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織田一明(おだ かずあ) 国士舘大学4年

よくぞ、これほど魅力的な個人選手に成長してくれた…と、関係者でもなんでもない私が言うのは実におこがましい。おこがましいのだが、どうしてもそう言いたくなる理由がある。

なんと彼は、大学に入るときは団体か個人かで迷っていた。いやむしろ、団体の線を熱望されていたと言ってもいい。しかし彼は個人を選んだ。国士舘大学での4年間で、比類なき華やかさと美しさを持つ選手に成長し、印象的な作品群を残して、彼は次のステージに旅立っていく。

"The Force"の撮影にて

一人の高校生に衝撃を受けた日

高校生の頃の彼は、岐阜にあるOKB体操クラブで多くの才能に囲まれていた。臼井優華さんや安藤梨友さんのような、卓越したタンブリング力を誇る選手を輩出してきたこの名門クラブの中にあって、もちろん有望な選手の一人ではあったけれど、そこまで目立っていたわけではなかったように思う。ところがある地方大会で彼のスティックの演技を見たとき、客席でのけぞった。高校生とは思えない色気を醸し出す、あの手の動きは何?今、自分は何を見た???

「織田一明」という名前が私の脳裏に強烈に刻まれた瞬間だった。

「母がクラブの練習の送迎をしてくれていたのですが、自分は車の中でずっと新体操の動画を見ていました。ジャズダンスやコンテンポラリーダンスを見るのも好きでした。今思うと、あの頃それらの映像を見ていたことが、良かったのかもしれません。」

当時のことを振り返りながら、織田選手はそう話す。実は彼は、高校2年までで新体操を辞めようと思っていたという。進学校に通っていたこともあり、高校3年からは受験に専念する予定だったそうだ。ところが、高校2年で出場したジャパンで、高校生の中で3番目という順位になる。

「田中先輩(田中啓介さん)、吉田和真さん、自分、という順番だったんです。それが嬉しくて、自分はずっと自己肯定感が低かったのですが、もしかしたら大学でも勝負できるのかな、という気持ちになりました。」

国士舘大学の先輩・同期と(左から織田一明・吉留大雅・石川裕平・田中啓介)

その田中先輩とは、大学でも深い付き合いが続く。「田中先輩、谷本先輩(谷本龍之介さん)には本当にお世話になりました。谷本先輩は、この曲カズアに合うんじゃない?とクラブの曲を教えてくれたり。田中先輩が4年生の時のジャパンでは、お互い良い結果が出なくて、抱き合って号泣しました…。その時に『お前は来年もあるんだから、あと一年がんばれ』と励ましてもらって。なんて強くて優しい人だろうと思いました。」

The Forceの撮影で浴衣姿に。

痛みに耐えて

彼は、足首に生まれつきの故障を抱えている。2年生のジャパンの頃から痛みが始まった。本来不要な骨が足首にあり、それが癒着して周囲の靭帯や筋を圧迫していることが、医者に行って初めてわかったという。

3年生のジャパン、4年生の東インカレでは、痛み止めでも抑えられない激痛に苦しんだ。後半の種目になると、タンブリングの助走すらできない状態だったという。東インカレでは、演技後に痛む足を引きずるようにして退場し、監督の前で膝をついて崩折れ、涙する姿もあった。「指導してくれた先生にも申し訳ない、という気持ち」だったという。

「痛みは、新体操をする限り必ずついてくるもの」と織田選手。
写真提供:たてやまふうや さん(ONEにて)

妥協せず、納得するまで何本も通しをしていた練習方法を変えた。今日、1タンを入れて通したら、明日はタンブなし。次の日にラスタン通しをしたら、その翌日はまたタンブなし。試合本番で痛みが起こらないように、したい練習を我慢するしかなかった。試合の1週間前に1本だけ全通ししたら、その後は試合まで徒手通しのみ、と決めた。

同期の仲間と。背中の「Kokushikan」という金文字も誇らしく。

最後の1年

それでも、4年生のジャパンは「本当に楽しくて、幸せでした」と語る。演技前は、心を落ち着かせるためのルーティンに集中するが、演技が終わった後に客席を見た瞬間、「ありがとうございました」という感謝の気持ちがこみ上げ、これまで支えてもらった母、恩師、仲間への気持ちが溢れた。初めての種目別にも2種目残った。スポットライトが当たるあの場所にいられることが、ひたすら幸せだった。

「自分はいつも、9位が多かったんです(8位までが入賞)。2年生の全カレで9位、3年生の全カレも9位、4年生の東が9位、4年生のジャパンも9位。でも4年生の全カレでは8位に入賞できたし、クラ選では3位になって、初めて全国大会のメダルをもらうことができました。」

全日本インカレでは個人総合8位入賞。種目別のリングでは5位に。
2021年クラブ選手権にて

母との夢

織田選手の言葉の端々に、母への愛情が滲み出る。新体操の選手の保護者は皆そうだと思うが、そのサポートぶりは生半可なものではない。どの選手に聞いても、「親への感謝」「支えてくれた人への感謝」という言葉が出てくるのもうなずける。

あどけない笑顔にも、面影が。

新体操を始めたきっかけも、母だった。「バク転、してみたい?」という母の言葉に、「うん、やってみたい」と答えた日から始まった二人三脚。

大学に入る前に、母と「ちょうど東京オリンピックがあるね。何かの形で関われたらいいよね」と話した。女子新体操のエキシビションとして、国士舘大学男子新体操部は集団演技をし、そしてパラリンピックの閉会式にもBLUE TOKYOと一緒に出演することができた。母と話していた夢が、ひとつ叶った瞬間だった。

骨格の美しさ

そのスタイルの良さで、様々な衣装を着こなした織田選手だが、彼の骨格の美しさが一番よくわかるのは、練習着で短パンをはいている時ではないかと思う。膝下が抜群に美しいのだ。日本人離れした、綺麗な膝下。

ちなみにトップの画像は、全日本チャンピオンである先輩、川東拓斗さんの衣装である。

シンプルな練習着でも美しさが際立つ
エンジェルがついている衣装。デザインはRina Watanabeさん。
これはOKBの先輩である五十川航汰さんが着用していたもの。

そして未来へ

マット上の華やかなイメージとは少し違って、普段の彼はやや人見知りな好青年である。「初対面の方に対しては、失礼をしてはいけないという気持ちがまず先に来てしまいます」という彼は、その言葉の通りいつも礼儀正しく、「育ちが良い」という印象を受ける。

「自分が」と人をかき分けて前に出るのではないけれども、心の中に目標や夢をしっかり持ち、それに向かって進んでいけるタイプのように見える。そんな彼らしい未来に向かう扉が、まもなく開かれようとしている。織田選手ファンには嬉しいニュースが近々公表されると思うので、どうか楽しみにしていてほしい。

4年間、苦楽を共にした国士舘の仲間たちと。

「YouTubeやSNSを通して知ってもらえて、演技を見た人に声をかけてもらうこと、嬉しかったです。選手は応援してもらっていることに対して、自分から何かをすることはできないので、演技でしかお返しすることができません。」

織田選手の演技を見ている時の、あの「きらめく金色の時間」。まるで彼の周りに金粉が舞っているかのような、そんなオーラと色香を持った選手だった。

その贅沢な時間こそが、彼が私たちに残してくれた最高の贈り物だったと思う。


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