その歌はなぜ「都鳥」を詠むのか?
▶都鳥に「言問ふ」理由
この秋の新しい論文で私が最初に取り上げるのは、あの有名な、在原業平の「都鳥」の歌。『伊勢物語』9段「東下り」のお話では、昔男が「隅田川」のほとりで詠んだことになっていますね。
だがしかし、これはまだ見ぬ「理想の恋人」すなわち「思ふ人」を、「人が多く集まる都」に探し求める詠歌であり、〈誰かを都に置いて来た〉という話ではない。皆さんが信じ込んでいるそれはただ、歌を用いた歌物語、『伊勢物語』の筋書きなのです。
名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと
この歌「そのものの意味」は、次のとおりです。
新全訳
大勢の人が集まる大都会、京の都をよく知るはずの、その名のとおりであるなら都鳥よ、さあお前に尋ねてみようではないか。一体、私の愛する理想の人は、そこに――(つまり)この世にいるのかいないのか、とね。
よく「 国語の答えは一つではない」と言う人がいますが、ではなぜこの有名な歌をめぐって、それ、すなわち「人の多く集まる都に、理想の恋人を探し求める歌であるという可能性」に、今まで誰ひとりとして、思い至らなかったのでしょう。
気づかなかった理由はすべて、「文脈」を見ず、「背景」のみを先入観とし、歌を眺めているからなのです。 私たちは、眼前の文脈から唯一現れ起こる、独自の新しい意味を読み取る必要がある。意味をあてがって読むのではなく……。
▶謎解き(答え)
記事の冒頭「見出し」の問いに戻ります。その歌はなぜ「都鳥」を詠むのか?
歌の詠み手が 都鳥に「言問ふ」理由 は、曰く《都は人の集まり》だから。
この歌に「都」が詠み込まれているのは、人々がそこになら、「(わが思ふ人が)いるのではないか」と思うためです。現代日本の、例えば「東京一極集中」の問題を引き合いに出すまでもなく、都を目指してたくさんの人が集まるのは、今も昔も同じですね。
ところが、この歌に関してその事実が想起されたことはない。人間の先入観とはそのようなもの。
そしてこの「都鳥」の歌に詠まれた「理想の恋人」を求める思いは、古く万葉以来の和歌的主題の一つでもある。従来、指摘がないながら、これも「類型」を持つ歌だったのです。
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