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「黒影紳士」season3-5幕〜静寂に微睡む〜 🎩第二章 消失に微睡む

――第二章 消失に微睡む――

「おっかしいわねぇ……黒影の珈琲用の粗目、こんなに減っていたかしらん?」
 白雪はキッチンの黒影が疲れた時だけに出す、多めの粗目が入った珈琲の為にある、陶器に可愛いリボンを口に結んだ粗目専用瓶を覗き込んで呟く。
 確認しようとパタパタとスリッパの音を立て、リビングの黒影の横に瓶を持ったまま、
「ねえ、黒影まさか私の知らないうちに、珈琲に粗目沢山いれてないわよね?」
 と、行成聞いた。
「えっ?一体何の疑いがあって聞いているんだ。僕は白雪が作った珈琲しか飲んでいないし、もし自分で作ってもそんな事はしないよ。……僕が白雪に怒られない様にそんな事をするのなら、こっそり買い足すと思わないか?
 きっと何かの料理に使ってしまったのだよ。プリンのカラメルとか、煮物の隠し味とかに。……覚えが無いのか?」
 黒影は完璧な身の潔白を証明し、他に可能性があるのではないかと聞く。
「此れは黒影専用よ?リボンも付けて間違えない様にしていたのに……。何だか、最近気付いたら色々無くなっていて頭にきちゃうわ」
 白雪は軽くストレスでも感じたのか、そう言ってキッチンに戻って行く。
「……確かに、よく物が無くなるな」
 黒影は未だ見付からない帽子専用のブラシの事を考えて言った。
 サダノブは穂との宝探しの事を思い出し、
「先輩、此の間……皆が無くした物の宝探ししていたら、俺等って穂さんから見たら、不思議に慣れ過ぎだって注意されたんですよ。此処迄無くなるのは「不思議」じゃなくて「異変」でしょう?って。でも、だからって能力者だったらとっくに何か仕掛けてきますよね。……「異変」って何だろう……」
「異変」について黒影に聞いた。
「僕等は何時も何事かが起きてから動くからなぁ。……能力者かぁ。一応、頭の片隅に留めておこう」
 黒影はそう言うと、二階の自室に行き眠る様だ。
「お休みなさーい」
「先輩、おやすみなさーい!」
「ああ、黒影……お休み」

「じゃあ、お先にお休みなさい。お疲れ様でした」

 ――――――――――――――――――
 黒影は今日は事件も無く、のんびりとベッドに包まれて眠った。
 明かりは消しても月明かりが柔らかく其の姿を照らしてくれるので、安心して眠る事が出来る。

 ……予知夢のギャラリーか。
 黒影は予知夢の世界にいた。
 美しい中庭の花壇を眺め、ロザリオを二本女性像が身に付けた寄り添う男女の像の前で、帽子を取り胸に当てると深々と一礼し先に進む。

 中央広場の大きな絵画に、予知夢が描かれている筈だからだ。絵画の前で足を止めた黒影が戸惑う。
「……何だ……此れは……。此れは予知夢なのか?」
 驚き、気付くとそう口に出していた。
「先輩ー!如何したんですか?そんな浮かない顔をして」
 如何やらサダノブも予知夢の世界に入って来たらしい。
「何だ、もう寝たのか。別にもう此処のギャラリーはの火は鎮火している。無理に残業しなくて良いんだぞ」
 と、黒影は笑った。
「そりゃあそうなんですけど、癖ですかねえ。此処への扉が見えると、何か行かなくちゃって気になるんですよ。其れに明日の仕事も気になるじゃないですか?」
 サダノブはそう言う。
「まあ、狛犬だから着いて来たがるのも当然か……。なあ、ポチ。……お前、コレが何に見える?」
 黒影は予知夢の絵画を指差してサダノブに聞いた。
「真っ暗……。漫画の放物線みたいな物が真ん中に集中してますね。……俺には全く。先輩は分かるんですか?」
 サダノブは黒影に答えを聞きたがったが、
「……否、こんな絵は初めて見た。僕にも皆目検討がつかない。此の隅っこに小さく描かれているのは何だ?」
 黒影はアンティークルーペをコートから取り出して観察する。
「おい……此れ、まさか消しゴムか?」
 と、黒影は言うのだ。
「えっ?予知夢に消しゴム?めっちゃレアパターンじゃないですか。俺にも見せて下さいよー」
 サダノブがそう言うので仕方無く黒影はルーペを渡し、小さな消しゴムを指差した。
「あれー?本当だ、消しゴムですね。……でも確か予知夢の影絵に現れるのは、殺意ある殺害事件のみでしたよね?まさか、此の消しゴムが犯人か被害者って訳じゃあるまいし……。予知の絵画って今迄外した事ってあるんすかー?」
 サダノブはまさかと笑い乍ら黒影に聞いた。
「否、一度たりとも無い。今回ばかりは此の僕ですら予知の絵画が何を言いたいか、さっぱり分からん。……そうだ、サダノブは物からも思念があれば読む事が出来たな。……丁度良い。折角来たのだし、やってみてはくれまいか」
 と、黒影はサダノブに頼んでみる。
「はあ……元は美しい「真実の丘」の絵ですからね。何方の思念が出るかは分かりませんよ」
 そうサダノブは念を押した。
「分かっている。やらないよりマシだ」
 黒影が言う。手を触れてしまえば夢から目覚めてしまうので、サダノブは触れない程度に掌を浮かしてかざすと目を閉じて集中する。
「……何だ?なんか此の放物線の中央、何かを吸っています。何かまでは分からない。此の消しゴム……何人か拾っていますね。持ち主の顔が……霞んで見えない。辛夷戸高等学校の制服は着ている。襟に辛夷の花のバッチが見える。其処迄見えるのに……何で顔も手も霞んでいるんだ?………………あっ!やばいっ!吸い込まれるっ!」
 そう叫ぶと、サダノブは絵の中の放物線の中央に顔面をめり込ませ、四肢をバタバタさせた。
「おいっ!今直ぐリンクを切り離せっ!」
 黒影は慌ててサダノブを引っ張り出し、息を切らす。
「あはっ、また先輩の腕に救われたっすね。やっぱり切らないで、予約済みで良かったー」
 と、サダノブは頭を掻いてニコニコしている。
「おい、ポチ!危ないところだったんだぞ。巫山戯ている場合じゃない。……其れにしても、吸い込む能力者だと?そんなもの未だ且つて出会った事も無い。吸われたら戻るのか?事実上、死んだ事になるのか?それとも即死か?将又違う世界に行くのかもなっ!」
 黒影は楽しそうにサダノブに言うではないか。
「先輩の頭は宇宙までぶっ飛んでますよ」
 と、思わずサダノブが言った。
「何だ、衛星ならあるが」
 黒影はまともにそう言う。
 ……そうだった。現実でも既にぶっ飛んでる人だった……。
「きっと読まなきゃ呑み込まれない。さあ、目覚めよう。今回の仕事は実に楽しそうだ」
 笑顔で黒影は絵の前に座ると一瞬笑顔を消し、サダノブと黙祷し、絵に触れて二人は目覚める。
 ――――――――――――
「消しゴムかあ……」
 黒影は目覚めるとそう呟き、急いでFBIに会議用チャットで連絡した。
「やあ、其方は夜だよね?すまない。変わった能力者を見付けたので報告したいのだが……」
 と、話す。
「ああ!黒影か。元気そうだね。変わった能力者?そりゃあ聞いてみたい」
 相手は久々にモニター越しとは言え、会えて嬉しそうだ。
「君も元気そうで何よりだ。今朝方予知夢に出たのだが、吸い込む力があるらしい」
 黒影は今朝の夢を話す。
「吸い込む?何処へ?」
 連絡の相手は不思議そうに聞いた。
「限りなく死に近い……。異世界。空間。もしかしたら即死かも知れないな。僕の予知夢だから、死と並ぶ何かと予測良いだろう。ちょっとワクワクするだろう?此の話し。危険そうだが、正体を探しても良い。其方にそう言った人材が欲しくないかなあーと思って。如何かな?」
 黒影が話していると、カメラにひょこりもう一人顔を出した。
「Oh!!黒影!会いたかったよー!結婚したんだって?最高じゃないかっ!吸い込む奴は危険か?」
 と、カタコトの日本語で話して来る。
「ああ、ボスお久しぶりです。お陰様で幸せですよ。危険か如何かは今から判断します。……如何です?危ない仕事は此方がする。使えたら差し上げる。悪い話しじゃ無いでしょう?」
 と、黒影は契約の話をする。
「……分かった。黒影の結婚祝いに依頼しよう!他のお祝いも贈るから後で受け取っておくれよ。じゃあね!」
 と、バイバイするので黒影はにっこり笑い乍ら、
「了解、楽しみにしています。ではっ!」
 そう言ってバイバイして返した。
 通話を切って黒影は一つ溜め息を吐いた。
 悪い人ではないがテンションがイマイチ付いて行けないと思い苦笑する。
 ――――――――――――――
 黒影は二階からパタパタと一階に降りるなりサダノブに、
「FBIより正式依頼が入った。でかい仕事になるぞ。内容は吸い込む能力者の詳細、危険人物か否かの判断。危険でなければ、クライアントに紹介する迄が仕事だ。それから、恐らく事務所宛にだろうと思うが、結婚祝いが届くそうだ。もし、来たら受領宜しくな」
 そう黒影は一気に言う。
「えっ!?もう仕事引き受けて来たんですかぁ?あんな吸い込むなんて、やばいに決まっているじゃないですか」
 サダノブのその言葉を黒影は指を鳴らして止める。
「……良いか。……だから此の仕事には価値がある。高額依頼だ。給料ははずむぞ」
 黒影はニタリと笑う。其れには流石のサダノブも黙り、今度こそ穂さんと旅行!と、心に決めたのであった。

 「白雪、良い仕事が舞い込んで来た。粗目の砂糖入りの珈琲を頼んでも良いかな」
 白雪がキッチンからひょいと顔を出して、
「あら、良かったわね。じゃあ、事件の解決を願って淹れて上げるわ」
 と、にっこり笑顔でるんるんしてキッチンに戻って行った。
「……とは言え……何処から手を出すのか決めているのか?」
 風柳が黒影に聞いた。
「ええ、ありますよ。先ずは辛夷戸高等学校の三名の行方不明者の事件を追います。勿論、名刺を配り乍らですけどね」
 と、黒影はちゃっかりして言う。
「全く……お前って奴は。探偵らしく行方不明者を見付けるつもりか?」
 仕事が被りそうで嫌な予感がした風柳はそう聞いたが、
「違います。それより、お宅訪問をしてきますよ。……お兄ちゃん……良いよね?」
 黒影は態と「お兄ちゃん」と呼んで無邪気に笑うと、アポイントの手間を風柳の警察手帳で済ませ様としている。
「おっ、お……!?……ま、まぁ俺がいた方が楽なら、一緒に付いて行ってやっても良いぞ」
 と、流石の風柳も初めて言われた「お兄ちゃん」には照れて甘やかしてしまった。
「有難う!お兄ちゃんっ!」
 黒影はまるで天使の様な微笑みで、風柳の首に軽く両手を回すと背中に抱き着き嬉しそうにする。
 サダノブは見た!
 ……天使の皮を被った悪魔がいる!
 ……風柳さぁーん、しっかりして下さい!
 と、可哀想に放心状態になった風柳に、心からの小さなエールを送るのだ。
 ――――――――――――

「さぁて、サダノブ……行こうとするか……」
 幸せそうに珈琲を飲んだと思ったら、さっさと鞄を自室に取りに行きバタバタ持って降りると言った。
 何時に無くやる気で、気分も浮かれている様だ。
「完全に楽しんでますよね?」
 サダノブはタブレットを持って、風柳から聞いた行方不明者三名の名前をマップにマークした。
「楽しいに決まっているだろう?吸い込むなんて能力はSレアだぞ。戦闘系、時空系、予知夢はわんさかいても、滅多にお目に掛かれない。其れが此の近辺を彷徨ってると考えただけでわくわくしないか?まるでブラックホールだ。そして此の僕が其の真実を解き明かせるんだ。宇宙の謎に挑む天文学者の様にね」
 と、黒影は幸せそうに目を輝かせ答える。
「また……スマホゲームもしないのにSアとか言い出して……」
 如何せ知りもしないのに誰かに吹き込まれたのだろうと、サダノブが呆れて言うと、
「此の間、白雪とカードゲームをしたんだよ。楽しいが、直ぐ手持ちがいっぱいになる。あれは何とかならんのか?」
 黒影はサダノブに真面目に聞いている。
「え?カードゲームなんかやるんですか?意外だなぁ。……手持ちは捨てるか、課金すれば良いんですよ」
 と、サダノブは教える。
「成る程……そうやって、ゲーム会社も頑張っている訳だ。まあ、僕は課金するまでも無く飽きてチェスに戻ったがな。……今度、素晴らしいカードの絵札があったら課金しておこう」
 黒影は課金を募金としか思っていない様で、結局チェスに戻る辺りが黒影らしいとサダノブは笑った。
「車の準備出来たぞー」
 風柳が玄関から声を掛けている。
「あ、はい。今、行きます!白雪もおいで」
 黒影は流石に未だ全貌の見えない吸い取る能力に警戒し、白雪を一人にしておくのは危険と判断した様だ。
「はーい」
 白雪は白いコートを着て、斜め下げのポシェットと時夢来の本を持ち、パタパタとやってくる。
「今日は風柳さんの車?」
 黒影を見上げて聞いた。
「ん、安全快適な「お兄ちゃん」の車さ」
 と、黒影が笑い乍ら言うと、
「ほんと……悪い人ね」
 と、白雪はクスクス笑った。
 ――――――――――――――――――
「……へぇ、辛夷戸高等学校の一年生が一人、二年生が二人か……。まあ、先輩と後輩で仲良かった可能性はあっても、部活はバラバラ。普段会っていたと言う目撃情報も無い。共通点は学校が同じと言うだけ。でも、同じ学区内だから当然かも知れないが、通う道は同じ様だ。此の道に吸い込む者とやらが出没していたのかもな。……と、なると此の近辺に吸い込む者がいる」
 ……と、黒影はマップを見て情報整理をし乍ら頭に叩き込んでいる様だ。
「先輩、後……消しゴムですよ。多分先輩の予知夢の絵画や時夢来みたいに、消しゴムを能力の媒体として使っているんじゃないですか?
 消しゴムの思念から見る限り、吸い込む者は同じ学校の生徒で間違い無い。まさか……幾ら消しゴムって言っても、其れで消すなんて出来ませんよね?」
 と、サダノブは聞く。
「消すにしても人間は流石に大き過ぎる。……写真なら未だ分からないがな。……消しゴムかぁ……」
 黒影は何故か消しゴムが気になった様だ。
「如何したんですか、先輩?消しゴムなんてぼやいて。……事務所の消しゴムなら未だ予備ありますよ」
 サダノブは事務所の事かと、消しゴムの在庫を言う。
「……否、薄ら……。あまり記憶がはっきりしないのだが、何処かであの消しゴム……。予知夢の絵と同じ削られ方、使い途中の消しゴムを見た様な気がしてな」
 黒影は腕を組んで上を見上げ考える。
「全く同じ状態の消しゴムですか?先輩が思い出せないなんて珍しいですね」
 サダノブが言った。
「……そうだな。珍しい方だな。もし、記憶を消す事も出来るとしたら、消しゴムの方を僕なら消す。手の内を知られるのは能力者にとっては命を晒すのと同じだ。……何かが違うんだ」
 そう黒影は答える。
「黒影、時夢来でもう一度確認してみたら?何か思い出すかも知れないわ」
 それを聞いた白雪が提案する。
「そうだな。取り敢えず着いたみたいだから、話を聞いたら時夢来を見てみるよ」
 黒影は白雪の優しさに微笑みつつも、車を出た。
 ――――――――――
「何か、探すヒントになるかも知れないので、息子さんのお部屋を拝見させて貰っても良いですか?」
 風柳の隣りで黒影はちゃっかりそんな事を言う。
「ええ、もう何も失いと思いますが……」
 と、母親が言った。
「何も失い?」
 黒影と風柳は思わず顔を見合わせた。
「警察の初動捜査では出来るだけ其の儘にとお伝えした筈ですが……。あれから移動でも?」
 と、風柳が聞く。
「いいえ。私共は一切動かしていません。でも、失いものは失いんですっ!」
 母親は嘆き叫ぶと同時に其の場に泣き崩れた。
「風柳さん!」
 黒影は一刻も早く消えた息子の部屋へ行こうと声を掛ける。
「二階の左側だっ!」
 風柳は場所を伝える。
「失礼する!」
 黒影はそう言うなり階段を駆け上がると、左側の部屋を勢い良く開けた。
「……何だ……此れは……」
 崩れ落ちたかったのは母親だけではなく、黒影もだ。
 ……何も失い。痕跡以外……物質が失かった。
 黒影は床の絨毯を凝視し、這う様に隅から隅迄見て廻る。
 生活していれば必ず残るベッドや箪笥……家具の傷跡。確かに生活の跡はある。何が在ったかも想像出来る。……が、運び出した形跡が一つも見当たらない。
「まさか……物質ごと吸い取るのか?」
 寸分ズレも見せず、まるで宙を浮かせた様じゃないか。
 黒影は母親の元に戻り、肩に手をやると、
「確かに消えていました。……僕は貴方の言っている事が正しいと思っています。息子さんを探すならば、先ず部屋の物が何時から、どんな順番で消えたか知らねば始まりません。深呼吸をして、如何か……話して貰えませんか」
 黒影はハンカチーフを手渡し、出来るだけ優しく言った。
「……誰も信じてくれなくて。私でさえ、嘘ではないかと目を疑いました。あの子が行方不明になってから警察の方に相談したのが二日後。……三日後ぐらいから、あの子の部屋の異変に気付きました。無事に早く帰って来てはくれないかと、あの子のご飯を作っていたのですが、お箸が失くなっていたのです。不安になって部屋へ行くと、大事にしていたサイン入りのサッカーボールとポスターが失くなっていました。
もしかして親の目を盗んで、偶に帰って来ているんじゃ無いかと思ったんです。
 けれど次の日部屋を見てみると、細かい物が失くなって、其の次には大きな家具まで失くなって、最後にはベッドまで失くなりました。
 私は心配で、暫く廊下に布団を敷いてあの子の部屋の前で寝ていました。なのに、全て失くなってしまった。
 確か警察に相談する前にあの子……「消えてしまう……」と、変な事を言っていたんです。
 其の時は勿論、何の事だか分かりませんでしたが、今思うと……あの部屋の物の様に消えてしまったのではないかと……。今は怖くてあの部屋にも入れません」
 と、言うのだ。
「……なあ?」
 風柳が突然、黒影を呼んだ。
「はい」
 黒影は何かと顔を窺う。
「……此の事件、早く解決しないといけないな」
 風柳はそう言った。
「勿論、其のつもりで此処にいます」
 今更何を言うのかと、黒影は不思議に思う。
「如何か、あの子を……」
「はい。きっと帰って来ます。僕が保証します」
 黒影は母親の手を取ると優しく微笑んでいた。

 ……その保証は優しいが……確約されてはいない……。
 風柳は何も言わずに、其の場を去った。

 ――――――――――
「ちょっと風柳さん、如何して黙って出て行くんですか?失礼ですよ?……そもそも息子さんが消えたかも……なんて思っていたら、嘸かし不安だろうに。もう少し気の利いた言葉ぐらい……」
 ……あるでしょう?と、言い掛けた時だった。
「時間が無いんだ。……本当に」
 風柳は言った。
「如何言う意味です?」
 黒影は不思議そうに聞く。
「……お前は知らない方が良い。其の方が鼻が効く」
 と、風柳は答える。
「何ですか其れ?説明下手のサダノブみたいな言い方しないで下さいよ」
 黒影はプイっと横を向いて、機嫌を損ね先に車に乗り込んだ。

 風柳は震える手を隠し乍ら警察手帳を開く。
 ……やっぱり……。
 刑事なら、泣きそうになった気持ちは放っておく。
 其れより先にやるべき事がある。
 風柳は目を閉じて涙を呑み込むと、再び瞼を開き……あの虎の様な獲物を狩る瞳で前を向き、何も無かったかの様に殺気を潜ませ車に戻る。

「待たせたな」
 と、言い乍ら何時もの様に運転席に座る。
「先輩、何をまた拗ねているんですか?」
 後部座席でサダノブが黒影に話し掛けた。
「風柳さんが、僕をポチ扱いするからだよ」
 と、黒影はまだツンとしている。
「悪かったよ。物の例えだ」
 風柳は黒影を見やり笑った。
「抑々、俺に失礼と思いません?ねぇ、二人共!」
 サダノブがそう言うと、黒影と風柳は其れもそうだったとケラケラ笑い出す。
「愛嬌があるんだから、良いじゃない。構ってもらって幸せね、ポチは」
 と、白雪まで笑う始末だ。
 サダノブは一人憤れていたが、
「お前がいると息抜きになる。だから良いんだ」
 黒影が微笑んでそう言うので気にしない事にした。
「……あっ、そうだ。風柳さん、帰りに粗目を買いに寄ってくれませんか。そろそろ無くなるらしくて」
 黒影が風柳に頼む。
「黒影、本当に見てない隙に珈琲に入れてないわよねー?」
 白雪が怪しがってルームミラー越しに黒影を訝し気に見る。
「失礼だなぁー。此れでもコートに合わせて体重管理も、糖分の摂取量も、細かく決めているんだ。隣の鼠が食べない限りは減らないよ」
 と、黒影は今度はサダノブを怪しむ。
「えっ?!違いますよっ。俺は先輩程、甘党じゃないですから」
 サダノブはわたわたし乍らも潔白を主張する。
「……其れもそうか……」
 そう黒影が考え始めたので風柳は慌てて、
「あっ!そうだ。思い出した!……すまんな。其れならお茶を作ろうとした時に当たってひっくり返してしまったんだよ。片付けた迄は良いが、足しておくのを忘れていた!」
 と、言う。
「なぁーんだ、風柳さんだったなら良いわ」
 白雪は犯人が呆気なく分かってしまい、詰まらなさそうに言う。
「珍しいですね、風柳さんが……」
 忘れるなんて……と、黒影が言おうとした時だった。
「忘れるなんて」と言うワードに、黒影は得体も知れぬ恐怖心を覚えた。
 ……何だ、此の感覚は。
「サダノブ!僕の思考を読め!……許可するから早くっ!」
 黒影は慌ててサダノブの両肩を鷲掴みにして揺らすと言った。
「えっ?!……何時も急なんですからっ!離して、大人しくしてくれないと読めませんよ」
 サダノブは取り敢えず黒影を落ち着かせる。
 黒影も、そうだったと手を離して静かにした。
 ずっと、心の中で、「忘れるなんて……」と言うワードを繰り返して……。
「……「忘れるなんて……」?って言ってますよね?……何だ?此れは。先輩が考えているのと違う声がする。言葉がシンクロしているから読めって言ったんですね。……「忘れるなんて……酷いじゃないか」……シンクロしている声の主はそう言っている」
 サダノブは黒影の思考……詰まり脳を読んでそう言った。
「忘れる?……僕が何かを?」
 黒影は考えて上を向いた。
「はい、黒影。後で確認するって言ったじゃない」
 白雪は時夢来(とむらい)の本を黒影に手渡す。
「……確かに、此れも忘れていたな」
 黒影はクスッと笑うと、胸ポケットから時夢来の懐中時計を出し、首のネックレスを外すと、開いた本の隠し穴に懐中時計を嵌める。
「……左周りだ。過去を出すつもりらしい」
 黒影は反対側のページに炙り出された挿絵に目を移す。
 ……此れは……。
「先輩?」
 サダノブが見てゾッとする。
 時夢来は主の黒影の危機を感じた時、他の事件に関係無く、主に危険を知らせる事を最優先とするルールを思い出したからだ。
 黒影はショックを受ける訳でも無く、アンティークルーペをコートのポケットから取り出し隈無く見ている。
「……過去なんだよな、此れは。僕はあの消しゴムを拾っていたのか。……で、此の学生が吸い込む者か。会っているのに何も思い出せない。炙り絵では男子生徒までしか分からんな」
 と、炙り出された挿絵を見て黒影は言う。
「先輩……吸い込まれちゃうんですか?」
 サダノブは声を震わせ聞いた。
「何だその弱犬みたいな声は。馬鹿か、此の僕が素直に吸い込まれると思うのか?サダノブ、僕が誰だか忘れているんじゃないか?」
 黒影は平気そうに言う。
「えっ?先輩は先輩ですよ」
 サダノブは訳が分からず答えた。
「違う、其方じゃない。僕は黒影だ。……影も消せるか如何か、一度手合わせ願いたい物だ」
 黒影は下らないと溜め息を一つ吐いて、時夢来から懐中時計を取り出し、本を閉じてゆったり座り直し帽子で顔を隠し寝始めた。
「風柳さん……黒影、怒ってるわよ」
 白雪が小声で助手席から風柳に言う。
「嘘が……バレたな」
 風柳は苦笑した。
「黒影は嘘が嫌いだもの。……でも、優しい嘘ならきっと平気よ」
 と、白雪は微笑む。
「そうだ。粗目以外に彼奴の好きな物を知っているかい?」
 風柳はご機嫌を取ろうと白雪に聞いた。
「プリンよ。できるだけトロトロの崩れちゃいそうなやつ。出来ればミルクプリンの方が好きみたいね」
 白雪は黒影の事なら何でも御座れと、自慢気に答える。
「ついでに買って行くか。有難う」
 と、風柳は小さく笑った。
 サダノブは心配になって揺れる帽子を見ている。

  ……影は物質では無いが……黒影自体は能力が無ければなんら普通の人だ。
 サダノブも吸い込み掛けたのだから、黒影でも多分……。
 一体あの吸い込まれた先は何なのだろう。
 真っ暗で何も見えなかった。
 きっと黒影はまた寝ているフリをし乍ら、真っ暗な帽子の裏側を凝視しているに違いない。

🔸次の↓season3-5幕 第三章へ↓

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。