【#ミリしら解説】No.12
今年の冬、働いていた本屋をクビになった。
昨今の出版界の不況の煽りを受けた結果である。
だれも悪くない。
わかっていたはずなのに、失望してしまっていた。
それだけ、本屋で働くことが気に入っていたのだろう。
路頭に迷った僕は、友人の紹介でイベントのスタッフをすることになった。
イベントというのは、とある遊園地のものだった。
てっきり食いつなぐための日雇いだと思い込んで面接に行くと、長期で雇ってくれる話をしてくれ、僕は春からそこで働くことになった。
新しい職場。
はじめてはいる開園前の遊園地は、ひっそりとしていて従業員ひとりひとりの息遣いがよくわかった。
そんななか、僕は『彼』と出会った。
◇
遊園地内、いや、今となっては世間的にも知らない人はいないであろう『彼』の名は、【氷山 盛蔵】(ひやま もりぞう)という。
初日、ソフトクリーム屋台の中の彼に挨拶をしたときのことを僕ははっきりとおぼえている。
「佐々木です。よろしくおねがいします」
「氷山だ」
それだけ。氷のように冷たい老人だった。
「毎朝、出勤時刻の五分前には、ここにいろ」
「この売り場の中には入るな」
「朝はまず、あそこの水道から水を汲んで冷蔵庫をいっぱいにしろ。わかったな、若造」
彼は事あるごとに僕のことを若造、若造と呼びつけた。
会話はすべて命令口調。
僕が接客をし、彼に内容を伝えても、返事はなかった。
たぶん、彼は僕の名前も覚えていないだろう。
毎日毎日、飲むはずもない大量の水を汲まされるのも、僕に無意味な仕事をさせたいからかもしれない。
僕はこの老人の態度に、少しずつ苛立ちをつのらせていった。
◇
氷山さんには、奇妙すぎるこだわりがあった。
それは彼のソフトクリームの作り方。
そうしてできるソフトクリームは異様に人気があった。
まだ肌寒い季節だというのに、ソフトクリーム屋の前には常に行列ができ、僕がどれだけ必死に注文をとっても客足が途切れることはなかった。
僕はその一部始終を隠し撮りして、SNSに投稿した。
ただの憂さ晴らし。
『ソフト老害wwwwww』
という文を添えて。
次の日、それが燃えていた。
◇
氷山さんの奇妙なソフトクリームの作り方はこうだ。
まず持ち込んだ私物の座布団を床に敷いて、そこにどっかと腰を据える。
眼の前には、ソフトクリームをたらふく抱え込んだ三台の絞り機。
彼はコーンを掴むと、それを両手で軽く握る。
その格好はまるで刀を構える達人のようだった。
そして刃に滑らせるように、ソフトクリームを巻く。
レバーを倒しているのは、なんと右足だ。
何も知らない人間が見たら、さぞ奇異な光景に見えるだろう。
もちろん、客は氷山さんがそんな作り方をしているとは夢にも思わないはずだ。
◇
某有名遊園地の従業員がこんなふうにソフトクリームを作っている。
特定、憶測、拡散。
その夜、僕の端末は不気味な熱を宿していた。
次の朝、通知をみた僕は恐ろしくなって、就業時間よりも一時間もはやく職場にやって来た。
道中、ずっと誰かに見られているような気がしてならなかった。
そこに、氷山さん。
彼はもう出勤していた。
「おはようございます。もしかして、毎日この時間に来られてるんですか」
「ああ」
彼の答えはそれだけだった。
「あの、僕……」
そう口にして、言葉に窮した。
何を言えばいいんだ。
氷山さんのことを投稿したのは僕だ。
その動画はもう削除したけれど、多くの人の目に触れた。
僕はただ……
「おい」
いつもの冷たい声が呼ぶ。
「はやく来たんなら、手伝え」
「あ、でも……」
「知ってるよ」
「え」
顔を上げると、彼の目がはじめて僕を見据えていた。
「朝イチに支配人から聞いた。炎上だかなんだか知らんが、おれたちのやることは変わらん」
言うと、彼は冷蔵庫で冷やされた水を取り出し、手近なバケツの中にそそぎ、腰をおろした。
僕が今まで汲んでいた水。
「なにを……」
声をかけようとして、止める。
氷山さんはすでに鋭い雰囲気をまとっていた。
彼は両手をバケツの中に沈める。
目をつむり、凍えるような水の感触を確かめているように見える。
しばらくあと、水から引き上げられた両手は、冷たい刃そのものだった。
その両手がサクサクの分厚いワッフルコーンを包む。
そこに濃厚な白が注がれた。
片足を掲げているというのに、氷山さんの重心はまるでブレない。
ワッフルコーンのなかで、白くうねる柔らかな螺旋。
「食え。佐々木」
彼はいつもの調子で言って、それを差し出す。
彼に名前を呼ばれたのは、はじめてだった。
「いいんですか」
「食ったら、働け」
それは僕の生涯で、いちばんうまいソフトクリームだった。
了