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うさぎ柄リバーシブル巾着袋、新作昔話 2020年11月 東京都中央区大伝馬町

 明らかな不法投棄や、山中に置かれたものは迷わず拾う。
 問題は都心だとかの、人通りの多い場所に置かれた、忘れ物なのか判別のつかない物品であり、基本的には一週間以上放置されていたら拾っても良い事としているのだが、特例として、雨が降っていても拾われずにいたら、仔犬・仔猫の類いを保護する要領で短縮して貰い受ける事にしている。
 等と、独自のルールを設けてはいるが、そんなものは振り込め詐欺犯が「おれは身寄りのない、貧しい老人は狙わない」とでも言うような繰り言だとは一応、承知していながら拾う。

 職場近くのガードレールに引っ掛けられてあった巾着袋もそうで、渋めのグリーン色が一目で気に入ってはいたのだが、目撃から拾うまでに一週間を要して我が物にした。
 拾ってみて初めて気付いた事にリバーシブルだったのだが、自分はこれを携帯しているカメラのケースとして使用すると決めていた為、内側に厚手の布地を縫い合わせる段で、どちらを表面とするかで多少の逡巡があった。
結果、やはりファーストインプレッションを優先し、緑色を表とし、裏側のベージュ面に厚い布を縫い合わせた。

 ところが最近、現在は裏にしており見えないベージュの面が良かったのではないか、特に、緑面は細かなウサギ柄であるのに対して、ベージュ面は家紋を思わせる、円を基調としたウサギマークがLouis Vuittonよろしく並ぶあたりが落ち着いているしオシャレではないのか、と考えるようになり、厚布は手縫いで取り付けた事もあり、ほどけば逆転させる事も可能なものだからどうも気になる。
 かようにリバーシブルは私たちを悩ませる。

【新作昔話「宇宙の缶詰」】
 ドスト・F・スキーには考えすぎの傾向があり、例を挙げればゴミを捨てるためにゴミ袋を買うという行為が、途轍もなく生物の本能から外れた狂気の所業と思えたり、何らかの商品を通信販売で購入した際、その商品を梱包するテープや段ボール、段ボールを配達するドライバー、ドライバーが運転するトラックにはまた別の会社が関与しているにもかかわらず、金銭を支払うのは通信販売の会社に対してのみである事が、どうも不正を働いているような気になるのだった。

 そのillmaticな性質は、新聞・雑誌に掲載された写真や記事を切り抜いてスクラップブックを作成するドスト・F・スキーのささやかな趣味にも及び、糊付けをする、己が裏面と定めた方にもグッとくる内容が印刷されていたりすると躊躇してしまい、「なんで新聞は片面印刷ではないのか」と煩悶させられるようなドスト・F・スキーだから、当然のように対人関係においても、人間の「裏表」というものに悩まされる場面が多々あった。

「第一印象が大切」等という言説が、ドスト・F・スキーには全くもって信じられない。
 初対面の印象が良い程、急に嫌な面が見えた場合の落差は甚大となり、そこを境にこちらも、相手に対する警戒心を纏う事となるのだが、そのまた後に相手が善人めいた部分を見せて来た時ドスト・F・スキーは「おっ」と思い、一旦は上機嫌になる。
 そうなると暫く、相手に対してリスペクタブルな態度をとるお人好しのドスト・F・スキーだが、結局はまた直ぐに、相手側が不快な裏面を示して来るので、そういった事を何度かやりとりする内に、「ならば常に、こちらは不機嫌でいよう」といった、鎧兜を着込む様な、ネガティブな精神状態に固定させられてしまうのだった。

 物事のリバーシブルに関しては「表裏」と「裏面」のどちらも使うが、人間関係においては「裏表」と呼ぶ事の多い気がするのは、人間という存在がそもそも裏の面ばかりが見える存在だからなのか、等と性悪説めいた考えが身に付いて久しい中年期のドスト・F・スキーだが、それでも気がかりに思う事があった。
 その危惧は、要約すれば「不快感を与えて来た相手に対する防御の意味で、不機嫌の鎧兜に身を包んだドスト・F・スキーが、いつしかその不快な相手と同化した存在となり、今度は不快に思う相手とは全く無関係の他人に対して、己が不快感の発信源となってしまい、その無関係な他者が第2、第3のドスト・F・スキーへと化してしまう、不快さの円環構造に取り込まれている本末転倒」への不安であった。

 西暦20✕✕年の真夏のある夜、全人類の感情が意味もなく完全に固定され、それが2週間に渡って翻る事なく続く出来事が生じたのだが、ドスト・F・スキーも他の誰も、そういった現象が起こっていると気がついた者はおらず、いないのだから原因も解明されていない。
 その人々の感情は別に、裏表で言うところの表面、ポジティブなパワーに満ちたものでもなく、性格の陰鬱な奴は陰鬱なままであったが、ただリバーシブルでなくなったというだけの事で、ドスト・F・スキーのみならず世界は不思議な安寧に満たされた。

 意味もなく続いた安定感は、
・「今はすっかり反省しているから」という理由による数十名の死刑囚への恩赦
・「やっても精神が変容しないし、させる必要もないから」と違法薬物取り引きの急激な減少
・「なんか気持ちとかどうでもよくなった」ためによる殺人事件数の現象(ただし快楽殺人を除く)
・「殺しあっても状況は変化しない」との調停による内戦の終焉・停戦
・「開会式の1週間前にこの有り様。直らないよ、この国」と、国際的なスポーツイベントに対する持続的な冷笑
 等を引き起こしてから、2週間後にこれも理由なく終了した。

 ドスト・F・スキーはその期間を振り返り、後に以下のような言葉を残している。
「わたしはあの期間、ひたすら他人を厭う事ができました。それは期待をしない、という期間でした。
不思議と映画や音楽を鑑賞しませんでした。多分それらにおける「展開」「意外性」といったものが理解できなくなっていたのでしょう。唯一、単調な環境映像やジャーマン・テクノを除いては。
それは幸福な時間ではありませんでしたが、かといって不快さもなく、自分がまるで虫にでもなった気分でした。
現在は他人を厭んだ後で、それでもやはり好意を持ったりするような厄介な状態に戻っておりますが、一点、あの期間を境に変化した事といえば、あまり物事を表裏で考えなくなったんスよね。
今はどちらが表でも裏でもいいや、と思えます。リバーシブルの片面がどちらか一方に変化しても、それはひょっとすると更なる多面体のうちの一面への成長、もしくは退化、あるいは変革の過程という事でしょうか。
趣味のスクラップ・ブックも、表と裏の決定で悩まなくなりました。雑誌なら二冊買えばいいのです。それを妥協と呼びたくば呼べ、汝、汝らは己が内面を二面に限定するか。否、ハムスターなおもて日一日の変化を遂ぐ、いわんやヒューマンをや。まず多面体でなき者、多面体の者を石もて打て。
しからずんば我、いずくんぞリバーシブルを怖るる事あらんや」

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