コバルトブルー・リフレクション📷第十章 下を向かないで
第十章 下を向かないで
葵も、仲さんも私が誰に別れを告げているのか、きっと分かっている。だから部屋で黙って……そんな私を静かに見守ってくれる。
こんなに温かい人達に囲まれて……だから、私はきっと大丈夫になる。……あれ?……この言葉。
「大丈夫。……これから……大丈夫になるんだよ。」
偶然私の頭に浮かんだ言葉が、彼の物語の主人公の口癖で思わず涙が出て来た。……いやだ……らしくないわ……。私は少し視線を落とした……。
「……えっ?何で貴方がそこに!?」
私は驚いて口に出していた。私は思わず手摺りに手を掛け、身を乗り出し下を見た。
「ちょっと!危ないっ!」
葵の声が聞こえて、私の腰を抑えて落ち着く様にさせている。
「何?!……離してよ、葵のセクハラ馬鹿っ!」
私は踵を後ろにやって、葵の腹にピンヒールで蹴りを入れて言った。
「見てっ!彼がいたのよ、あの日も、あそこにっ!」
と、私は向かいのバルコニーの一つ下の四階を指差した。
「……いたたっ……今、突き刺さった……。彼ってもう……。」
と、葵も私を指差す方を見て彼を見つけた。
「まさかっ!彼がいたのが、柳田に見えたから柳田は下でもなく、あの目の前のテーブル目掛けて飛んだと言うんじゃ!ねぇ……貴方がまさか、落とす様に仕組んだんじゃないのか?」
と、葵は彼に聞いた。彼は静かに首を横に振り言った。
「違う……。僕はもう死んで証言台には立てないが、彼女が心配で此処からその部屋を見上げて見ていた。……それがたった一つの、僕から君達に言える「真実」だ。彼女がまさか柳田さんを突き落としてしまうとは……。僕は探偵を書く者として来ただけだ。今は彼女の傍にいてやりたい。殺意が無かった事実を……証明してくれて、有難う。」
それを伝えるだけ伝え、彼はまた彼女との残り僅かな時間を過ごしに行ったのだろう。
また、あの温かい風が吹く。まるで、下を向いた私の涙を乾かすように、それは優しく……舞い上がった。
「今のは……?」
仲さんが三階の彼の亡霊を見たのか驚いて瞼を擦る。
「だから言ったじゃない。激レアの幽霊マンションよ。」
と、私は仲さんに言って笑った。
彼はきっと、「真実」が正しく見つけられる様に、私達さえも見守ってくれていたのだろう。例え彼女が罪人である事実を抱えようとも、初めから……そのつもりでいた。あの珈琲を幸せそうに飲んだのは、彼女が捕まらないと言う余裕でも、私達にはどうせ見つからないと言う勝利の味でもなく……どんな結果の「真実」にも怯えたりはしない、彼の志の様なものに今は思えるのだ。……だから、少しだけ……また続きを読んでも良いですか?
「……葵……、また彼の物語読もうかしら……。こっぴどくフラれたのに、みっともないって思う?……未練がましいって思う?」
と、夕食を作っている葵に私はソファーから聞いた。
「彼は誰かに読んで欲しくて書いていたんだから、それも弔い方の一つだと思えば良いじゃないですか。……それにただ物語を読むのに、気にし過ぎですよぉー。普通に、僕は何も考えず大笑いしたり泣いたりしていましたけどねぇ。」
と、私に葵は言った。
「……でもさぁ……葵がいたら、泣いたり笑ったり……恥ずかしいじゃない……ねぇ?」
と、私は白いくまのぬいぐるみを膝に乗せ話し掛けて遊んだ。
「ねぇ?……って、誰に言ってる……る……?!」
葵が振り返って私とくまのぬいぐるみを見ている。
「なぁーに、そんなに似合わないって言いたいのぉー?良いじゃんねぇ……たまには話したって。」
と、葵は酷い奴だと言いた気に、私はまたくまのぬいぐるみに話して、くるっと回すとムギュっとお腹を潰して遊ぶ。
「あっ、へぇ……気に入っているんなら、良かった。うん、良かった。」
と、葵はぎこちなく言うとまたキッチンに振り返り料理の続きをした。
「何、笑ってるのよっ!」
私は、葵の耳が赤くて何だか肩がぎこちなく動いている事に気付いて怒る。
「えっ、べっ別に笑ってないですよ。……かっ、可愛いところもあるんだなぁーって……。」
と、言うと、何故か包丁捌きが早くなった気がする。
「上司を揶揄うのも良い加減にしなさい。……言ったでしょう?これでも失恋モードなんだから、ややこしい事言わないでよ。」
と、私はまた何時もの冗談ばっかり……と、思うのだが、失恋したばかりだから、そう言ってくれたと思ってあまりキツく怒りはしなかった。……だって、明日は彼の大事な人を、私は逮捕しなくてはいけない。罪を侵したら当然の事。例え殺す気はなくても殺してしまったなら、それも罪。……出来るだけ自首させたい。彼女……素直になってくれると良いのだけど。どんな事件だって、犯人を逮捕する時は緊張感が走る。私はその緊張感が、不謹慎にも関わらず好きだ。理由は自分でも分からないが、もしかしたら……見えなかった犯人と一番近くにいる瞬間だからかも知れない。
「また茶色〜っ!」
私は葵が出して来た料理に文句を言う。
「そう言うと思って、絹さやもいれましたよ?人参もあるし……何が不満なんですかー?」
と、葵は肉じゃがを見て聞いた。
「全体の話よー。味噌汁に肉じゃが、鯖の西京焼きに、香の物。美味しいのは分かっているのよ。何かこう……元気でカラフルなのがいーのよ。パエリアとか、ポトフとか、アヒージョとか……。」
と、私は我儘を言う。だって黙っていたらずーっと、茶色い和食にされ兼ねない。
「あー、洋食とかイタリアンが食べたいって事ですか?なら、材料や調味料も全然違いますからね……。明日、揃えに行きましょうか。」
と、葵はやっと理解してくれたらしく笑った。
「明日は止めた方が良いわよ。明日は犯人確保よ。慎重にいかないと……。」
と、私は言いながら鯖の西京焼を食べている。
「大丈夫です。……大丈夫に……きっと彼がしてくれます。」
と、葵はそんな事を言った。
「だったら良いんだけどね。」
と、私は結局美味しいので肉じゃがも食べている。
「彩りはイマイチなのに、何でこんなに美味しく作れるのかしら?」
私は不思議になって言う。
「お袋の味ってやつですよ。すましてなくて雑多なのに、上手いってやつです。ほら、家は兄弟四人……全員男だから、良く食べるんですよ。下拵え終わったら、でっかい鍋に材料ぼんぼん投げる様な……。でも、それが一番美味いんです。」
と、葵も食べながら話すと笑う。
「それだけいれば、食べていなくても、喋っているだけで楽しそうね。」
と、私は炊き出しみたいなものを思わず想像して言った。
「喧嘩も凄いですよー。食事は戦争みたなもんです。」
と、葵は笑う。
「想像付かないわねー。私は一人っ子だから。少し羨ましいわ。」
と、食べ終えて珈琲を飲む。
「あっ……紫先輩、夜のお薬。」
と、慌てて葵が袋と水を持って来てくれる。
「……いつか、治るのかしら?」
ふと、私は薬袋を見て言っていた。
「……治りたくないですか?」
と、葵は落ち着いた声で聞いた。
「治ったら……こうやって葵と巫山戯てはいられないわね。……こんな風に気楽に誰かと話す事も。「女帝」に戻るのが当たり前なのに、何故かそう考えると息が上がって。……慣れていると思っていたのに、ストレスだったのかしらね。何時までも新人研修している訳にはいかないのよ。今はまだ我儘で済んでいるけど……ね。……葵の研修終わったら、戻らないと……。」
私は葵に言っていなかった、これからの事を話す。
「だから葵が直ぐだなんていった時、怒鳴ってしまったわ。何だか言い辛くて……ごめんなさいね。」
と、私は水で薬を飲み、そう続けた。
「そうだったんですか……そうですよね。そんなに長く司令官のポスト、空けられませんよね。僕だって少し考えれば分かった筈なのに……すみません。でも新人研修が紫先輩で良かった。……あの……それを今日話すって事は、やっぱり……?」
と、葵は不安そうに聞く。
私は勢いよく立ち上がり起立すると足を軽く開き手を後ろに回した。
「立てっ、東海林 葵っ!……今から言う事を良く聞けっ!……いいか、私は明日犯人を必ず逮捕し、司令官の任に戻る。私の後任には仲元 春雄刑事を任命する。悲しんでいる暇も、止まっている暇も……ましてや、正しさを揺るがす時間も無い!私から……最優先事項の極秘任務を直々に言い渡す!誰よりも早く、私の地位まで上り詰めてこいっ!誰一人にも抜かされる事は、この私が許さんと肝に銘じておけっ!……以上!」
葵を今まで甘やかしていたが、私は「女帝」としての貫禄をそのままに、そんな命令を下した。
「はっ!必ずやその任務、自分が成し遂げます!」
葵はそう凛々しく答えると、胸を張ってサッと敬礼した。私は緊張の糸を解き、またゆっくりソファーに座り真っ白なくまのぬいぐるみに顔を埋め、
「……敬礼……上手く出来たじゃないか。」
そう言って笑った声をしていたが、本当は泣いていた。また……孤独に闘うのか……。
息が上がるが、慣れなくてはならない。もう私に残された猶予はたった一日。くまのぬいぐるみに顔を埋めたまま、呼吸が荒れるのを我慢して、少しでも隠そうとした。このくまのぬいぐるみも無いって言うのに、これからこんな私を……どう隠したら良いのだろうか……。
「紫……先輩。あの……せめて、僕のいる前で無理はしないで下さい。……肩で呼吸……しているじゃないですか。」
葵が悲しそうな声で言った。
「五月蝿いっ!下がれっ!」
私は……何時だって、誰かの優しさに甘えてしまえば、この虚勢が崩れてしまいそうで、そう言い放ってきた。
「嫌です!下がりませんっ!……僕が、誰よりも早く貴方に辿り着かなくてはならないのなら、ここで引き下がるような事はしないっ!」
……と、葵は今まで……誰もが黙って逃げ下がった私の言葉から……逃げてはくれない。
……どうしたら良いのだろう。こんな事は初めてで……何も返す言葉が、出てこない……。
「呼吸困難起こします。良くないですよ。」
「……あっ……。」
葵が勝手に私の持っていたくまのぬいぐるみを手から持って行ってく……どうしよう、泣いていたのがバレてしまった。私はただ俯き、前髪と横髪で顔を隠した。葵は暫く考えると、私の座るソファーの前に屈み込んだまま、優しく微笑んだ。
「失恋引き摺っているかも知れないけれど、僕で良かったらその涙……引き受けます。」
と。何故だろう……私はもう此れ以上泣き顔が見られるのが嫌だったのか……それともまた「女帝」に戻らなくてはいけないからか、まるでそれが夢のようで、もう二度とない夢のようで……葵にしがみついて子供の様に泣いた。明日にはもう……どうか、失恋のせいだったと言わせて欲しい。だから今日は……ただの弱い、傷付いた一人の女でいさせて欲しい……。
🔸次の↓コバルトブルー・リフレクション 第十一章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)