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あれから25年:平成の大災害『阪神淡路大震災』を振り返る1
はじめに、本日は平成の大震災の1つである「阪神淡路大震災」
から25年になります。各地で慰霊祭などが行われたようですが、いつまでも忘れることのできない大きな「心の傷」であります。
わたしは30代前半に仕事の関係で大阪府高槻市という所に会社の社宅があり、住んでいました。
大阪市と京都市の中間のベッドタウンみたいな位置づけの都市で阪急・JRの駅もあり、大阪に行くにも京都に行くにもまことに便利のよく大変暮らしやすい街でした。
この地に来てからはしばらくなかった、いわゆる「幽体離脱」と言われる現象が頻発したり、(寝ているときに私以外の誰かに幽体の頭から引っこ抜かれるような激しい離脱が頻回にあった。)ある大手宗教団体からのしつこい勧誘があったりと信仰や自分の霊性について考えるための分岐点であった時期でした。
東京から大阪に転勤して1年ほどで、やっと大阪という土地に慣れた頃のことです。
平成7年1月17日早朝、
「阪神淡路大震災」。。
当時は防災に対する危機管理体制が脆弱であり、個人々の防災意識も当然低く、災害に対する備え(物・心)などあるはずもなく被災者は混乱するばかり。
「今自分たちがどういう状態にあるのか」
「今自分たちは何をすればいいのか?」
幸いにも、私の住んでいた高槻市の社宅は大きな被害もなく、私や周りの同僚たちには被害はなかったのでその場は安心したのですが
関西一円に支店のあった、私の会社では社長から直々に被災していない社員に
「不明社員の被災地での捜索」
の命が下されました。
つづく。。。。