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#2 ぶち壊したい障害

アパレル&コミュニティブランド「ouca」の成長物語
1話  あなたの居場所はありますか

【sakae時代】

「sakae」をスタートしてからは、障害がある方々とたくさん出会いました。視覚、聴覚、身体、知的、性、、、
それまで祖母しか「障害者」と言われる人と密接に関わったことが無かったのです。そして同時に「障害者」という言葉が嫌いになりました。(今は便宜的にこの言葉を使用しています。)


なぜなら、今まで祖母のことを障害者と思ったことがなかったからです。
それに幼いころから、身体が自由でも心が貧しく不自由な大人たちをたくさん見てきた私にとって、そんな大人の方が「障害者」だと思っていたからです。


一度、お世話になっている全盲の方に「障害者」という言葉についてどう思っているか聞いたことがあります。


「私は気にならないけど、自分を受け入れられてない人は気にしている人も多くいる。でも世の中に浸透している言葉だから、大丈夫だよ。ただ、"障害を背負っている"という言い方はしない方がいいよ」

と仰っていました。

【出会いと気づき】


『sakae』の活動を通して、視覚、聴覚に不便を抱える方、難病指定されていて余命の短い方、10万人に1人の病気の方、トランスジェンダー、、、世の中に不便を感じている方々にたくさんお会いしました。


その中で、私の配慮・認識不足で不愉快な思いをさせてしまい手厳しいお言葉をいただいたことも多々ありました。またsakaeの商品に興味を持って下さったお客様と認識にずれが生じ、信頼関係が築けずトラブルが起こってしまったことも、、、。


しかし、そのたびに励ましや慰めの声をいただき勇気づけられ、学び、これからだ!と自らを鼓舞してきました。


周囲の関わってくださる当事者の優しい声を受けながら、
「sakaeはまだまだ生まれたての赤ちゃんなので、一緒に育てて下さい」
と徐々に素直に甘えるようになり、お客様や応援してくださる方が一緒に「sakae」を育ててくださいました。

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※写真:TATさんと行った視覚障害者とのネイルイベント

『sakae』時代の具体的な活動はこちら


 
「0か100」の考え方の私が、甘えて助けを求めらるようになったのは、様々な方と関わっていく中で

「当たり前や普通って無いんだ」
「人は助け合い、感謝し、お互いを補っていくものなんだ」

と心の底から思うようになっていった表われではないかと思います。

私が出会ってきた障害者の方たちは本当に心が優しく、大きく、パワフルで、でもそこに至るまでの心の葛藤、苦しさ、悔しさを乗り越えてきているからこそ、真に人生を生きることに貪欲で、うまく人に甘え、助け合いながら自分の「居場所」をずっと模索している、そんな姿がかっこよくて、その生き方に私は彼らに憧れるようになりました。


そして同時に「障害」とは一体何なのかと考えるようになりました。

【障害とは】


ここで皆さん、人間の妊娠する確率をご存知でしょうか。

1回の射精に含まれる数千万~数億個の精子のうち、無事に受精するのはたったの1個です。天文学的な数字ですよね。

そこから無事に受精卵が着床し始めて妊娠となるのですが、妊娠適齢期と呼ばれる年齢での自然妊娠確率は20~30%、着床後の妊娠継続率はさらに減って10~20%、人が妊娠して無事に命が生まれる確率はとても低いのです。


命が生まれること自体が奇跡であるならば五体満足で生まれることはもっと奇跡的で、何かしらの不便をもって生まれることの方が少なくないのかもしれません。


先天的、後天的でも捉え方は違うのかもしれませんが、私はやはり、「障害」を「障害」とたらしめているものは「人の心」だと思うのです。


「人の心」が偏見を生み、距離を生み、壁を作る。そして更なる誤解を招き、距離を生み、また新たな壁がつくられる。そう思えてなりません。そしてその壁は「コミュニケーション不足」の壁。まさにそれこそ障壁、いや、障害!

この壁をぶち壊すことが大切だと気づきました。

【立ち止まる】

「sakae」を広めたい!そして祖母の生きる力になりたい!という思いで必死だった私でしたが、いろんな人との出会いによって「当たり前は当たり前じゃない」という大切なことに気づいた半面、祖母のことをダシにしている、そんな気持ちになってきました。


そして、幼いころより「人は信じられない!他者に頼らずもっと頑張らなきゃ認められない!」という自分でかけた呪いが私自身の生きづらさ、息苦しさを生み出していることにも気づきました。承認欲求が異常に高く、そのくせ人を信じられない。自己重要感が低く、始まる前からネガティブな未来を思い描く癖がついていました。



祖母との話が私の動くきっかけになってはいますが、その裏には私自身が抱えていた心の問題がひっそりと深淵をのぞかせていたのです。


「自分は大切な存在だ」
「自分は生きていていいんだ!」
「いい人生だったと思って人生を終えて欲しい!」

祖母に言ったこの言葉は、私自身に向けて言った言葉だったのです。

コミュニケーションとは他者との関係性においてだけではなく、自分との関係性においても考えることが出来ます…。そう、私は自分とのコミュニケーション不足でした。
 
『果たして、私は、私の一番の親友になれているのだろうか…。』


【私の望みと決断】


私は、2020年の夏から立ち止まってゆっくり考えてみました。自分との対話です。


「私が心から望むことは何なのか?」と…。


祖母がきっかけで始めた「sakae」の活動の中で出会いに恵まれ、私の素直な気持ちを聴いてくれる居場所の中で、


「当たり前なんてないのだから、ありのままの自分を受け入れたい」
「まだまだな自分を自分で認めたい!」


と伝えると、「まだまだなゆきちゃんで良いよ」と受け止めてもらえたことで、ゆっくりゆっくり自分のことを受け入れ、自分に優しくなっていけました。


「0か100」の考え方ではなく

「まだまだでダメダメな自分がいて良いじゃないか」
「大切なのは今何をしたいのか、今何ができるのか」
「自分の傍にあるものにちゃんと目を向け感謝できているのか」

と考えるようになったことで、「こうも世界の見え方は変わるのか」と身体が、心が高揚しているのを感じました。それでも、今だに私は私の大親友にはなれていません。(無意識で行っていることは早々に変わらないものです。)は


そして、その居場所の中で人生を楽しむために必要な大きなことに気づきました。


それは、

「認められたいからやるのではなく、私はこんなことがしたい!こう生きたい!」
と決断することの重要性です。

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3話「sakae」から「ouca(謳歌)」へ。


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