11月25日はアルフレッド・ノーベルの日(架空記念日ブログ)
おはようございます。本日は令和5年11月25日(土)更新が遅れていますので25日の近況についてはあとがきに書きます。
146年前の1876年11月25日に福沢諭吉の『学問のすゝめ』の最終刊・第17篇が発行されました。初編は1872年2月に刊行しました。1880年に「合本學問之勸序」の一文を加えられて一冊の本として出版されました。
今日の架空記念日は?
156年前の今日
1867年11月25日にアルフレッド・ノーベルがダイナマイトの特許を取得。ダイナマイトで巨万の富を築いたノーベルは『ダイナマイト王』と呼ばれた。今日はノーベルさんを見ていきましょう。
アルフレッド・ノーベルという人
スウェーデンのストックホルムにて、建築家で発明家のイマヌエル・ノーベル(1801–1872) とカロリナ・アンドリエッテ・ノーベル (1805–1889) の4男として生まれた。両親は1827年に結婚し、8人の子をもうけた。一家は貧しく、8人の子のうち成人したのはアルフレッドを含む4人の男子だけだった。
父方の先祖にスウェーデンの科学者オラウス・ルドベック (1630–1702) がいる。幼少期から工学、特に爆発物に興味を持ち、父からその基本原理を学んでいた。
父イヌマエル1回目の破産それから
1837年事業に失敗した父は単身サンクトペテルブルクに赴き、機械や爆発物の製造で成功。合板を発明し、機雷製造を始めた。
1842年父は妻子をサンクトペテルブルクに呼び寄せた。裕福になったため、アルフレッドには複数の家庭教師がつけられ、特に化学と語学を学んだ。そのため英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語で流暢に会話できるようになった。学校に通っていたのはストックホルムでの1841年から1842年にかけての18カ月間だけだった。化学の家庭教師として雇われたのは化学者ニコライ・ジーニンである。
1850年にパリに行き化学をさらに学ぶため、テオフィル=ジュール・ペルーズの科学講座を受講している(ニトログリセリンを発明したアスカニオ・ソブレロは彼の生徒の一人)。
1851年からアメリカに渡って4年間化学を学んだ。そこで短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事している。
父イヌマエル2回目の破産それから
1859年クリミア戦争 (1853–1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、父は再び破産する。
父は工場を次男のルドヴィッグ(ルートヴィヒ)・ノーベルに任せ、アルフレッドと両親はスウェーデンに帰国した。なお、ルドヴィッグは受け継いだ工場を再開して事業を発展させた。アルフレッドは爆発物の研究に没頭し、特にニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究した。
アルフレッドがニトログリセリンのことを知ったのは1855年のことである。この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。
末弟エミールの死
1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。
1863年にはスウェーデンで特許を得た。
1864年9月3日爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。アルフレッド本人も怪我を負う。この事故に関してはアルフレッド本人は一切語っていないが、父イマヌエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した。また合成者のアスカニオ・ソブレロに対し充分な対価を支払った。
ダイナマイト完成
1865年には雷管を設計した。ストックホルムの鉄道工事で使用を認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。
1866年不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴。
1867年アメリカとイギリスでダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はアルフレッドにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。
1871年珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイトと名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをする。
1875年ダイナマイトより安全で強力なゼリグナイトを発明。
1887年にはコルダイトの元になったバリスタイトの特許を取得している。
1878年兄ロベルト・ノーベルとルドヴィッグ・ノーベルと共に現在のアゼルバイジャンのバクーで石油会社ブラノーベルを設立。この会社は1920年にボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。
1884年にスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれた。
同年フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。
1890年知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。アルフレッドは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。しかし1895年最終的な敗訴が確定する。
ノーベルの遺言
1891年兄ルドヴィッグと母の死をきっかけとして、長年居住していたパリからイタリアのサンレーモに移住。
1893年にはウプサラ大学から名誉学位を授与された。
1895年11月27日持病の心臓病が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。
1896年12月7日サンレーモにて脳溢血で倒れ3日後に死亡した。倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。現在、アルフレッドはストックホルムの北の墓地(Norra begravningsplatsen)に埋葬されている。
まとめ
本来はトンネル工事などの作業効率を考えて開発したダイナマイトがまさか殺人兵器になるとは夢にも思わなかったでしょう、そこからのノーベル賞の設立。特にノーベル平和賞への想いは相当なものだと思います。
今日のさわだくん
111日チャレンジ48日目
明日も/SHISHAMO
2017年2月22日リリース、アルバム「SHISHAMO 4」の収録曲。2017年1月20日よりオンエアされた、堤真一と綾野剛出演のNTTドコモ 新TVCM ドコモの学割「ししゃも?」篇に使用され話題に。2019年6月にはR IAJ(一般社団法人日本レコード協会)による、25万ダウンロード以上のプラチナ認定を受けております。
あとがき
11月25日中日ドラゴンズのファンフェスタ2023に行ってきました。
体育会系の面白さってのはあまりわからないのですが1日ビールを飲みながら楽しんできました。去年あった選手同士のトークが無かったのが残念でした。
11月25日に楽天イーグルス安楽智宏投手、パワハラ疑惑が出ました。これを書いているのは12月3日ですので、すでにパワハラをしていた事実を認めて球団が処分として自由契約と結果まで出ているのです。体育会系というのは多かれ少なかれそういう事はあるのかなと思います。
私は高校生の時に軟式テニス部に入ったのですが、新品のテニスラケットを3年生の先輩に「見せて」と言われたので渡すと、いきなりそのラケットで地面を叩いたり、地面に字を書いたりし始めました。「傷が付くからやめて下さい」とお願いすると、傷つくのが怖いんなら持ってくるなといって投げ返されました。正直意味がわからなかったです。
そういう行動は大人になっていくに連れてどんどん無くなるものだと思うのですが、中にはそのまま大人になる人もいるって事ですよね、これはパワハラを働いた安楽選手が一番悪いのは紛れもない事実ですが、知ってて止めなかった、注意しなかった周りの大人も責任があると思います。
スポーツや武術に必要な心技体って言葉は、心が一番先頭に来てますよね。心が一番大切だと思います。全てが揃わないとプロになれない、それくらいの素行調査や面接での粗探しは必要だと思いました。
それではまた明日。