無印良品のテーブル 2020年12月 文京区
前に使っていた机は、新宿で暮らしていたときに拾った鉄の脚部と、それとは違うタイミングだがやはり新宿で拾った天板を組み合わせたもので、サイズが上手く一致したところは気分が良かったが、実生活には小さかった。
特にご飯を食べる際、テーブル上のリモコンや箱ティッシュを避けなければ皿などが置けない事や、その逆に寝る時は枕元にティッシュが無いと鼻をかみたい時に手が届かないので、机自体をやや枕元の傍に寄せ、ティッシュを机の端に置く、といった手順を踏まなければ眠りにつけない点が大いに不満だった。
そこで2020年の末に近所のマンションの駐輪場に不法投棄されていたところを拾ったのが無印良品の折り畳みパイン材テーブルなのだが、約1.5倍程度の大きさになり重宝している。
とはいえ本当はもっと巨大な、これの3倍くらいの机を欲してもいる。
それというのも、写真家の森山大道が確か言っていた筈なのだが、氏は事務所の机に900mm×1800mmのコンパネを使用しており、仕事もコーヒーも食事も、読書も全てその上で繰り広げるというエピソードが良く、その粗暴だが、そういった生活スタイルそのものが森山大道の写真における、清濁が混在しながらも結局は森山大道フィルターで審査され、掬い取られた物が画面に定着されていく感じに通じているように思い、写真の好き嫌いは置いておいても魅力を感じる為だ。
もしかすると全く別の人物のエピソードだったかもしれないが、自分も巨大な机に、生活のもの全てを置いて暮らしたい。
仕事のパソコンを真ん中にデンと構え、灰皿は右側にある。休憩時間にコーヒーを抽出するのも、飲むのも同じ机、仕事が終われば趣味のプラモデルでも作り、タミヤのプラカラーで汚れても気にならない。コンパネだから。故に、飼っている犬が乗っても叱らない。
休日には友人を招き、鍋とかをやりたい。
問題は、部屋の広さに対してコンパネは大き過ぎるとか、安価なので変な木目が目立つ事への懸念が憧れを削ぐといった、コンパネ机への、その部分に対する話ではない。
前述の、机上で行いたい要望に関するもの全てが、パーフェクトにただの憧れでしかなく、仕事は在宅勤務などでなければコーヒーを飲まず、煙草はだいぶ前に止め、プラモデルを趣味としておらず、犬も飼っていないし、家に呼ぶような友人はいないから土鍋を非所有、だいたいが家に帰ればすぐにベッドに横になるからそれほど机を使わない生活を送っているという点に問題がある。
自分は、洒落たカフェー等に憧れはあるが、実際に行ってみれば、茶の類いなど直ぐに飲み干して数分で店を出るに違いなく、だからカフェーなど行った事もない。
これは何か、精神的な「積ん読」に近いものがある。
いずれ読む本を想像したり、過去に行った場所を思い出してばかりいる。
仕事の時は趣味を思い、それで仕事が進まず、今度は趣味の時間に仕事が憂鬱の種となる。
憧れで構成された世界に住んでいるから、引っ越しと転職の回数が多い。
コンパネ机を手に入れたところで、自分はその机でやりたいと思い描いていた事の一つも実行しないだろう。