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中能登町への想いを高める

昨日(6.10.25)は、中能登町べったりの一日だった。

東天紅上野にて、宮下町長と観光大使の一青妙さんと地方創生アドバイザーの黄さんと私の4名でランチMTG。
ランチを終え、根津の観光経済新聞社にて、"中能登町活性化座談会”の取材。それが終わって、宮下町長と私と黄さんの3名で日本橋の日本旅行を訪問。
18時30分から、ホテル椿山荘東京にて、"いしかわ県人祭 in 東京〜がんばろう能登〜"に参加した。参加者は、在京の石川県出身者や石川県に関係する企業、石川県からは馳石川県知事や自治体の首長、北國銀行・北陸銀行の地元金融機関や北國新聞社等、840名の大懇親会だった。

私たちOUEN Japanの2名ほか、OUEN Companyの皆さん18名とともに、2卓をいただいて、20名で参加した。
石川県に関するパーティは、大概、加賀百万石の当主である前田さんが来賓としてご出席される。
今回は、昨年当主に就任された19代当主の前田さんのインタビューがスタートだった。先代(18代当主)も、来賓としてご参加されていた。
江戸時代は今では遠い昔だが、石川県は前田加賀百万石で県民は纏まっている。
県庁所在地の金沢は、求心力がある雅な地方都市であり、観光地としてもメジャーな都市だ。金沢は石川県の誇りである。
そして、"能登の父父(トト)らく、加賀の母母(カカ)らく"と言われるように、能登と加賀の個性は全く違う。しかし、違いといっても反発しあうものではなく、お互いを認め合う、補い合う、という、1+1が3以上のお互いの弱さを補完しあう理想の関係だと思う。えもいわれぬ一体感があるのだ。
組織や人間関係のあり方もこうでありたいものだと思う。


観光経済新聞社での座談会は、11月18日付の観光経済新聞に掲載される。

テーマ:「災害からの復興へ〜中能登町の活性化に向けて〜」

座談会の内容は、
①中能登町について。どんな町ですか。主な産業、観光資源。その他、町の魅力について
②中能登町と自身との関わり、町の魅力について
③震災による被害状況と、現在までの復興状況について
④復興に向けた町のマスタープランについて
⑤町の復興に向けてのアドバイスと応援メッセージ
⑥その他

どのような紙面になるのだろうか。楽しみである。

私は中学校を卒業した15歳から中能登町を離れている。半世紀以上離れている計算だ。
私は、古稀を機に東京(南麻布)にて都市型納骨堂を求め、生前葬も執り行った。そして今年、中能登町にある先祖代々の墓を墓じまいして、東京に移そうと思っていた。
その矢先、今年の元日に能登半島が地震に見舞われた。この地震が私を能登に足を向けさせたのだ。
そんなことで、もう墓じまいをすることはやめた。

人生幾つになっても、”生きがいがある”ことは幸せな人生を生きることにつながる。生きがいは、若さを保つ万能薬である。そして、健康にも一層留意しようと思う。これは私の偽らざる実感である。
私は、~能登の復興、創生を応援する~ことが私の第二の人生のミッションになってから、生きることに張り合いができた。能登を復興、創生させることが、私をますます元気にするのだ。そして、私しかできないことをしようと思う。

そう思うと、不思議なことに、中能登町がとても魅力的な町だと思うようになった。そして、更にもっと魅力的な町にしたいと思う。

幼い頃私は、中能登町は何もない、変哲もない、面白くない町だと思っていた。身を立て名を挙げ、ふるさとに錦を飾りたいと思うことはあっても、ふるさとに帰ろうと思ったことはなかった。

そんな私が、東京と能登の2拠点生活をすることにした。11月から月に2週間、中能登町に住もうと思う。自分でも、その変わりように自分のことながら驚いている。

これから、もっと中能登町のことを知りたいと思う。もっと能登半島のことを知りたいと思う。そして、自治体の壁を低くして、能登半島の広域自治体の地方創生を目指そうと思う。
中能登町のために、中能登町に隣接する市町も応援して、広域自治体の地方創生を応援しようと思う。

”自分のためは人のため、人のためは自分のためは真実”であると、自分の思いの変わりようを実感することで、そのことを心から納得する。やはり、心から思うことでないと血肉にはならないのだ。

そんなことで、”人間は棺を覆うまで成長する生き物”だと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)


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