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「黒影紳士」season2-9幕〜誘い〜 🎩第一章 ある人形の誘い

乙に日本舞踊🪭等如何ですか?


――第一章 ある人形の誘い――

「あら、……お洋服、直してあげなきゃ」
 白雪がお気に入りの昔から持っていた人形を抱き上げて持ち上げると、スカートの裾の糸が解れているのに気付いて言った。
 白雪は人形を連れて二階の黒影の部屋に行く。
「ん?如何した?」
 黒影は階段を上がって来る音だけで白雪だと分かり、白雪がドアを開ける前に、開いてそう聞いた。
「見てー。Lilly(りりー)のスカートの裾、解れちゃったの。黒影何とかしてー」
 と、Lillyのスカートの裾を見せる。
「良いよ、中で待つ?」
 と、黒影が言うと白雪はこくんと頷いて、黒影の部屋に入り何時もの黒影が寛いでいる安楽椅子に軽く跳ねて座った。黒影より背の小さい白雪は足をパタパタと落ち着かなさそうにしていた。
 黒影は其れを見てクスリと笑うと、オットマンを足元に置いてやる。
「此れなら、丁度良いだろう?」
 そう言ってLillyの服を直す準備をした。
「懐かしいな……Lillyを買った時の事。あんまりに白雪が強請(ねだ)るものだから困ったよ。滅多に御強請なんかしなかったのに、初めてだったんじゃないか?」
 と、黒影は懐かしそうに言った。
「Lillyは特別なのよ。普通のお人形と一緒にしないで」
 と、白雪は言ったので、
「はいはい」
 と、黒影は裁縫道具から針と糸を出した。
「糸、此の色で良い?」
 黒影が確認すると、白雪はまたこくんと頷きカーテンの隙間から入ってくる優しい風に目を閉じた。
 ……眠かったのかな……。
 そう思って、黒影は裁縫が終わるまで起こさないでいてやろうと思った。意外かも知れないが、黒影は裁縫やミシンも細かい作業が得意だ。精密機器の改造もお手の物だ。白雪が頼んだのも、其れが理由に違いなかった。
「……痛っ……」
 珍しく黒影が針を指に刺してしまい、つい声に出す。
 白雪も其の声で起きた。
「如何したの?」
 と、黒影の手元を見た。
「……手が滑ったかな?」
 と、黒影は自分の指を見ている。本当は指が滑った筈は無いのに……不注意なんて何時起こるか分からないものだと、其の時は然程気にも留めなかった。
「大丈夫?救急箱持ってくる!」
 白雪は慌てて安楽椅子から立ち上がろうとしたが、
「其の儘で良いよ。裁縫道具の中に一応一枚入ってるから」
 そう言って、自分の指に絆創膏を巻いた。
「……珍しい事もあるものねー」
 と、白雪は言う。
「全くだな。起こして御免。またゆっくりすると良い」
 そう言って白雪を安心させて、人形のスカートの裾を繕う。
……何だ?此れは?……
 丁度人形のスカートの裏側を縫っていると、白いレースの施されたスカートの裏の裾が赤茶色に滲んでいる。……何か酸化する物でも敷いていたのだろうか?……
 ……否、何か裾の折り返しに縫い込んである。黒影は白雪がうとうと眠っている事を良い事に、裏地を解いて見て見る。
 ……白い何かを針金で巻いている。裾を広げる為のワイヤーかと思ったが、其の割には形が歪だ。其れに此の白さは黒影には見覚えのある物だ。
 机に真新しい黒い生地を広げて、崩れ無い様に先の細いペンチでワイヤーを丁寧に取り、其れを上に並べた。そして欠けた所を推測して、細い曲がった部分を並べて行く。数分後、其の白い物の形が現れた。
 ……やっぱり人骨。……海馬だ。
 海馬とは耳の奥にある骨で貝殻の様な独特の形をしており、主に記憶を司っている。
 ……何だってこんな物がLillyに……白雪がこんなに古くなってもLillyが特別と言うのは、何か唯ならぬものを此の人形に感じていたからだろうか?……其れとも、知っていてLillyを選んだのだろうか?
 そんな事を考えていると、目覚めた白雪が目を擦って、黒影の広げた黒い布の上の針金と組み立てられた海馬を見る。
「なぁに、此れ?……Lillyは?」
 白雪は黒影に聞いた。
「此れに見覚え無いのか?」
 黒影は返事もせず、白雪に問う。
「知らないわ、こんなの。其れよりスカートの裾は?」
 と、急かした。黒影は海馬と針金を抜いて縫い直しておいたLillyを渡した。
「もう古くなった。新しい物を買うか?」
 と、黒影は提案したが、
「古いとか新しいとかじゃないの!大切にして来た思入れってあるでしょう?黒影なら分かってくれると思ったのに」
 と、白雪は口を尖らせた。
「ああ、そう言う物もあるな」
 そう言って黒影は白雪の頭を撫でてご機嫌をとる。
 気を良くした白雪は、
「有難う!」
 と、にこやかにな笑顔で手を元気に振り階段を降りて行った。
 ――――――――
「……其れにしても」
 黒影は取り敢えず帰って来たら風柳さんにでも相談するかと、海馬と針金を黒い布で巻き、コートのポケットに入れ一階に下りる。……何だ、誰も居ないのか……。
 白雪は自室に戻り、サダノブは「たすかーる」へ今日、出来上がる予定の物を引き取りに行ったままの様だった。
 ……仕方無い……。
 黒影は事務を手伝ってやるかと、何時もの自分の珈琲カップ&ソーサーに珈琲を注ぐ。
……パリン……。
 カップの半分が日本刀で斬ったかの様に綺麗に落ちて行く。
「へき年劣化か?」
 そう呟いて割れたカップを拾い、掃除機を掛ける。
「あれ?黒影如何したの、掃除なんて始めて」
 と、部屋から出て来た白雪が黒影に聞く。
「否、大した事は無い。長年使っていたから愛用の珈琲カップが割れただけだ。また新調しないとな。……危ないからあまり此方に来ないよーに」
 と、黒影は白雪が怪我をしないように足止めをする。
「……何か、縁起が悪いわねー。さっきも珍しく針で指を刺したばかりだって言うのに……」
 と、白雪は黒影の指の絆創膏を見て言った。
「そう言う日もあるさ」
 黒影はそう言って笑う。其の笑顔は何時も通りなのに、白雪は胸騒ぎを感じてしまう。
「ただいまーっす!」
 サダノブが「たすかーる」の買い出しに戻って来た。穂さんに会えたんだろう。ご機嫌でリビングに入って来る。
「ストーップ!」
 足元を見ないサダノブを白雪が止めた。
「もうっ、少しは周り見てよね!」
 と、サダノブを注意する。
「あれ……割れちゃったんですね」
 と、黒影が毎日使っているカップが割れた姿を見て、残念そうに言う。
「当分気に入った物が見付かる迄、客室の物を使うよ。……ところで、新しい通信機器はもう出来ていたか?」
 と、黒影はサダノブに聞いた。黒影の帽子やコートの精密機械を破壊する機能よりもタフな、探偵社専用の通信機器を「たすかーる」の涼子に依頼し、今日出来上がる手筈だった。
「其れがですよぉー、先輩聞いて下さい。珍しく連休でも無いのに荷物の配達業者の人員不足で、材料の到着が遅れて涼子さんも徹夜で作ったらしいんですが、未だ出来て無くて明日になりそうだって」
 と、サダノブは説明した。黒影は一度掃除機を止めて言う。
「あの、「たすかーる」がか?」
 と。サダノブも言いたい事は分かるので、
「ええ、あの「たすかーる」が、ですよ。何処よりも速い、正確さが売りの「たすかーる」が、納品に遅れるなんて創業以来初めてだって、涼子さんも運が悪かったと、其れはえらく悔しがっていましたよ」
 と、言うのだ。
「まぁ、直ぐに使う訳でも無かったから構わないけれど……本当に珍しい事があるものだ」
 と、黒影は思わずカップの欠片を拾って言った。
「ねぇ、其の割にはサダノブ遅かったじゃない」
 と、白雪が穂さんとイチャイチャし過ぎて遅れたんじゃないかと勘繰る。
「ほっ、ほら黒猫の「先生」、うちじゃ移動が多くて見れないから、「たすかーる」で飼う事になったじゃないですか?丁度、俺が着いた時に「先生」が引き付け起こしたみたいに調子が悪くなったんですよ。バイクで慌てて動物病院に連れて行ったんですけどね。確かに穂さんも一緒でしたけど。……大事にはならなかったみたいだけど、あれ……何だったのかなぁ?病院で落ち着かせて念の為お薬貰って帰ってきたんですけど、医者も分からないみたいで、ストレスかなって……」
 と、サダノブは「たすかーる」であった「先生」の騒動について話す。
「まあ、最近居場所が変わったりもしたからな。猫なら始めはストレスを感じても仕方無いだろうな」
 そう言うなり黒影は丁寧に掃除機を掛け、終わると犯人の痕跡を辿っている時の様に、じーっと破片が残っていないか観察した。
「良し、此れでもう歩けるぞ」
 黒影は満足そうに言う。白雪はスリッパをパタパタ鳴らし客室からカップ&ソーサーを持ち出しキッチンに入ると、珈琲を淹れダイニングテーブルの黒影の椅子の前に置き、
「お疲れ様でした」
 と、言ってくれた。
 黒影は其の一杯に安堵感を覚え乍らも、今日一日の事を考えていた。
 Lillyのスカートの裾の裏地から海馬と針金を見付けたのも奇妙だが、今日は余りにも偶然が過ぎる。偶然も過ぎれば必然の筈なのだが……。
 Lillyはそもそも輸入専門の古物店を白雪と見に行った時に買った、小型のフランス人形だ。目は青く空の様に澄んでいて、臙脂(えんじ)のビロードのワンピースが映える。靴は編み上げの茶色のショートブーツでちゃんと本革で出来ている。髪は金髪の緩いウェーブで、若き日の白雪は何時も現場でさえ、其れを持ち歩いていた。……Lillyみたいに可愛くなりたいな……と言って。未だに髪もLillyと同じにしているのに、Lillyを持ち出さなくなったのは何時からだろう。一緒に何時もいるつもりでいたのに、黒影には其れが思い出せない。
 ……そもそも、あの海馬は誰の物だろうか?メモリアル人形だったのか?とも考える。
「白雪……そう言えば、最近はLillyを持って歩かないな」
 と、黒影はふと聞いた。
「もうっ!私だって大人になったのよ。何時迄も持って歩ける訳ないじゃない」
 と、白雪は答える。
「……じゃあ、もし大人でも持っていて変じゃない世の中だったら、未だ持っているものか?」
 と、黒影は変な事を言う。
「……そりゃあ、まあ。……そうかも知れないわね」
 と、白雪が言ったので、飽きてしまった訳ではなさそうだと黒影は理解した。
 黒影は白雪とLillyを買った日の事を思い出していた。
 他にもフランス人形が並んでいて、白雪は燥いで人形の入った硝子ケースを見ていた。色んな見た事もないドレスに心を奪われて、其の小さな瞳を輝かせていたと覚えている。Lillyを見付けた時も……あれ?Lillyを見付けた時、白雪は少し様子が変だった。無言でじっとLillyの青い瞳を見て、まるで言葉にはせずで話し掛けているかの様に、暫く見詰め合っていた。其の後、言ったのだ。”此の人形にする”と。……何であの時、白雪は笑っていなかったのだろう。品定めでもしているんじゃないかと見落としていたが、普通は気に入った物に出逢ったら嬉しくなるよな?……未だ出逢った頃の白雪は名前すら無く、感情も人より豊かな物では無かった。だからなのだろうか……。
「何、考えているの?」
 白雪が微笑んで、考え過ぎた黒影の顔を覗き込む。
「あっ、否……あの、昔の事だよ。ほら、Lillyを買いに言った時、白雪が燥いでいたのを思い出した」
 と、黒影は行き成り白雪が視界に入ってきてびっくりすると、そう答えた。
白雪はくるんと後ろを向くと、
「そうね。楽しかったわ」
 と、言う。表情は見えないが、其の声が少し大人っぽい落ち着いた声に黒影には聞こえる。
そして、其の声で黒影は確信した。……Lillyには白雪にしか分からない秘密があるのだと。
「Lillyを現場にまで持ち込まなくなったのは何時頃だったかな?」
 と、黒影はカップをソーサーの上に置き、白雪に聞いた。白雪はまたくるんと黒影の方を向くと、
「何でそんな事、聞くの?」
 と、不思議そうに言う。……言う気は無い様だ。
「別に……。何となくさ」
 と、黒影は珈琲をまた飲み始める。
「……さっきから、Lillyって何ですか?俺、さっぱり話が読めないんですけど?」
 二人の会話を聞いていたサダノブが説明を求める。
「白雪のお気に入りの人形だよ。一番始めに買ったフランス人形。……それでな、話は読めなくてもサダノブには此れが何か読めるんじゃないか?」
 黒影はコートのポケットの中に入れた、丸めた黒い布をテーブルの上に徐に開いた。
「……何ですか?先輩、此れは?」
 あまり見慣れない海馬と古びた針金を一目見て、サダノブは白雪と大差ない反応をする。
「見るんじゃない。読んで欲しいんだよ」
 と、サダノブの脳や物に宿った魂を読む力を使って欲しくて、黒影はそう言った。
「先輩がそう言うなら……」
 と、サダノブは海馬と針金を見ると目を閉じて読み取ろうとする。其の物に何か魂の様なものが宿っているなら、その何らかの声が聞こえる事もあるからだ。
 ……ドクンッ!……サダノブの心臓の音が跳ね上がった。……何だ此れは!?余りに強い殺気に慌ててサダノブが目を開いた時、サダノブの瞳は敵を前にした時の様に、金色にギラついた。
「駄目だ、読めない。否……読んじゃ駄目だ」
 サダノブは驚きと動揺で息が上がっている。
「……そうか、サダノブでも駄目か。すまん、無理をさせた」
 黒影はそう言うと、海馬と針金をまた布に包んで、コートのポケットに仕舞う。
「……黒影、そんなに其れが気になるの?」
 と、白雪は黒影の後ろから戯れ付いて聞いた。
「ああ、妙な気がしてな」
 と、黒影は小さく笑う。白雪は其れを聞いて、
「変な黒影……」
 とだけ言って、自室に戻って行った。

 サダノブは白雪が去ったのを見計らって、黒影の隣の席に慌てて座ると小さい声で聞いた。
「一体、何なんですか、あれは?!」
 と。
「あれはLillyを直していたら出て来た物だ。白雪も気付かなかったらしい。……あの白い渦状の物は海馬と言って記憶を司る物で、耳の奥にある人体の一部だ。其れがバラバラになってあの古びた針金で巻いてあったのだよ。其れを見付け様としただけで、針で指を刺すわ、その後には愛用の珈琲カップは割れるわ、「たすかーる」の商品は届かないわ、散々なのだよ」
 と黒影は説明すると溜め息を吐いた。
「……ただ、運が悪いと言うには立て続けですね。……其れにあれ……殺気の塊ですよ。まさか呪いの人形……なんて事、無いですよね?」
 と、サダノブは怖がり乍ら聞いた。
「馬鹿か。そんな簡単に呪いで済ませられたら、探偵なんか要らないじゃないか。だが……此の世には見えざる物も確かにある。……が、うちの探偵社は其の真実さえ暴ける。……そう思わないか?」
 と、黒影はニヤリと笑った。
「偶然なんて無い。必然だって事ですね?」
 サダノブは黒影が良く言う言葉を言った。
「そうだ。良く分かってきたじゃないか」
 そう言って、黒影は満足そうに来客用の珈琲カップで珈琲を一口飲む。……と、
「パリンッ……」
 と、また珈琲カップが真っ二つに割れてしまった。
「……如何やら、此奴はなかなかに真実に辿り着いて欲しくない様だ。早いところ、何とかせねばな」
 見事に割れたカップを見て黒影が言う。
「そのようですね」
 と、サダノブはビビり乍らも苦笑した。

 其の後黒影が風柳に、大量の箱入り缶珈琲を買って来て貰うように頼んだのは言うまでも無い。
 ――――――――――――
「……白雪、時夢来の本を貸して貰えるか?」
 黒影は白雪の部屋を訪ねて聞いた。
「今、使うの?」
 と、珍しくそんな事を聞く。何時もなら緊急の事件もあるからサッと渡してくれるのに。
「ああ、新しい事件の可能性がある。調べたい事があるんだ」
 白雪に嘘を吐くのは心苦しかったが、黒影はそう言って、何とか時夢来の本を手にする。
 過去を映せる時夢来なら、此の海馬の持ち主の何かを教えてくれるかも知れないと思ったのだ。
「サダノブ、やったぞ!」
 急ぎ足で2階の自室に戻った黒影は、先に待っていたサダノブに言った。
「何か白雪さんにコソコソして、悪い気になるなぁー」
 サダノブは思わず言った。
「仕方無いじゃないか、白雪が知らないと言い張るのだから。ああ言い出したら、此れ以上白雪に詮索は出来ん。怒りを買うだけだ」
 と、黒影は言った。長年一緒にいるだけあって、そう言う時は直ぐ分かるらしかった。
「……時夢来の懐中時計、本に嵌めるぞ……」
 サダノブも黒影も、悪い事はしていないのに小さな声で息を潜める。
「……此れは海外か。戦時中だな。……此の人物、今正に撃たれる瞬間だ。此の人物があの海馬の持ち主だろうな。……やっぱりあれはメモリアルドールだったのか」
 と、浮かんだ影絵を見て黒影は言った。
「メモリアル?」
 サダノブは意味が分からず黒影に聞く。
「ああ、海外では亡くなった人の骨や一部をネックレスや指輪に入れて遺族が肌身離さず大切に持つ事もある。普通はアクセサリーが多いが、戦中に娘でもいたのだろう。海馬は脆くて弱いから形が残っただけでも奇跡だ。……其れを母親か誰かが、娘が肌身離さず持っていた人形の服に隠して持たせたんだろうな」
 と、黒影は推測した。
「其れが巡り巡って白雪さんの手に?」
 サダノブは不思議な縁もあるものだと思い乍ら聞いた。
「だろうな。きっと何も知らなかった娘が大きくなって売ったんだろう。……其れも奇跡と言えばそう言えるが、如何も違う。白雪は沢山あったフランス人形から態々あのLillyを選んだのだよ。唯でさえ、事件発生後の事件経過を追う夢を見る白雪にとって、此れは意味のある物だったに違いない。きっと海馬と針金の存在を知らなくても、メモリアルドールである事には気付いていた筈。普通の人が選ぶ確率で言えば奇跡だが、白雪が選んだとなると最早其れは必然だ。サダノブが言っていた殺気とは、此の戦争が巻き起こしたものか?」
 黒影はサダノブに確かめる。
「……其れが違うんですよ。一つ一つの殺気を持った魂がバラけている。……なんて言うか、同じ目的の殺気じゃ無い。何時も先輩や皆が追っている殺人鬼の其れだ」
 と、サダノブは答えた。
「じゃあ何時もと同じじゃないか?ならば、何であんなに取り乱したんだ」
 黒影が聞くと、
「何人、否……数十人もの殺気と悲鳴です。多分……被害者が犯人に向けた。ダミーと戦った時の様に、其れは一人に向けられたものでは無い。全部、違う事件の物だった。だから、俺は一斉に其れを聞く事は出来なかったんです。あんなドス黒いもん、聞いたら俺が如何にか成っちゃいますよ」
 と、先程の感覚を思い出したのか、顔色を蒼褪めサダノブが答えた。
「すまん、きつい事を思い出させてしまった。……だが、サダノブ、よくぞ話してくれた。詰まり、僕が解いた事件では無いんだ。解いていれば、少なくとも数人は浮かばれたかも知れない。だが、そうでは無い。今だ未解決だと思い込んでいる、途中の記憶が海馬と共に留まってしまっただけだ。……然し白雪は何だってそんなものを……」
 黒影は初めて白雪が何を考えていたのか分からなくなり不安な顔をする。
「事件解決の途中の夢を見る白雪さんと、事件解決の途中を記憶した人形……何か似た因果の様な物を感じますね」
 と、サダノブは白雪の気持ちを考え、何時もは明るいけれど本当は大変なんだよな……と、気付いてそう言った。
「それだ!サダノブでかしたぞ!」
 黒影は何故か喜んでいる。
「えっ?」
 サダノブは何が何だか分からずにいる。
「大丈夫だ。後は白雪と話をすれば解決の糸口が見える!」
 と、言って慌てて部屋を出ようとした。其れを見たサダノブは慌てて黒影を止める。
「先輩、待って!止まって下さいっ!……先輩が海馬と針金を持ってるから不運が起きるんです。見て下さいよ、足元を!」
 と、サダノブは黒影の足元を指差す指を震わせて言った。黒影は部屋を出て直ぐの足元の廊下を見て驚愕する。
「……此れはさっき……片付けた筈だ」
 黒影がそう言ったのも無理は無い。足元にあった物は拾って掃除機で綺麗に吸い取った筈の、二つのカップの破片だったのだから。キラキラ光る細かい物から二つに割れた大きな物まである。
「先輩の真実を追う匂いにつられてやって来てるんですよ。……此の人なら事件を解決してくれるって。だから早く助けてくれって、追い回しているんです」
 サダノブは黒影の周囲を警戒し乍ら話した。
「まさか……幾ら僕でも、既に解決した事件をまた解決するなんて出来ないぞ」
 黒影はそう言うと、仕方無く自室に戻った。
「……閉じ込められたな……」
 と、溜め息を吐いて、安楽椅子に座り込んだ。
 ――――――――――

「先輩さっき、白雪さんにLillyを現場に持ち込まなくなったのは何時頃か聞いていましたよね?」
 サダノブが黒影に聞く。
「ああ。何時の間にか持って来ないようにはなっていたが……。何時の間に大人になったんだろうなぁ。長く一緒にいると感覚がズレる。如何も思い出せなくてな」
 と、黒影は話した。
「先輩は、洞察力と観察力は凄いけど、女の事となるとめっきりですね」
 と、サダノブは笑う。
「……お前に笑われたら、僕も仕舞いだな。サダノブだって遊びが過ぎてはいたが、穂さんの前ではそうは格好もつけられないだろう?」
 と、黒影は言い返す。
「そりゃあそうですけど。……女が大人に成る時って、男もそうだけどやっぱりきっかけぐらいはあったんじゃないですか?然も其れを先輩が忘れてるときた。女性は記念日とか気にする人多いですからねー。俺だってツーリング行った記念日、初めて「たすかーる」に来た記念日とか、覚え辛い記念日が山程ありますよ。キスした記念日でもないとなると……何か約束とかしませんでした?」
 サダノブは白雪がLillyを手放すきっかけになった、もう大人だと思た時を思い出させようとした。きっと其れを白雪に態々聞いていたのだから、黒影にとっては其れが案外重要な事なのは分かっている。
「未だ10代後半だったのは覚えているんだがなあ……」
 と、黒影は天井を見上げて言う。
「あっ!10代後半と言えば告白とか!如何っすか?丁度良い時期じゃありません?」
 と、サダノブは手をポンと叩いて閃き言った。
「告白らしい告白はした覚えが無いな」
 真面目に黒影が眉を顰めて言うので、サダノブはがっかりする。……そうだ、此の人はそう言う事を態々言うタイプじゃなかった……と思い乍ら。
「じゃあ、守ってやるーとか、一生ついて来いみたいな事、言いませんでしたか?」
 と、サダノブは必死に黒影でも言いそうな範囲で考える。
「ついてくるか?……なら、何時も言ってるしな。一生……かぁ。……あっ!……似た様な言葉はあったかもな」
 黒影はやっと思い出した様だった。
「で?で?何て言ったんですかっ!?」
 サダノブは興味深々で黒影にキラキラの目で聞くのだが、
「誰が、お前なんかに教えるか」
 と、一刀両断されてしまうのだった。
「折角、思い出させて上げたのにぃー!」
 と、サダノブは不貞腐れていたが、黒影は其れを見て笑っていた。
「……兎に角だ。其れをきっかけにLillyを現場に持って来なくなったとすると、其れ迄の事件全ての記憶が未解決となってLillyに保存されている。白雪には未だ早過ぎたんだよ。……事件を夢で犯人や関係者に成って追うという現実が。何故、気付かなかったんだ!幾ら僕も若かったとは言え、白雪の負担を知っておきながら事件解決の為に利用してしまった。……今、思えば唯の愛らしい少女だったのに……」
 黒影は自分の若き日を悔やみ、白雪の事をもっと考えてやるべきだと悔やんだ。
 窓を開けて、吹き込む風に当たり空を見上げた。
 ……若さとは愚かと言うが、後悔しないよう努めてきた筈なのに、其れでもまた後悔は忘れた頃にやってくる……。
「……先輩でも、後悔するんですね……」
 サダノブが黒影の背中に聞く。
「そりゃあ、するよ。……生きているんだからな」
 黒影は言った。そして振り向くと、
「如何せ、出られもしない休日だ。贅沢に昼から一杯引っ掛けるか」
 と、明るい笑顔でグラスを傾ける仕草をする。
「先輩って、反省した後の復活が早いですよねー」
 サダノブはそう言って思わず笑った。
「サダノブは出られるんだよな?酒の準備は頼んだよ」
 と、ちゃっかりサダノブに準備まで頼む始末だ。
 サダノブが部屋を出ようとすると、カップの破片は消えていた。
 黒影はウィスキーかワインを好んで飲むので、其のセットと自分が飲むジンとビールと、グラスを盆に並べてサダノブは2階に上がる。
「持って来ましたよー……」
 声を掛けると黒影は振り向いて、
「久々だな、二人で飲むのは」
 と、嬉しそうに笑った。
 居候で相部屋の時は良く飲んでいたが、部屋を移してから随分二人で飲んで無かった事にサダノブは気付いた。
「そうっすね」
 そう言って、懐かしさに笑った。
 ――――――――

  酒も入り二時間程が経過すると、お互いほろ酔い加減の夕方となる。
「ああ、そうだ。……先輩の影、借りたじゃないですか?」
「ああ……ダミーの時の事か」
「……あの影から、一瞬だけ白雪さんが出て来たんですよ。勿論影ですけど。……あれ、如何なってるんですかぁ?やっぱり愛の力ぁーとかで、出来るんすかねぇー?」
 と、サダノブが言う。
「お前、呂律が如何にかなってきてるぞ。ただでさえ説明下手なのに、拍車を掛けてやばぃな」
 黒影も気分が良いので大笑いする。そしてサダノブの質問には、
「僕の影に白雪の影だって?其れこそ夢でも見ていたか、酔っ払っていたんじゃないか?」
 と、冗談だと思われている。
「本当ですてっ!俺、先輩に嘘は吐かないじゃないですかぁー。黒影先輩の影から白雪さんの影が起き上がって言ったんですよ。”贖罪しなさい”って」
 と、笑いで潤んだ黒影の目をじっと見て言う。
「まさか……本当か?」
 黒影はサダノブの真面目な目に、やっと冗談じゃ無いと気付いた。
「……お互い、夢見の力があるから、ある程度同調しても仕方無いとは思っていたが……」
 そう言い乍らも黒影は、カランと氷の入ったウィスキーのグラスを傾けた。
 ……白雪はあの時、被害者の気持ちになって随分苦しんでいた様だからな……と、黒影は思い出した。
 その時だった……。
「……うぅっ!」
 そう言ったかと思うと黒影は眉を顰め、何度も口に手を当て咽せり、ウィスキーを吐き出そうとしていた。
「先輩?」
 サダノブは急に何が起きたのかと、黒影に聞こうとする。
 黒影は苦しそうに何かを伝えようとしている。
 その顔が上がった時、サダノブは絶句した。
 黒影の口の中から、あのカップの細かい破片が見える。
 口の中も周りも真っ赤で、滴る血は黒影の口を押さえていた手を真っ赤にした。
「……先輩!……俺、救急車呼んできます!後、白雪さんも!直ぐ呼びますから、待っていて下さいね!」
 そう言ってサダノブは飛び出そうとしたのだが、黒影は真っ赤な手で必死にサダノブを止めると擦れきった声で、
「白雪には……言うな。バイクで……連れて行って……くれ」
 と、言うではないか。
「そんな無茶な事!」
 と、サダノブは言ったのだが、黒影はサダノブの手を意地でも離さず、首を横に振るだけだ。……早く病院にっ!……そう思ったサダノブは、
「分かりましたっ!本当に頑固なんだからっ!其れに酔っているんだからバイクは無理です。タクシーで行きますよっ!」
 そう言うと、黒影はホッとしたのか其の場に蹲る様に倒れる。サダノブは慌ててタクシーを家の前に呼び待たせ、黒影の手や口の血を出来るだけ拭き取り軽くタオルを噛ませ、担いだまま白雪にバレない様に玄関を出た。
 やっとの事でタクシーに乗ると思った。
 ……先輩って……良く倒れるし……良く怪我するよな……。無茶し過ぎなところ、あるもんなぁ……。サダノブは風柳の苦労が今頃分かった気がした。

🔸次の↓season2-9 第二章へ↓


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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。