッタリ埋められる穴があった。


 そこに懐中時計をはめ込むと、まるで燻し文字の様に、挿絵と文字が浮かび上がる。
 そして隣の頁の懐中時計がぐるぐる狂った様に回り、やがてピタリと針を止めた。
「この挿絵の様な念写が僕が見た夢の内容で、下の文字が日付けや大凡の場所、懐中時計が差しているのが夢を見た時間です。」
 黒影は指差しし乍ら二人に丁寧に教えた。
「これがあれば、忙しい時に眠らなくても事件を追えるな。」
 風柳があんまり嬉しそうに言うので、
「残業代はちゃんと請求しますからね。」
 と、黒影は念を押した。
「それにしても、何で時夢来なの?」
 白雪の素朴な疑問に、
「ただの当て字だよ。弔うの、時夢来(とむらい)。僕はきっとこの本に写った人総てを救えないだろうから、せめて……ね。特殊捜査官の彼にも、そう言ったら少しでも魂が救われるように……そして僕の魔除けにもなるからと、十字架の箔押しをしてくれた。これから何人の人を救えるか分からないけれど、お守りみたいなものさ。」
 と、答え異国での似た物との出会いを、回想しているようだった。
「本当はタブレット端末仕様だったのだけれどね、似合わないからデザインを変えてもらったよ。便利だけれど、回線障害が起こると使い物にならないしな。」
 黒影の拘りが異国の地まで迷惑を掛けていると思うと、白雪は呆れて溜め息を吐かずにはいられない。
 一方の風柳は早速、本に映し出された念写をマジマジと見ていた。
「……この崖は……まさか。」
 その言葉に、二人も本の頁を食い入るように見た。
「そうだ!ここで落ちたんだ!」
 写真の奥に映し出された崖は、まさに黒影が落下した現場だった。
 三日月の上、半分だけを切り取った様な切っ先が特徴的な、今にも崩れ落ちそうな形の小高い崖だ。
 手前には古い村のような古民家が立ち並んでいる。
 道路も舗装すらされていない、今時なかなか見れない景色だ。
 手前に沢山の人々が崖を見上げている影が見え、崖の上には両腕を掴む二人と掴まれている一人、そして中央で何かを取り仕切っているような人、合わせて四人の影が見えた。
 その念写の下には文字が浮かび上がっていた。
「百首(ひゃっかうべ)」……これは場所だろうか?聞き慣れない地名だ。
 そして、やはり日にちは飛行機に黒影が搭乗していた日。
 夢を見た時刻もそうだ。
 黒影の予知夢は元より影絵なので、この静止画像で情報は十分なのだが、黒影には違和感があった。
 然し、今はその違和感が何か分からない。
 地名のお陰で日本で起きている事件とは判断出来る。
「百首……聞いた事も無いな。」
 風柳もこの地名に心当たりが無いようだ。
「知り合いに調べて貰おう。兎に角、現場に何かあるに違いない。黒影も行けば何か思い出すかも知れん。」
 風柳はそう言うなり部屋を出て、地理に詳しい警察仲間にでも連絡をしているようだ。
「……暫くは動けそうも無いわね。」
 白雪は黒影の怪我の方では無く、事件に動きが無い事を心配して言っているようだった。

 ――ーーー

 風柳に吉報があったのは翌日早朝だった。
 昨日頼んでいた百首の場所が分かったのだ。
 現在は「ももこうべ」と呼び方だけ変わっているらしい。
 早速、三人は風柳の運転する車で現地に向かう事にした――。

「影絵の感じと、何だか違う感じがするわね。」
 影絵と同じ景色の場所に立つと、白雪が言った。
「あぁ、周りの家も影絵より少し新しくなっているな。……崖の方に行ってみるか……。」
 黒影がそう言った時だった。
「ちょっとあんた達、あの崖へ行くつもりかい?彼処は今まで何回も崖崩れを起こして、立ち入り禁止だよ。」
 と、畑仕事をしていた中年ぐらいの女性が、我々の話を聞いてそう言った。
「立ち入り禁止?……我々はこう言うものです。……ちょっとお伺いしたいのですが、最近あの崖に登った人とか、崖崩れが起きた日を覚えていませんか?」
 風柳は警察手帳を出し、聞いた。
「ああ、私は毎日此処で畑を見ているから、知っているよ。
 四日程前にこの村側に崖崩れが起きてね、若いのが落ちたんだよ。大方、興味本意って奴だろうさ。
 診療所で何とか一命を取りとめたって言うのに、傷が治り掛けたら礼も言わずに居なくなっていたんだってさ。
 全く不義理な話だよ。」
 ……?黒影は一瞬自分の事ではないかと思ったが、「若いの」と言う証言が気に掛かった。
「若いのって言うのは、この村の人なんですよね?」
 と、聞いてみると、女性は、
「あぁ、そうさ。名前は何て言ったかねぇ……。佐田……佐田……。ああっ!佐田 博信(さだ ひろのぶ)だ。若いもんがサダノブって呼んでいたのを思い出したよ。」
 と、思い出してスッキリしたのか、両手をパンと叩いた。黒影は更に、
「……サダノブ……ですか。因みに失礼でなければ、貴方のお名前もお聞かせ頂けますか?」
 と聞く。
「私かい?私は原 翠(はら みどり)。去年、有機栽培のカラフルな野菜を作りに、この村に来たんだよ。
 村の人は優しいし、都会より静かですっかり馴染んじまった。
 こう言う野菜はね、都会のホテルに納めれば高値で売れるから、最初は苦労ばっかりだったけれど、慣れたら良い仕事さ。アンタもほれ、少し食べていきな。」
 そう言うと原 翠は柔らかそうな土から、細長い白と赤みがかった人参を、スッと掘り出し差し出した。
「悪いねぇ、三人分も。」
 と、風柳は言いながら、土を軽く落としてガブリと齧り付いた。
 白雪と黒影もそれを見て、見様見真似で齧りつく。
「美味しいっ!」
 白雪は嬉しそうに笑った。
 原 翠もその顔を見て何処か誇らしげだ。
 おいおい……観光に来たんじゃ無いんだぞ、と思いながらも、黒影もポリポリと人参を食べた。
 サダノブの事を気に掛けながら……。
 黒影はさっきの会話に違和感を感じていた。
 この原 翠という人は、皆んなが通称サダノブと呼ぶ人物から、フルネームで佐田 博信を思い出したが、一般的にサダノブと聞けば、下の名前だと思わないだろうか?
 若しくは略している事を思い出したとしても、佐田は良いとしてノブだけで博信と出てくるだろうか?
 信之や信雄、のぶ、信弘、伸晃……色々連想してしまいそうなものなのに。
 もしかしてサダノブ……つまり佐田 博信と原 翠は親しかったのではないか。
 ならば何故忘れたフリをする?
 つまり……サダノブが消えた先は、原 翠が知っているからだ。
 しかし、今は誤魔化しているのだから教える気はなさそうだ。
 もっとこの村を調べてみなければ。
 黒影は一度、原 翠の証言はそのままに、サダノブについて聞き込みをしようと思ったのであった。
 サダノブが崖崩れに遭った日は、黒影が崖から落ちた日と一致する。
 あの日、見落としている何かを突き止めたい……。

 あの崖に何かある……。
 そう思って黒影が崖を見上げると、時夢来が示唆したものと、黒影が落ちる前と完全に違う違和感にやっと気付いた。
 時夢来の写真は崖の上に、何も草木が生えていない。
 黒影が落下した時には確かに、崖の上にはどんぐりの木があった筈なのだ。
 そして崖が崩れた跡の中に現在、流れ果てたどんぐりの倒木があるではないか。
「……これは……。」
 ある間違いに気付いた黒影は時夢来を開き、白雪と風柳に見せて言った。
「僕は大きな勘違いをしていたみたいです。この本の日付、時間は今年では無い、過去のものだったんだよ!だから村の名前も変わり、家屋も少し新しくなっている。
 その証拠にほら!崖をよく見てくれ……無いんだよ、写真の中に草木が一つも。」
 黒影が言った言葉に、初めは理解し難かった白雪と風柳も、最後まで説明を聞くと納得したようだった。
「……って、事は時夢来が間違っているのか?」
 風柳は黒影の持っていた時夢来を持ち上げると、壊れてはいないか、色んな角度で見ている。
 黒影は、
「否、そうじゃない。時夢来は偶然飛行機に乗っていた時間、日にちの過去に起きた事件を映していたのだよ。
 つまり……これは数年前の同日、同時刻に起きた未解決事件と言う事になる。」
 と風柳に補足説明をした。
 ……未解決事件……まさかそんな事件と出会すなんて、先見の夢を見る黒影も白雪も、考えはしなかった。
「この未解決事件を解決せねば、現在の事件の進行を止めるには難しいだろう。」
 全てを理解した黒影は、慎重にそう言った。

 眠っていた筈の事件を掘り起こすと言う事は、狂った時間を直すのと同じ。
 今ある何かを狂わせてでも、やはり時間は直さなくてはならない。
 規則正しく秒針が脈打つように、正確なこの先の未来を動かす為に。
 それが、時夢来のもう一つの力だったのかも知れない。
 誰も予測してはいなかったが、偶然が起こるのは運命の流れの中では、それさえも必然と云うらしい。
 過去の壊れた時間を弔ってやらなくてはいけないようだ。
 それが時夢来が作られ、黒影と出逢う運命だったと言うのならば。
 黒影は時夢来に不思議な運命すら感じぜずにはいられなかった。
 ……先ずは未解決事件の情報が欲しい所だ。
「あの、翠さん。この村に詳しい方って何方かご存じですか?出来るだけ昔からいる方が好ましいのですが……。」
 黒影は畑の雑草取りで、まだ仕事をしていた翠さんに声を掛けた。
 他には人通りが少ない村なので、なかなか聞けそうな人も居ない。
「あぁ、さっきの。……そうさねぇー、この先を真っ直ぐ行った所に詠み井戸って言う、もう使われていない井戸があるんだけれどね、その前にどーんと構えた豪邸がある。
 そこに、此処いらの元からの地主さんが住んでる。地主さんなら何か知ってるかもね。
 百首 護(ひゃっこうべ まもる)さんて言うんだよ。変わった名前だけど、気の良い人だよ。」
 と、原 翠は快く教えてくれた。
「有難う御座います!」
 白雪は御礼を言って、元気良く歩き出した。
「やっぱり地主だから昔の村の名前のままなのかね。」
 風柳は言われた道を歩き乍ら、ぼやく様に言った。
「そうでしょうね。この土地に根付くものは変えてはならない何かがあるようです。」
「ん?何でだ?」
 黒影の話に、風柳は足を止めて聞いた。
「思い出して下さいよ。コレ……何だが曰く付きな気がしてきませんか?」
 と、黒影がコートのポケットから取り出したのは、あの1/100のカードだった。
「百の首に1/100のカード。せめて100が何か分かると良いのですが……。」
 と、黒影が言い終わる頃、先程の原 翠が目印に言っていた「詠み井戸」に辿り着いた。
「本当に使われて無いのかしら?何だが不気味だわ。」
 白雪がそう言ったのも無理は無い。
 丁度季節は夏に入り、少し歩いただけでジメッと汗が額に滲む。
 如何にも肝試しに打ってつけの井戸が、目の前に在るのだから。
「やっぱり空かないな。」
 風柳は安全の為と、井戸の蓋に異常はないか確かめたが、きっちりセメントで蓋が閉じられ、劣化もしていない。
「よし、小まめに整備はしているようだな。」
 小さい子供が古井戸に落ちたなんて事件は、意外と多い。
 風柳はこんな時も刑事なのだと、黒影は感心する。
「本当に広い豪邸!」
 目の前に広がる景色を見て、白雪が思わずそう言った。
 まるで古い城のような、和風庭園が中に広がる家があった。
 これが地主の百首 護の家だろう。
 大きい黒い柵の鉄門の横に、インターホーンがある。
「すみません。こう言う者ですが、ちょっとこの辺りの事についてお話を聞かせて頂けませんか。」
 インターホーンを鳴らすと、手伝いの者らしき人物がインターホーンの音声に出たので、風柳はカメラに警察手帳を翳してそう言った。
「……まぁ、警察の方ですか。分かりましたどうぞお入り下さい。」
 そう言うと、インターホーンの相手は自動開閉だった門を開く。
 見た目に反してセキュリティはしっかりした、ハイテクな建物の様だ。
 中は畳かと思いきや、古い洋風の家具や絨毯で、黒影は居心地の良さを感じていた。
 主人が庭の鯉に餌やりをしているそうなのでその間、黒影はアンティーク家具を近くで見る為、座りもせずに部屋をウロウロしている。
「いやぁ、すみません。お待たせしました。」
 気さくそうな笑顔の主人が入ってきて、黒影等に挨拶をした。
「いえ、此方こそ突然お忙しい中すみません。」
 風柳が言う。
「此処の時間はのんびり流れますから、鯉に餌やりをしたら後は皆に邪魔者扱いされて、肩身の狭い縁側暮らしですよ。」
 と、主人は言って笑い、
「……で、今日は遥々刑事さんが、何の用で?もしかして崖崩れの調査ですか?」
 と用件を聞いた。
「いや、崖崩れの調査はまだなのですがね、その一環でこの村の事を詳しく知りたいのですよ。」
 風柳が切り出す。
「この村の事ですか……。確かに代々此処にいますが、なんせ放蕩息子だったもので、お力に成れるかどうか……。」
 主人は苦笑いをし乍ら頭を掻いた。
「勿論知っている範囲で十分です。……それにしても此処は、元はご主人と同じ百首(ひゃっこうべ)と言う地名だったそうですね。ちょっと珍しい地名だったものですから驚きました。何か由来でもあるのですか?」
 と、風柳が言うと主人は真面目な顔をして、耳を貸すように促した。
「実はね、その昔この村には、人の首を食らう鬼がいたそうなんですよ。その怒りを沈める為に十年に一度、百人の村人の中から投票で一人を選び、あの崖の上で首を切り落とし、一晩吊るして井戸に放り投げる風習があったとか……。」
「井戸って、この家の前の?!」
 風柳の驚いて発した言葉に、黒影と白雪も何事かと近寄る。
「そうです。あの詠み井戸です。今は文字を変えましたが、昔はあの世……つまり黄泉に続く井戸で黄泉井戸と呼ばれていたんですよ。」
 其処迄話すと、主人の顔がガラリと変わり笑顔に戻る。
「あはは……すみません。冗談ですよ。本気にしましたか?」
 風柳はこの手の話が滅法苦手なので、汗に塗れた手で出された冷茶をごくごく飲んだ。
「あらら、苦手だったんですね。夏だからと調子にのりました。すみませんねぇ。……本当はなんて事は無い、百人一首を作った藤原定家が、好んでこの村に足蹴無く通って、時々唄を詠んで下さり、その感謝を忘れない為に、詠み井戸や百首という名をつけたそうです。それにしても刑事と言うお仕事は、本物のご遺体を見たりもするのでしょう?だからてっきり幽霊の類いは大丈夫だと思ってしまいました。」
 主人がそう言うと風柳は、凛々しい顔になり、
「私たち刑事はね、真実こそ全てなのです。だから妖の類いは信じないのですよ。」
 と、返した。
 それを聞いていた黒影は思わず、
「格好ついてないですよ、風柳さん。」
 と、笑いを堪えながら言った。
「其方の素敵なお兄さんと、お嬢さんは?」
 主人が聞いた。
「紹介が遅れてすみません。一緒に捜査している黒影と白雪です。」
 風柳は慌てて紹介する。
「こんなに若いのに、お二人共さぞかし聡明なのでしょうね……。そうだ、もし其方のご予定が大丈夫でしたら、今日は皆さん此方で泊まって行って下さいよ。
 この村にお客さんが来て下さるなんて、久しぶりで。暇な所ですが、是非皆さんの武勇伝をお聞かせ願いたい。
 ……其れに此の村を知るには、村に染まるのが一番早い。」
 急な主人の提案に風柳は、
「いやー、何だか申し訳ない。」
 とは言っているが、豪邸に泊まれるとあって満更でも無い様だ。

 黒影はアンティークと和の融合が美しい、大正浪漫を再現したような部屋を。
 白雪は洋風のベッドや姿見が美しい部屋を。
 風柳は純和風の温泉旅館の様な部屋を、多くのゲストルームから選んだ。
 荷物を整え終えると、18時に全員食堂に集まった。
「私は古塚 玲子(こづか れいこ)と申します。此処のお手伝いをご主人様が小さい頃から、ずっとさせて頂いております。今日のお夕食はこの土地で採れた沢蟹の唐揚げと、山菜、冷たい茶碗蒸しと、猪鍋、サラダは原 翠さんの所の有機野菜に、ビーツのスープです。
 全部この村で取れたものなんですよ。どうぞお召し上がり下さい。」
 手伝いをしている古塚 玲子が挨拶をして、今日の料理を紹介し乍ら皿を出してくれた。
「古塚さん、有難うね。」
 此処の主人は従業員にも、優しい人に見受けられる。
 暫く食事を楽しんでいると、
「シェフの谷崎 亮太(たにざき りょうた)です。楽しんで頂けていますか?」
 と、自己紹介をし、聞いてきた。
「ええ、ビーツのスープが滑らかでクリーミーで、とても美味しいです!」
 白雪がにっこり笑って、ご機嫌そうに言う。
「沢蟹や猪鍋も臭みが無くて驚きました。」
 黒影がそう言うと、
「下拵えをしっかりすれば、旨味がぎゅっと引き立つんですよ。」
 と、シェフはにっこりして教えてくれた。
「どれも絶品だよっ!」
 風柳はちゃんと味わっているのか分からないぐらい、よっぽど気に入ったのかパクパク口に放り込んでいる。
 食後は応接室でゆったり、各々好きな物を飲み乍ら会話も弾んだ。
 思わず事件の事を忘れてしまいそうになる程、楽しい時間だった。
 こんな素敵な村で、本当に事件が起きたのか?と思えてしまう。
 しかし、あったのだ。
 過去に何かが。
 黒影は意を決して、主人に聞く事にした。
「あの……崖崩れの時の話、聞いても?」
 主人はウィスキーで少し陽気になっていたので、申し訳半分で聞いた。
「あー、構わないよ。つい楽しくて飲んでしまったが、まだ頭は大丈夫みたいだ。」
 陽気な酔っ払いの証言が、どれだけ正しいか分からないが、一応聞いてみようと黒影は覚悟した。
「崖崩れで最近怪我した青年がいたとか。姿を眩ましたと聞きましたが、心当たりはありませんか?
 仲が良かった人物とか、教えて下さると助かるんですが……。」
 主人はゆっくり、間違えないように話し始めた。
「ああ、サダノブの事だね。彼はあまり外に出ない、引っ込み思案所があるんだよ。だからあの崖に居たって知った時は正直驚いた。
 学校を卒業してからこの村に来たようだけど、何をしているのか皆んなも知らないんだ。
 ただの引き篭もりかと思えば、ふらーっと外に出て。買い物はするようだから、皆んな声を出来るだけ掛けたりと、気に掛けてはいるんだけどサッパリさ。
 そうだ!年の近い高岡 晴美(たかおか はるみ)ちゃんか、須藤 丈雄(すどう たけお)君なら、偶に一緒にいる所を見掛けたから、聞いてみると良いよ。
 私も他の大人達も、サダノブが心配なんだ。君達が何の調査で来たかも分からないけれど、良かったら彼を探してくれないか。」
 と、サダノブの事になると心配していたのか、色々教えてくれた。
「勿論ですよ。」
 そう答えたが、サダノブの人物像さえ未だ捉えられず、擦り抜けていく……。
 高岡 晴美、須藤 丈雄は友達だったのか?
 それともとっくに佐田 博信はこの村を出たのだろうか?
「ところで、この村で昔この時期ぐらいに、何か変わった事件ってありませんでしたか?」
「……変わった事件?」

※お酒は大人になってから。身体と良く相談して飲みましょう


 黒影の質問に、主人はウィスキーをもう一口だけ飲み、思い出そうとしているようだった。
「そうだ……丁度十年前になるのか……。あれも確か暑い夏の日だった。サダノブみたいに崖から落ちた訳じゃないけれど、神隠しがあった。」
「神隠し?」
 予想外の返答に、思わず黒影は聞き直した。
「神隠しにあったのはどんな人物ですか?」
「……それが、誰に聞いても覚えていないって言うんだ。不思議としか言いようがないのだけど……。」
「じゃあ、何故消えたと分かるのです?」
 あまりに奇妙な返事に、黒影は少し焦り始めていた。
 この村は何かおかしい……。
「分かるんだよ。家がも抜けの殻に急になっていた。強盗が入った形跡も無く、ただ誰か住んでいた人が消えたみたいに。残った家が、誰の物か分からなかった。
 所有者を探してみたが、とっくに遠い地で亡くなっていた。作り立ての料理があって、テレビがついていて、風呂も沸かしていたのに消えたんだ。」
「誘拐とは考えなかったんですか?」
「確か、警察にも相談したんだ。けれど夜逃げでもしたんだろうって……相手にされなかった。」
 警察に相談したのに、誰だったか分からないなんて事があるのか?
 思っているより、主人は酔いが回ってきているのだろうか。
「風柳さん!至急、此処の管轄の県警に十年前の夏、行方不明になった人物の調書を確認させて下さい!氏名、年齢、性別、全部!」
 黒影は唯一の十年前の事件の痕跡を辿る為、慌てて資料を取り寄せるよう風柳に指示した。
「なんだ、美味しい日本酒飲まないのか?」
「僕はワインか珈琲を後で飲みます!だから酔いを冷まして、さっさと連絡して下さい。事件ですよ、じ、け、ん!」
 ほろ酔いになっていた風柳だが、事件の三文字を聞くと急に酔いから冷めたように、キリッとした目に変わった。
 風柳が廊下に出て、慌てて連絡をしている。
 主人は酔ってはいたが、幾分かその行動が気になるのか、ちらちら風柳のいる廊下を見ている。
「大丈夫ですよ……近いうちに解決しますから。」
 黒影はそう言って、入れ立てのワインを口にした。
「まぁ、黒影まで飲み始めて……。」
 白雪は紅茶を飲んでいるようだ。
「白雪……紅茶は念の為9時迄にしておくれよ。何か動くかも知れない。」
「……そんな……。」
 黒影が良く眠れる様にそんな事を言うという事は、決まって悪い夢を見る……。
「可能性は低いよ。ただ、ヒントがある可能性なら高い。」
 殺人現場を見るより、事件に関するヒント……。
「是非、そうあって欲しいものだわ。」
 白雪はそう言った。黒影の勘は大抵当たるので、その分不安になる事も無くなった。
 黒影の勘は、ただの勘ではなく、注意深く観察し、調査した結果なのだから、それだけ信頼に至る。
 人を信用させる簡潔且つ的確な指示も、何となく周囲が納得し、動く理由の一つだろう。
 声は急ぐ時、危機的状況のとき以外、怒っていても同じリズムの同じ波長に感じる。
 冷たいと勘違いされる声も、白雪にとっては聞き慣れた安心感のある声だ。
 ――21時を過ぎた頃、白雪は眠りに就く為、自室に戻る。
 黒影は風柳の部屋へ行き、酒盛りの続きを楽しみながら連絡を待った。
「見て下さい、シェフが生ハムとチーズをくれましたよ。風柳さんには、酒盗とエイヒレですって。」
 シェフが気を遣って、最高の摘みを用意してくれ二人は上機嫌だった。
「黒影、白雪は大丈夫か?」
 この大丈夫か?は今日の夢見は悪いんじゃないかと心配する親心の様なものだ。
「ああ、多分ですが。心配は無用でしょう。」
 黒影がそう答えた直後、風柳の携帯が鳴った。
「はい、風柳。」
 風柳が出たと同時に、黒影は部屋に備え付けのメモ紙とペンを用意する。
 何時もの連携プレイと言った所だ。
 県警によると十年前に神隠しに遭って、消息を絶ったと言う人物は、佐田 明仁(さだ あきひと)。当時41歳。
 仕事の単身出張でこの村を訪れていた。
 当時勤めていた会社に寄ると、出張の予定は二週間だった。
 然し、二週間経っても連絡一つ取れず、捜索願いを出すが、分からず仕舞いだった。
 妻の桃花(とうか)は、きっと旦那は女でも作って逃げたんだろうと噂され、気を病みニ年後に社宅マンションから飛び降り自殺している。
「村の中で佐田 明仁が消えた時、知らせに行ったのは誰か、聞いて下さい。」
 黒影は風柳に言った。その人物は――佐田 博信(さだ ひろのぶ)。
 ……サダノブは以前もこの村に来ていた!きっと父親に会いに来ていたんだ。
 まだ幼いサダノブが通報したならば、数日しか滞在していない父の明仁を誰も覚えていないのも、納得がいく。
「分かった。忙しい所有難う。」
 風柳がそう相手に言い、電話を切った。
「サダノブが繋がったなぁ。」
 日本酒に浸したエイヒレを豪快に囓り、風柳は獲物を捕える目になった。
 刑事の勘とやらが疼いているのだろう。
「佐田一家が悲惨な事になった、謂わば彼の忌み地に、サダノブはあえて帰って来て住み始めた。必ず理由があるんです。」
 ……風柳はその黒影の言葉を聞いて、少し考え言った。
「復讐?……父親探しか?」
 黒影はその言葉を待っていたかの様に指を鳴らし、
「ビンゴ。」
 と、言うとニヤリと笑った。
「サダノブが目立つ事なく、静かに何年も暮らしていたのは、苗字を捨てられなかったからだ。
 父親の復讐をする男、はたまた探す男としてはね。
 だから警戒を解く為に、少しずつ村に溶け込んで行った。……そう、十年と言う歳月を掛けて。
 ところが先日、何者かにその真意がバレてしまった。だから、崖崩れに見せ掛け殺され掛けた。
 その犯人以外の村人は、サダノブの真意を知らない。だから治療が終わるまで身を隠す必要は無かった。
 けれど、治療が終わればまた一人の所を犯人が狙いに来る可能性もあった。
 あんな崖に呼び出したぐらいだ。犯人はきっとサダノブに近い人物に違いない。
 我々が崖の犯人を見つければ、サダノブは自然に出て来ます。」
 かなり事件の概要が見えては来たものの、十年前の真実はまだ霧掛かっていた。
「黒影……やけにサダノブを気にするんだね。」
 あくまでも事件の登場人物は、黒影にとって謎を解くヒントでしかないのだが、黒影が何処か見た事もないサダノブに会いたがっているように見えたので風柳は聞いた。
「変わった奴ですよ、サダノブは。自分の命の危機的状況下で、僕を助けたんです。命の恩人ですよ。
 ……数日前、あの崖の上で僕を突き飛ばしたのはサダノブだ。崖崩れから僕を巻き添いにしないように、サダノブは村側へ落下し、突き飛ばされた僕は反対側で見付かったから、村など見えはしなかった。
 ……然し、其の命の恩人が数日後、僕に助けを求めてきた訳です。一枚のカードで。」
 と、黒影はサダノブを助けるつもりでいる事を明かした。
「じゃあ、あの1/100ってやつは……。」
「そう、この村の事。百首村が100。後の1は未だ解りませんがね。」
 と、黒影は風柳に返すと、グラスのワインをグイッと飲み干し、更に少しワインを足すとグラスを持ったまま、ふらふらと風柳の部屋を後にした。
「なんだ黒影の奴、酔っ払っているならそう言えば良いのに。困った奴だ。」
 風柳は微笑ましく、黒影の去った扉に向かってそう独り言を言って、あの黒い化け物が出たら誰だって目を覚ましてしまいそうだと、障子から見える朧月に乾杯した。

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🔸第三章へ↓↓

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→次の幕「黒影紳士」season2-2幕へ
(追加しましたら随時貼ります)


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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。