能登のために尽くすために
11月24日(日)、鵜様道中茶会の日だ。私は、茶会にはとんと縁のない無趣味な人間だが、こんな体験は滅多にないことだ。愉しむにしくはない。
朝6時に起きて、軽くおにぎりとお吸い物を摂る。女性たちは茶会の最後の準備でバタバタだ。
彼女たちは、お客様が鵜宿にいらっしゃる道路のあちこちに、”鵜様道中の宿”の幟を立てる作業をしているが、私は何をするということもなく、時間が経つのをただ待っているだけだ。
特に、私だけなのかもしれないが、こんな時、男の人は何の役にも立たない。
まさに、私は”能登はとと楽”のことわざそのものだ。女性たちの力は素晴らしく、逞しい。
この茶会は、12月12日に七尾の鵜浦海岸にて鵜様が無事捕獲されることを祈ってのイベントだ。
主催者は中能登町のお茶の先生で、鹿西高校でも教えていらっしゃる。そんなことで、鹿西高校の茶道部の先生や生徒さんも数人お手伝いに来られていた。
茶会は10時から始まった。お客様の女性たちが和服の正装姿で着飾って、続々とお出でになった。中能登町、七尾市、羽咋市の邑知地溝帯の市町の方々がほとんどだ。中能登町にこのような品のある女性たちがどこにいらっしゃたのか。私には”鄙にも稀な”と思う。中能登町も捨てたものではない。10名強が一組で、7組以上の茶会が催された。
午後には、氣多大社宮司、鵜様道中の宿保存会会長、衆議院議員、県会議員、七尾市長、羽咋市長、中能登町長のお歴々の皆さんの締めの1組の茶会があった。
終わって記念撮影をして解散となったが、別室で中能登町長ほか、中能登町の皆さん方が残られて、奥能登や中能登の地震の現状や、あれやこれや、意見交換をされる時間があった。
奥能登の外浦の海岸は隆起して、海岸であったところが陸地になっている。漁業で生計を立てている奥能登だが、未だにまともに漁はできていない。
輪島市では、門前町から輪島市内に行くにも、通じていたトンネルが未だ不通になっていて、穴水町経由でなければ輪島市内に行くことができない。
内浦の能登町の見附島(軍艦島)は、島が崩れて軍艦の体をなしていない。見るに忍びない。
能登半島地震は、数千年に1度の大地震だった。それに、9月の大雨が輪をかけた。
七尾の和倉温泉の営業をしている旅館は2軒くらい。10分の1。のと楽はお客がいっぱいで、予約は取れない。加賀屋の営業は2年後になるのだろうか。とにかく、復旧は遅れている。
中能登町には是非とも企業誘致を進めて、働く人が集まる町にしなければならない。
それはOUEN Japan に依るところが大きい。よろしくお願いしたい。
いろいろな集まりで、中能登町の人たちをはじめ、多くの能登の人たちとの名刺交換をする。
私のことも、"地方創生アドバイザー"として町報に載っていたり、町長がことあるごとにお話しされているので、名刺交換をすると、多くの人から、「あなたが小林さんですか。よろしくお願いします」と言われる。
私の父のことをよくご存じの方にも出会う。父や叔父や従姉が経営していた飲み屋に、皆さんがお客さんとして通ってくださっていたのだ。
私はお世話になったこの町に、きちんと恩返しをしなければならない。気合いを入れて、頑張ろうと思う。
素直な心
経営の才がない人間は、絶対、経営の才がある人間のサポートが不可欠だ。そのことを素直に認めなければ話は始まらない。
私の人脈づくりの得手、誰にも負けないと自負している得手を、経営の才がある信頼できる人にフルに活用していただくことで、私が凹んでいるところをしっかり埋めていただくことが不可欠なのだ。
そのためにも、人を大切にしなければならない。絶対的に信用・信頼しなければならない。任せるところは100%任せなければならない。
とにかく、松下幸之助さんが仰っている”素直な心”になることだ。
類は友を呼ぶ
そうすれば、心が清い人たちが私の周りにたくさん集まってきてくださる。
松下幸之助は、「自然の理法は、いっさいのものを生成発展させる力を持っている」と考えた。だから、素直な心になって自然の理法に従っていれば、うまくいく。世の中は成功するようになっている。
私はそんな偉い者ではないが、松下幸之助さんと高橋荒太郎さん、本田宗一郎さんと藤沢武夫さん、井深大さんと盛田昭夫さんのような、絶対信頼の相棒を持ち、その人を絶対的に大切にしたい。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)