リストラサラリーマンのような1日
床に落ちたストローの袋の切れ端が冷房の風によってそよそよと飛んでいった。
私はそれをなんとなく眺めつつ、「ぼーっとする」ということのやり方を思い出していた。
部署編成によって突然忙しくなってしまった仕事をこなしながら、パワハラ上司の相手をすること3ヶ月、あっという間に心が疲弊し突然会社に行けなくなってしまった。
いや、正確にはもう少し自分本位で、行かなくていいかもなという心の声を日々集めていて、行かなくていい理由が満タンになり月曜にパソコンをつけるのを辞めた。
その日から何もかも、やりたくなくなってしまった。
それが8月の頭で、実家暮らしの私は家族にお盆休みがないことをすでに伝えてしまっていたことを思い出したのが、お盆の3日前だった。
父親に仕事に行ってないことを言えず、お盆を迎えてしまった。怖かったからじゃない。心配されるのが面倒だった。贅沢な話だと思う。でも過剰に心配されるのがもう私にはお腹いっぱいで、辛かった。
そんなこんなでお盆の平日の今日、私は会社に行くふりをしてふらふら出かけなければならない、ドラマで見たことのある、リストラされたサラリーマンのような1日を送っている。
ノープランで出てきてしまったので、カフェとカラオケを梯子して最後にまた別のカフェへやってきた。
あんなに仕事に忙殺されていた頃は1日が死ぬほど早かったのに、今は8時間がこんなにも長い時間であることをゆっくり噛み締めている。
でも悪い時間ではなかった。
ただ、何かをしていないとソワソワしてしまい結局、最初のカフェでは転職について考えたまとめの資料を作成してしまったし、カラオケでは部署を別れた同僚がお盆で仕事が暇だと言っていたことに甘えてひたすら電話をしていた。
そして、今きたカフェでは、途中で買った本を読もうとして、明日もこの絶望サラリーマンのような1日をどうやって素敵に過ごそうか考えだしてしまい、映画を見ようかなとサイトを開いたところで目の前にかなり大きなハエを見つけたのち、視界の横でカフェのエアコンの風に揺れるストローの袋の切れ端を見つけて何となくnoteを書き始めたのだった。
こんなに頭の中を忙しなくしなくても、
ゆっくりする1日にするはずだったなと思い出しながら、ぼーっとするってどうやるんだっけ、と同時に考えていた。
不安なことが、まだたくさんある。
もう少し休み休み好きなことを見つけて納得のいく仕事に就きたいと思いつつも、
そんなのが本当はないんじゃないかということをどこかで思い始めている。
どんなに納得して決めても、職場関係はきっと疲れるし嫌な思いもすると思う。その時また辞めない保証がない。仕事や環境のせいにつつ、自分の弱さから目を逸らしている気もしている。
友達やお母さんは大丈夫と言ってくれるけど、
子供の頃から言われた、耐えしょうがない、そんなんじゃ将来会社をすぐに辞めてしまうという言葉通りの人生となっているので、何もそんなことないという証明も、だけど楽しくやっているという意地も張れずそうですよね、よくないですよね、ははは、という状況だけが続いている。
これでよかったと思う日は来るのだろうか。
この今の有様を少し客観的に書けば、
何か答えが出るのかなとも思い、珍しくカフェで感傷に浸ってみたが、ハエとストローの袋の切れ端の行方が気になるだけで、何も解決されなかった。
しかし私のテーブルによくきてしまうハエがあまりにデカすぎるので何だかどうでも良くなってきて、今日はここまで、続きは明日ゆっくり人生を考えようかなという海にでもきた後に出る感想を覚えてしまった自分の感性に絶望しつつ、人間ってこんなもんか、明日は本当に海に行こうかななどと考える。