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アラジンストーブ 2019年7月 小平市

 実家から歩いて3分ほどのゴミ収集所で、頭陀袋を被ってはいるが何か金属的なパーツが見え隠れする物体が不法投棄されていたので、袋を剥いでみるとアラジンの灯油ストーブが佇んでいた。    
 フォルム的には昔のポストっぽくもあり、ズタ袋の中からあらわれたファーストインプレッションは、本当に「佇んでいた」趣だった。
 ほぼ同じ型・色の「39型」を持っており、拾った「38型」で二つ目となる。
    ただし芯の繰り出し部分に不具合があり、このストーブの特徴である、丸窓から伺える青い炎を出す事が難しかったので、拾った38型は格安で売買した。  

    アラジンストーブは、灯油のカウンターゲージが特に好きで、これを格好よいと思う人はエプソンの「R-D1」というレンジファインダーデジカメやクラシックカーのタコメーター、音響機器が爆音を知らせるレッドゾーン表示なども好むのではないかと思う。
    要するにデジタル的でなく、思い通りにはならないが、不平を言いながらもそれを肯定できる人間の持ち物と言える。 

 一つ目のアラジンストーブは、むかし働いていた職場でボーナス替わりに貰った。
 そこは所謂クリエイティブとされる職場ではあり、宇川直宏が撮影の小道具を探していたので「このストーブなんかどうですか」と推薦し、採用された事がある。たぶん何かオシャレ系雑誌の表紙になっていた筈だ。
 面白かったのはそれぐらいで、あとは何もなかった。

 5名に満たない個人経営の職場で、社長は「ヴァギナ」という本を読んでいた。それは少し面白いな。
 入社した女子が遅刻ばかりするので訳を訪ねると、「実は…」と、夜の商売を兼業している事を告白した。まあまあ面白い。  
 仕事で来た井上陽水がサングラスをかけていなかったので、暫くはただの、天然パーマで声のきれいな男だと思っていた。それも割と愉快な記憶になってしまう。
 よくわからない原始的な躍りを踊るダンサーが来て、踊っているうちに衣装が乱れて男性器がまろび出て、「失敬」と謝るダンサー。これも結構おもしろかった。
 社長のアメリカ出張に着いていく事が3日前に決まり、自分の飛行機だけ帰りが1日遅くなったので、最終日はサンフランシスコのメキシコ人街をひとり散策した。あれはよかったなあ。
    
 本当はその80倍ぐらいの嫌な記憶があり、30人程度には殺意を覚え、毎晩25度の焼酎を飲んだ。
 5日間徹夜の仕事に関わっても、自分はその末端であり、6日目の打ち上げに参加する事はない。1人で現場を掃除しながら、700回程度ハードコアパンクを聞いた。
 20万に満たない給料で2年働いて辞めた。社長から、「売り上げ金の1万円札の向きが揃っていない」と深夜26時に電話がかかって来たからだ。
 まあ最早それも笑えて来たので、嫌な思い出を噴出させるトリガーのアラジンストーブではあるが、現在も1阿僧祇(0×56)パーセントの完璧なコンディションを保ったまま実家の6畳間にある。

こちらが38型

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