memento mori(短編)
冬にしては珍しく太陽の光が暖かな昼下がり、公園を散歩していると、木の根元の所に不自然な盛り上がり方をしている土の塊を見つけた。
それには白くて小さい板のようなものが刺してあり
「いままでありがとう げんきでね」
と稚拙な文字が並んでいた。
墓だ、とすぐに気が付いてしまった。
公共の施設に何してんだ…という思いを飲み込み、今にも泣き出しそうな筆致で書かれた墓碑銘を指でなぞる。
ふと、あの日葬った言葉達のことを思い出した。
それは、ついに贈ることの出来なかった手紙だった。
「いままでありがとうございました、天国でもお元気で。」
何の工夫も面白味もない言葉で締め括ったその紙の束を掴むと、あなたとの別れが乾いた重みを持って手のひらで感ぜられ、酷く悲しくなりました。
人は命の役目を終えると星に成り、私たちを見守っていると良く言いますが、私はそれが嫌いでした。
あの綺麗な光の理由が、悲しいものであって欲しく無かったから。
星は、夜しか見えないから。昼間だって、見守っていて欲しいから。子どものような我儘でした。
でもどうしてか、深い墨色のブランケットにスパンコールをばら撒いたような満天の星空を眺めていると、あなたの顔が浮かんでくるのです。
あなたの目が好きでした。
あなたが柔らかに微笑む時、その大きな目が糸みたいに細く細くなるのが好きでした。
あなたの唇が好きでした。
ふっくらとした唇から紡がれる言葉はどれも暖かく、とても優しいものでした。
上機嫌な時にその口から零れる歌声が、世界に溢れるどんな音楽より好きでした。
あなたの手が好きでした。
長くほっそりとした指や、私の頬を撫でるとき、いつも愛おしそうに動かす所が好きでした。
そんな風にあなたの好きな所を書き殴った手紙は、もうあなたに届く事も読んでもらう事も叶わないのに、なぜか筆を止めることができませんでした。
頭いっぱいにあなたの事を詰め込んでいる間は、まだあなたが形を持って存在しているように思えたから。
今にも落ちて来そうなほど星が酷く輝く夜の日に、私は庭の片隅でその手紙を焼きました。
灰になった手紙は風に乗って高く舞い上がり、いつしか見えなくなりました。
こうして私は手紙と共に、あなたへの想いも夜空へと葬ったのです。
ここに眠っている誰かも、そんな風に愛されていたのだろうか。
あの夜の日に墓碑銘を付けるとしたら、私も同じようにあの手紙の最後の言葉を当てるかもしれないな。
乾いた葉を踏む音が、私の背後で響く。
やましい事は何も無い筈なのに、思わずギクリとして後ろを振り返る。
4歳か5歳くらいの子どもが少し怪訝で不安そうな視線をこちらに向けながら、この公園で摘んできたのかビオラのような花を2本握りしめて立っていた。
墓を建てた主であろう事は、容易に想像できた。
「この子の事、大切だったんだね。」
口から出た言葉に、自分で驚いた。
私は普段他人に、それも子どもに対して自ら話しかけるような人間では無いのに。
その子が、こくんと頷く。
少し後退りして場所を譲ると、その子が墓に花を供え、手を合わせる。
私も見習って、少しの間目を瞑って手を合わせた。
ここに眠る誰かと、あなたを想いながら。
目を開けると、少し柔らかい表情になったその子と目が合う。
「ありがとう」
大きな目を糸のように細くして微笑むその子は、いつしかのあなたにそっくりだった。