33年ぶりの観世音菩薩のご開帳と曳山祭り
2024年(令和6年)10月5日〜6日に中能登町徳丸区で能登貴船神社の曳山祭りがあった。
今回の中能登町出張は、"中能登町地方創生アドバイザー"の委嘱交付式に出席することがメインだったが、宮下町長の在所である徳丸区で行われる能登貴船神社の曳山祭りに参加することもその一つの目的であった。
前回行われた曳山祭りは、1991年(平成3年)10月5日〜6日に行なわれた。33年ぶりの曳山祭りである。こんなに間が空いた祭りは伝承が難しいのではないかと私ならずとも誰でもがそう思う(伝承は、GW明けから、区の老若男女が皆んなで手分けして、前回の曳山祭りの動画を見て、それを参考にして訓練を重ねたのだと。動画のない時代はどうしていたのだろう。とんでもない話しだ)。
どの地域でも、祭りは一般的には毎年行われるものだ。
能登は毎週のようにどこかで祭りが行われていると言うが、それはどの祭りでも毎年開催されているからだろう。何で33年ぶりの祭りがあるのだろうと、ずっと不思議に思っていた。
そのわけは曳山祭りがメインではないということだった。
徳丸観世音菩薩のご開帳が33年ぶりにあって、その年がちょうど今年(2024年)にあたっている。
そのおめでたい出来事に合わせて、能登貴船神社の曳山祭りが行われる。能登貴船神社の曳山祭りがメインではないから33年ぶりの曳山祭りなのだ。
まさに神仏混淆の象徴の曳山祭りである。観世音菩薩のご開帳は10月5日の夕刻の2時間に行われ、その前に曳山がスタートする。5日は貴船神社から曳山が出て、6日は曳山が貴船神社に戻ってくる。
私は徳丸の隣の能登部上で15歳まで生まれ育った。私が能登にいた私が5歳の時に開催されたことになる。次は東京に住んでいた38歳だった。そして、今年の71歳。こんな祭りがあったとは全く知らなかった。
宮下町長は、私の1年先輩だが、誕生日は4月であり、曳山祭りの当日は私より2歳歳上になる。
彼の7歳、40歳、73歳の時に祭りがあった。7歳の時は、獅子舞を舞ったのだとか。また、平成3年の曳山祭りの動画には若かりし40歳の宮下さんが映っていた。そして今回は町長の立ち位置での祭りだ。
ご自身の在所の祭りであり、曳山がご自宅の前を通ることでもあり、この曳山祭りの思い入れは格別のことだろう。
笛太鼓の音曲で歌い、子どもたちが獅子舞を舞う。
私は初めて曳山を引いた。十字路を曲がる時の回転はなかなかの見ものだ。
仏様(観世音菩薩)のご開帳を神社がお祝いする。まさに仏様と神様が一体となっているのだ。実に日本らしい。一神教のキリスト教やイスラム教では考えられない。
曳山祭りに参加する前に、石動山の不動滝にお参りに行ってきたが、その麓には熊野神社があり、この不動滝は熊野滝とも言われている。そして、熊野神社の隣に真言宗の圓光寺がある。
また。私の実家の菩提寺は真言宗の長楽寺だが、長楽寺にはお不動様が祀られており、祖父はその建立の中心になった。
お不動様は大日如来の化身と言われているので仏教なのだが、お寺に限らず神社でも祀られている。神仏混淆だ。
この何でもござれ。仏様も神様も天もお天道様も、八百万の神様全てがわれわれ衆生を見守ってくださっている。そして、お救いくださっている。実に日本らしい発想、哲学ではないか。それは、私がいうところの"友だちの友だちは皆友だち"と同じではないのか。
こんなことは、一神教の人たちからしてみたら、何とはしたないことだと思うようなことかもしれないが、その方が争い・諍いがなくて、皆んなが幸せに生きていくことができるのではないか。
やはり、これからの混沌とした世界をリードするのは、無神教のようでそうではない、多神教の、八百万の神を信仰する、我が日本ではないのか。そんなことを思った一日だった。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)